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中国皇后記

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このマガジンでは、中国の皇后について紹介した記事をまとめています。中国ドラマに沿った内容も書いているので、ぜひご覧下さい!
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記事一覧

唐の正室格まとめ

 こんにちは、翎浅(れいせん)と申します。唐の皇后について調べ物をしていましたら、皇后に代わって後宮を治めていたみたいな女性だったり、皇后になりかけた女性が沢山いるのを見つけまして、趣味でまとめてみました。なにかの役に立つとよいのですが...。 1 高祖  ·太穆皇后窦氏   原配、太宗の母。即位前に没。   子女は四男一女。  ·貴妃万氏   窦氏亡き後、後宮の主だった。高祖や諸     王、公主から常に尊敬された。   子女は一男。  ·昭儀宇文氏   窦氏亡き後に最

中国皇后記11 愛と憎しみに飲み込まれた皇后 文元皇后 袁斉嬀

 こんにちは、翎浅(れいせん)と申します。今まで五胡十六国時代の皇后達を多くご紹介してきました。今回は文元皇后·袁斉嬀(ぶんげんこうごう·えんせいき)を紹介します。愛憎渦巻く人生をどうぞ! 1 文元皇后·袁斉嬀の幼少期  文元皇后·袁斉嬀(405年〜440年)は、南朝宋の文帝劉義隆(407年〜453年、りゅうぎこう)の皇后です。傲慢な性格だと言われることもありますが、非常に繊細な性格と言ったほうが正しいです。彼女の幼少期は良いものではありませんでした。役人である袁湛(えん

中国皇后記 番外編3〜後宮事情〜

 こんにちは、翎浅(れいせん)と申します。今回は、今まで紹介してきた皇后達が治めていた後宮事情と夫である皇帝についてを見ていきます。よければ、見ていってください。(今回は中国皇后記10まで) 8 興聖尹皇后  まず最初に、興聖尹皇后こと尹夫人の後宮事情についてお話します。彼女の夫は、西涼の武昭王·李暠です。"李尹王敦煌"と称されたように、尹氏と共に乱世には珍しく、安定した国家を築いた名君です。彼の後宮を見ていきましょう。 正室 辛夫人(前妻) ·子女  長男(太子)  

中国皇后記10 対照的な2人の女性·献文皇后 羊献容と貞定妃 王恵風

 こんにちは、翎浅(れいせん)と申します。中国皇后記、記念すべき10回目のブログとなりました。翎浅と同じように、中国の歴史が好きな方がいらっしゃることに、喜びを感じています。見てくださる皆様、本当にありがとうございます。スキを押してくださった皆様、いつも心が温かくなります!ありがとうございます。これからも改善しながら、より様々な人物を知っていただけるように頑張っていきます!  それでは、本題に入りましょう。今回は、五胡十六国時代の皇后であり、2人の皇帝に嫁いだ稀有な皇后·羊献

中国皇后記 番外編2〜後宫事情〜

 こんにちは、翎浅(れいせん)と申します。今回は、今まで紹介してきた皇后達が治めていた後宮事情と夫である皇帝についてを見ていきます。よければ、見ていってください。(今回は中国皇后記7まで) 4 成哀皇后段氏 献武皇后段氏  まず、成哀段皇后の夫である慕容垂(ぼようすい)についてです。五胡十六国時代の後燕の創建者で、前燕の太祖と蘭淑儀の息子です。夫には、段元妃の前に3人の正室がいました。 慕容垂の後宮(子の順番は少し史実と違う可能性があります。あくまで誰が誰の出生かを見てい

中国皇后記9 愛されし東晋の賢后達

 こんにちは、翎浅(れいせん)と申します。今回は、五胡十六国時代に存在した、東晋の皇后を紹介します。ぜひ、色々な皇后を見ていってください。 1 元敬皇后·虞孟母 生い立ち  元敬皇后虞孟母(278年〜312年、げんけいこうごう·ぐもうぼ)は、東晋の初代皇帝·元帝の皇后です。虞豫と正妻の王氏の間に生まれました。美貌と優しい心の持ち主でした。文墨に精通し、道理を知っていたそうです。早くに両親を亡くし、貧困に苦しみました。しかし、虞孟母の名声を聞きつけた王時代の元帝(276年〜

中国皇后記8 稀代の女政治家 興聖皇后尹氏(尹夫人)〜後編〜

 こんにちは、翎浅(れいせん)と申します。今回は、五胡十六国時代の後涼の賢后·尹氏(いんし)の晩年についてです!こちらは後編となっております。 〜軽くおさらい〜  美しく、聡明な尹氏は、2度目の結婚で李暠(りこう)に嫁ぎました。夫婦はお互いを支え合い、涼を建国して李尹王敦煌と称されました。そんな夫が逝去し、西涼の行方はいかに…? 西涼の滅亡  417年、李暠は息子に天下統一を託して亡くなりました。享年65歳。後を継いだのは、李暠と尹氏の息子です。尹氏は王太后となりました。

