ちょっと不思議なスピリチュアルの話
昨日、不思議な体験をしました。
おそらく、人生のステージがまたひとつ変わったようです。
その体験から一夜明けましたが、いまだにぼーっとしている状態です。
起きた事を言葉にしたくて、理性的に考えてみたのですが、まだわからない事も多く、なかなかうまく言葉にできない部分もあります。
今回のnoteは、今のこの感覚と、昨日の出来事を記しておきたいと思います。
言葉足らずの部分や、理解しにくい部分もあるかと思いますが、僕自身の備忘録という意味でもあり、少しだけ大目に見ていただけるとありがたいです。
数ヶ月前から、「瞑想」をやるようになりました。
先日達成した、noteの100日配信を始めたのがきっかけでした。
毎日心理の探求のネタを考えていたので、常時自分の内面と向き合いつつ、1日数時間パソコンの画面と向き合い続けていると、頭の中が熱を持つような感覚になってきます。
思考がオーバーヒートして、何も考えられなくなるのです。
そんな時は、運動か瞑想をすると、頭の混乱が落ち着くと知ってから、ほぼ毎日のペースでだいたい昼下りの時間に「瞑想」をしていました。
瞑想が習慣化してくると、深い瞑想状態に入れるようになります。
瞑想をやり始めた頃は、ただ呼吸を意識したり、遠くの音に集中して、「静かな心を感じる」といった感覚でした。
それを1ヶ月ほど続けた頃から、瞑想中は体の五感の感覚が消え、”意識だけの状態”を感じられるようになったのです。
なんとなくですが、「覚醒しながら夢を見ている」といった感覚です。
「自分」という意識はありながらも、思考はコントロールできず、目の前に様々な絵やイメージが浮かんでは消えたと思ったら、今度はまったく関係のないイメージが浮かんできたり、時にはひたすら心地よい空間のゆらぎにゆられてみたり、宇宙空間を漂ってみたり。
”人間の体”として行動したり思考したりする世界には”人間の体の中だけ”という「制限」があります。
しかし、五感を一時的にオフにすることで、「意識だけの世界」を体感する事ができます。
「意識の世界」はとても広くて、自由です。
「意識の自分」を認識してみてわかった事は、「”思考”は、自分でコントロールしているようで、していなかった」という事です。
寝ている時に見る夢は、自分で選んだものではない事がほとんどだと思います。
普段何気なく生活をしている時でも、実は自分の思考は自分の意思で考えているわけではなく、”思考の循環”の流れに沿って、常に新しい発想が巡っている。
その発想に従って考えているだけであり、決して自分で思考をコントロールしている訳ではないのです。
例えるならテレビCMのようなもので、洗濯洗剤のCMを見たら、「あ、洗剤はまだあったかな?」と考え、その数秒後に、今夜のバラエティ番組のCMが流れたら、「この芸人は最近売れてきたな。」と考える。
これも、多くの人は自分の意思で考えていると信じているけど、実際はテレビCMの内容によって、自分の頭の中のチャンネルをガチャガチャと変えられているようなものでもあります。
話が少しそれましたが、このような感じで、瞑想中は「その瞬間に湧き上がってきた想念にすべてを委ねる」という状態になっています。
昨日もいつものように瞑想をしていました。
開始してしばらく経つと、なんだかいつもより深い瞑想状態に入っているのです。
(その時は気づかず、瞑想から覚めてから気づきました。)
その時に湧いてきた想念が、
「すべてを宇宙にくれてやる。」
でした。
「体」も「五感」も「思考」も「感情」も「魂」もすべて。
さらに、
「(宇宙と)混ざり合おう」
と、宇宙に対してリクエストもしていました。
深い瞑想から覚め、目をあけてみると、なんだかいつもと雰囲気が違います。
部屋の家具や、外から聞こえてくる音はいつもとまったく変わらないのですが、それらの捉え方がこれまでとは全然違うのです。
しかもいつもは、覚醒後にとてもスッキリしているのですが、今回はひどくぼーっとしている。
でもそれは決して不快ではなく、休日の朝の目覚めのまどろみのような感覚で、とても気持ち良いのです。
ぼーっとしながらも、「何が変わってしまったのか」を観察しながら過ごしていると、わかった事がありました。
それは、
『”自分”の認識が、「内側」から「外側」へひっくり返った』
という事です。
いままで”自分”は、この体の内面に宿っており、体の内側から外側に向けて、この世界を探検しているという認識でした。
特にここ数年は、自分の内面世界の探究心が強く、健康や心理などの事を探る時も、自分の体の中を観察する事が当たり前になっていました。
そのため、「自分」と「外の世界」は、自分の表皮を境界にして完全に分離しているものであり、まったく別のものだと認識も持っていました。
しかし、今回「ひっくり返った」事により、”自分”は体の内側に宿っている訳ではない事を理解しました。
「今まで外界だと思っていたものが、”自分自身”だった」
「この宇宙自体が自分だったんだな」と。
皮膚が痛みを感じる時、体の内部が痛みを感じているのではなく、表皮の外側(外界の自分)が感じている。
「息を吐いて放出する」と思っていたけど、実際は外界の自分が取り込んでいる。
身の回りの騒音が聞こえてくると思っていたけど、本当は「自分自身の音」を聞いている。
肉や野菜は自然のものを採取して食べているけど、”自然”とは自分自身のことだった。
美しい景色を見て感動した時は、それは自分自身を見て感動したということ。
身の回りに置いてある物を見て、全部が”自分色”に染められているのは、それ自体が”自分自身”だから。
物や他人や動物や地球や宇宙を、全部ひっくるめたのが”自分”だった。
そして、この人間の体の五感を通して、自分自身の内部を感じている。
「自分」という世界を探検しているという事です。
なぜ、人体と同じように、宇宙は循環をしていたのか。
なぜ、人体と同じように、地球はちゃんとバランスを保ってきたのか。
今回の体験が、その問いの答えが見つかるきっかけでもあると感じています。
この世界は、まるで母親のお腹の中にいるような安心感に包まれた世界です。
これまでは自分の事を「ちっぽけな個人」と心のどこかで思っていました。
でも、本当は全部が繋がっていたんだなと思えてきています。
今目の前に広がる空は、大昔から自分の事をずっと見守ってくれていたんだなと感じます。
大昔から、宇宙はずっと自分を包んでくれていたんだなと感じます。
世界は愛に溢れているんだなと体感できるのです。
今回の体験は、まだ昨日の今日の話なので、これからどのように変化していくのかはわかりません。
でも今回の体験のおかげで、
「もっと美しいものを見たい」
「色々な美味しいものを食べたい」
「この世界をもっと感じたい」
という欲求がさらに強くなりました。
これまで僕の心理の探求の発信の内容を参考にしていただいた方には申し訳ないのですが、今回僕の人生のステージが変わった事で、僕の価値観も大きく変わるかと思います。
そのため今まで発信してきた発言とは矛盾したメッセージも出てくると思います。
それでもやっぱり、この世界は「自分の体感が絶対だ」という事は、今までもこれからも変わりません。
自分が信じた事や感じた事を発信するスタンスも変えません。
新しいステージに入ったばかりでわからない事だらけなので、曖昧なメッセージも増えるかと思います。
noteの発信頻度は減ってますが、これからもぼちぼちと発信していきます。
興味本位でも大歓迎ですので、たまにこのnoteやSNSを覗きにきていただけると嬉しいです。
このnoteを見てくれたあなたに愛を。
今日も素敵な人生をお過ごしください。
鈴木天尋
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