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中国皇后記 番外編2〜後宫事情〜

 こんにちは、翎浅(れいせん)と申します。今回は、今まで紹介してきた皇后達が治めていた後宮事情と夫である皇帝についてを見ていきます。よければ、見ていってください。(今回は中国皇后記7まで)


4 成哀皇后段氏 献武皇后段氏

 まず、成哀段皇后の夫である慕容垂(ぼようすい)についてです。五胡十六国時代の後燕の創建者で、前燕の太祖と蘭淑儀の息子です。夫には、段元妃の前に3人の正室がいました。
慕容垂の後宮(子の順番は少し史実と違う可能性があります。あくまで誰が誰の出生かを見ていただけたら…嬉しいです)

正妻
成昭段皇后(先段妃)
·子女
 長男(献荘太子)、四男(恵愍帝)
最初の正室で、容姿が美しく、才能があり、したたかで傲慢な性格でした。兄嫁に対して、非常に無礼な態度をとったため、恨みで無実の罪を着せられてしまいます。その後、段氏は拷問にかけられてしまいます。慕容垂は愛妻に心を痛め、罪を認めるようにいいました。しかし、夫に被害が出るのを恐れた段氏は「私は死ぬことを恐れませんし、決して先祖たちと王に累を及ぼしません」と必死に耐えました。しかし、段氏は拷問のすえに死亡し、慕容垂はその死を深く悲しみました。慕容垂はのちに兄嫁を追い落とし、妻の仇をうったとされています。昭皇后と追贈されました。

成哀皇后段元妃
·子女
9男、10男

·長安君·可足渾氏(かそくこんし)
段夫人離縁後に継室となりましたが、先段妃を死に追いやった兄嫁の妹でした。そのため、慕容垂はあえてその縁談を断らずに、長安君を冷遇しました。その後、離婚したとされています。

·段夫人
先段妃の妹で、姉が亡くなると継室となりましたが、離婚させられました。しかし、長安君と離婚すると、慕容垂は再び段夫人と再婚しました。一方で亡命先の君主に段夫人は執心され、一時期は後宮に入れられたとされいます。段元妃を娶る前に亡くなったと思われます。

側妻
段貴嬪(皇太后)
·子女  
 8男(昭文帝)

母不明の子女
 次男
 5男(段元妃が後継に推薦した皇子)
 3男(愛妾の子とされている、段元妃が後継
   に推薦した皇子)
 6男
 7男

 次に段季妃の夫·慕容徳について。慕容徳は、慕容垂の異母弟であり、母は公孫夫人です。慕容垂が独立するのに伴った時、慕容徳の妻子は皆、殺害されました。段季妃はその後に継室となったと伝わっています。

正妻
献武皇后段季妃(後妻)
·子女
 少なくとも一人の女子
某氏(前妻)

側妻
·不明

生母不明の子女
 少なくとも一人の男子
 平原公主·慕容婉音
 楽安公主

 段元妃も段季妃も夫に大切にされているのが分かりますね(^^) 段氏が多すぎて、困ってしまいますが…

5 穆皇后楊氏 

 夫の霊帝は、後涼の3代皇帝。弟の宰相から皇帝となりました。勢力を進めましたが、挫折して酒色にふけるようになったといいます。

正妻 
穆楊皇后

 若いのもありますが、正室として大事にされていたのではないでしょうか?

6 明徳皇后強氏

 苻健(ふけん)は前秦の初代·景明帝。名君としてしられ、強皇后を愛していました。

正妻
明徳強皇后
·子女
 長男(献哀太子)、3男(皇帝)、8男

側妻
韓昭儀

生母不明の子女
 次男、4男、5男、6男、7男、9男、10男、11男、12男

 苻健の妻としてよく支え、夫婦仲は良さが分かるような気がします!

7 昭成皇后慕容氏

 慕容皇后の夫は、昭成帝。智勇があり、寛大で背が高く、高い鼻を持っていたといいます。名君として有名です。

正妻
慕容妃
 慕容皇后の叔母。正妻として嫁ぎますが、二年後に逝去しています。
慕容妃
 慕容氏の親族。先妃の死後嫁ぎますが、早くに亡くなったと思われます。

昭成慕容皇后
·子女
 次男(献明帝)、3男、4男、8男、他2人の男子

生母不明の子女
 長男、7男、9男、他3人の男子と4人の女子

 昭成皇后がどれほど寵愛されていたかがわかりますね!

まとめ

 今回は、4人の皇后たちの夫と後宮についた軽く紹介しました。色々な後宮背景がある中で、どの皇后も夫から愛されていたことが分かるような気がします。皇后記がより分かりやすくなれば、幸いです。以上で終わりとさせていただきます。

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