中国皇后記8 稀代の女政治家 興聖皇后尹氏(尹夫人)〜前編〜

 こんにちは、翎浅(れいせん)と申します。今回は、五胡十六国時代の後涼の賢后·尹氏についてです!かなり長いので、前編と後編に分けさせていただきます。今回は、尹氏の半生を紹介します。 はじめに  興聖尹皇后(こうせいいんこうごう)は後涼の後主の母であり、興聖皇帝または武昭王と称される李暠(りこう)の妻です。生前の地位は、王后でのちに王太后となりました。様々な呼ばれ方があり、西涼を認めない国では尹夫人、西涼では尹太后、武昭王后また、夫が唐朝によって皇帝に追贈されたため、尹皇后

中国皇后記 番外編〜後宮事情〜

 こんにちは、翎浅(れいせん)と申します。今回は、今まで紹介してきた皇后達が治めていた後宮事情と夫である皇帝についてを見ていきます。良ければ、見ていってください。(今回は中国皇后記3まで) 中国皇后記1 光献皇后李氏   光献李皇后(こうけんりこうごう)の夫は、金朝の5代皇帝·世宗です。世宗は、金朝初代皇帝·太祖の孫で、名は完顔雍(かがんよう)、父は太祖の五男で母は側室の李氏でした。彼は仁孝な性格で安定した治世をつくりだした名君です。彼の後宮を覗いてみましょう。 正室

中国皇后記7 乱世の賢后·昭成皇后慕容氏

 こんにちは、翎浅(れいせん)と申します。今回の皇后は、五胡十六国時代の北魏の前王朝·代の皇后です。彼女は道武帝の祖母に当たる人物です。 昭成慕容皇后とは?  昭成慕容皇后(しょうせいぼようこうごう、4世紀〜360年)は、代国の最後の皇帝·昭成帝の3番目の妻で、のちに孫の道武帝によって皇后に追贈された女性です。彼女はもともと、代国の隣国·慕容氏が治める前燕の公主でした。慕容皝(ぼようこう)の娘として生まれ、初代皇帝の妹でもありました。母親や名は不明です。  344年に慕容

中国皇后記6 世を照らせし皇后·明徳皇后強氏

 こんにちは、翎浅(れいせん)と申します。今回は五胡十六国時代·前秦(ぜんしん)の皇后を紹介いたします。それではいきましょう。 明徳強皇后とは?  前秦で有名な皇帝といえば、やはり符堅(ふけん)でしょうか?明徳強皇后は、後秦の初代皇帝·景明帝こと苻健(ふけん)の正妃です。"明徳皇后"と聞くと、やはり後漢の明帝の明徳馬皇后を思い出しますね。強氏はどのような人生を歩んだのでしょうか。  強氏は氐族(ていぞく、チベット系の民族)出身の女性で、弟に強平がいました。強氏は即位前の

中国皇后記5 忠節に散った鳥籠の皇后·穆皇后楊氏

 こんにちは、翎浅です。今回は前回に引き続き、五胡十六国時代の皇后を紹介します。 初めに  穆楊皇后(ぼくようこうごう)は、五胡十六国時代の後涼の霊帝·吕纂(りょさん)の皇后です。後涼は呂氏が立てた王朝で、前秦から派生した王朝。夫は弟から帝位を奪い、在位一年あまりで従兄弟の呂超(りょちょう)兄弟に帝位を追われた皇帝です。 楊氏の人生  楊氏は金城侯·楊恒(ようこう)の娘として生まれ、政治的な理由で後涼·初代皇帝の庶長子である吕纂に嫁ぎました。楊氏は容姿が美しく、剛烈で

中国皇后記4 宿命に燃える姉妹·成哀皇后段氏 献武皇后段氏

 こんにちは、翎浅と申します。今回から五胡十六国時代の皇后を見ていきましょう。今回はある姉妹を紹介いたします! 初めに  成哀段皇后(せいあいだんこうごう)が姉で後燕(ごえん)の初代皇帝・慕容垂(ぼようすい)の妻、献武段皇后(けんぶだんこうごう)が妹で南燕(なんえん)の初代皇帝・慕容徳(ぼようとく)の妻です。この姉妹は慕容氏の治める前燕(ぜんえん)という国に生まれました。段氏は鮮卑族の名門であり、前燕の初代皇帝の慕容皝(ぼようこう)の妻・文明段皇后(ぶんめいだんこうごう)

孤城閉〜仁宗、その愛と大義〜 北宋時代のドラマの後宮ー仁宗編

 こんにちは、翎浅(れいせん)と申します。BSで放送予定の北宋時代のドラマ「孤城閉~仁宗、その愛と大義~」。前回は真宗の後宮について紹介しましたが、今回は仁宗の後宮について紹介します。史実に基づくドラマのため、ネタバレが含まれています。  仁宗(1010年~1063年)は、北宋の四代皇帝で「孤城閉~仁宗、その愛と大義~」の主人公です。仁宗は北宋の皇帝の中で最も有名で、慶歴の治(けいれきのち)と呼ばれる時代をつくりました。仁宗の治世は41年、父・真宗が早くに亡くなったこともあ