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中国皇后記4 宿命に燃える姉妹·成哀皇后段氏 献武皇后段氏

 こんにちは、翎浅と申します。今回から五胡十六国時代の皇后を見ていきましょう。今回はある姉妹を紹介いたします!


初めに

 成哀段皇后(せいあいだんこうごう)が姉で後燕(ごえん)の初代皇帝・慕容垂(ぼようすい)の妻、献武段皇后(けんぶだんこうごう)が妹で南燕(なんえん)の初代皇帝・慕容徳(ぼようとく)の妻です。この姉妹は慕容氏の治める前燕(ぜんえん)という国に生まれました。段氏は鮮卑族の名門であり、前燕の初代皇帝の慕容皝(ぼようこう)の妻・文明段皇后(ぶんめいだんこうごう)を始め、その息子の2代皇帝・慕容儁(ぼようしゅん)の景徳段皇后(けいとくだんこうごう)、慕容垂の最初の妻・成昭皇后(せいしょうこうごう)も段氏で、その他にも多くの段姓の皇后がいました。姉妹はその中の1人ですが、他の皇后よりも逸話が残っている姉妹なのです。

姉妹の生い立ち

 姉妹の父は右光禄大夫(うこうろくたいふ)の段儀(だんぎ)という人物。姉の段氏は名を元妃(げんひ)、妹は季妃(きひ)と言いました。この姉妹は少女のころに元妃が「私は凡人の妻にはなりませんよ」と言うと、季妃も「私も庸人の妻にはなりません」と言ったという逸話が残っていて、明らかに志が突出していました。姉妹は成長すると、美しく、頭の良い女性に成長します。

 20代で元妃は慕容垂に、季妃は慕容徳に嫁ぎます。いずれも初代皇帝の皇子であり、才ある王達でした。2人は幼き日の誓いを実現させました。しかし少し問題があり、元妃は慕容垂の4番目の妻でしかも59歳という高齢でした。季妃もまた、慕容徳の継室であり、夫は49歳でした。(それで良いのか、段姉妹!)夫達は美しく、賢い新妻を愛し、元妃には2人の息子が、季妃には娘が生まれました。姉妹の人生は順調のようにも思えましたが…
 ここからは姉妹別にみていきます。

元妃の半生

 元妃は始め側室として嫁いでいますが、慕容垂が皇帝になると皇后として正室となりました。あくまで見解ですが、夫を良く支え、寵愛された為と思われます。しかし、この頃から暗雲が立ち込めます。同年、皇太子に立てられたのは元妃の息子ではなく、先段氏が産んだ嫡長子・慕容宝(ぼようほう)でした。しかし、慕容宝は優柔不断で賢明とは言えませんでした。元妃はそれを見抜き、慕容垂にたびたび「太子は優柔不断であり、乱世の英主ではありません」と言って、慕容農(ぼようのう)と慕容隆(ぼようこう)のうちから新たに太子を立てるよう諌めました。また、暗愚な慕容麟(ぼようりん)の誅殺も進言します。しかし、慕容垂は激怒して「私を晋の献公だと思っているのか」と叱責し、聞き入れませんでした。献公は、春秋戦国時代の晋王で、驪姫という寵妃に操られて、息子を自殺させてしまった人物です。元妃は泣きながら季妃に訴え、「范陽王(慕容徳)は非常な器量を持っている。もし燕の命脈がまだ尽きていなければ、彼は皇帝となる」と言ったといいます。元妃は国の行方を案じ、罰は覚悟の上での発言でしたが、慕容宝や慕容麟を始め、多くの人々の恨みを買うこととなります。実際、元妃が勧めた二人の皇子は実子ではありませんし、この諫言は正しいものでした。

 慕容垂が崩御すると、翌日帝位を継いだ慕容宝によって賜死を命じられます。元妃は怒って、「母をたやすく殺すお前たちに、国を守ることができようか。私は死を惜しまないが、間もなく国が滅びるのを心配する」と言い放ち、自殺します。慕容宝はそれに激怒して、元妃を追廃しようとします。群臣はことごとく賛成しますが、中書令だけは「息子には継母廃除の権限がありません。後漢の安思皇后は順帝に排斥されましたが、それでも最後に安帝と合葬されました」と諌めました。慕容宝はこれに従い、元妃は「哀」の諡号が贈られ、夫の諡を重ねて成哀皇后と称されました。悲しい最後ですね。ちなみに後燕は11年で滅ぼされることとなります。

季妃の半生

 季妃は妻子を殺害された慕容徳に継室として嫁ぎ、夫が燕王となると、自身は王后に立てられます。姉の意志を継ぎ、皇帝となる夫を支えて季妃は皇后になりました。慕容徳と季妃には男子がいなかったので、やむなく甥の慕容超(ぼようちょう)を皇太子としますが、これが災いとなります。
 慕容徳が崩御すると、慕容超が帝位を継ぎ、季妃は皇太后となります。しかし、慕容超は讒言を受けて功臣をことごとく粛清し、また享楽に走り民衆を苦しめる暗君でした。臣下達は季妃を説得し、慕容超の廃位を画策します。しかし計画は失敗し、季妃は皇太后の号を剥奪され、その後の終息はわかっていません。諡号がない為、ここでは献武皇后と記載しておりますが、翎浅の希望では、献恭皇后と追贈してほしいです(笑)

まとめ

 悲しくも誇り高い姉妹は己の使命に燃え、儚くも散ってゆきました。元妃はその賢さがゆえ、多くの恨みを買った賢后として、季妃は慕容徳の唯一記載された妻で愛された良妻として語り継がれて欲しいですね!それでは以上とさせていただきます。 

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