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中国皇后記7 乱世の賢后·昭成皇后慕容氏

 こんにちは、翎浅(れいせん)と申します。今回の皇后は、五胡十六国時代の北魏の前王朝·代の皇后です。彼女は道武帝の祖母に当たる人物です。


昭成慕容皇后とは?

 昭成慕容皇后(しょうせいぼようこうごう、4世紀〜360年)は、代国の最後の皇帝·昭成帝の3番目の妻で、のちに孫の道武帝によって皇后に追贈された女性です。彼女はもともと、代国の隣国·慕容氏が治める前燕の公主でした。慕容皝(ぼようこう)の娘として生まれ、初代皇帝の妹でもありました。母親や名は不明です。
 344年に慕容氏は同盟のために、代国の大人(長のこと)である昭成帝に嫁ぎました。初め、彼女の叔母が妻でしたが、2年後に亡くなりました。その後、慕容氏の族妹が嫁いでいますが、間もなく亡くなったようです。慕容氏は前燕から嫁いだ3番目の妻でした。それだけ大事な同盟だったようです。慕容氏は聡明で機転が利き、豊富な知識でたくさんの良案を思いつくことが出来ました。その意見の多くが政治に取り入れられたといいます。また、愚臣を避けるように進言し、夫を救いました。また、冷静かつ寛大な性格で決断力があり、後宮を上手く治めることが出来ました。その為、夫からとても愛され、2人の間には次男で道武帝の父·献明帝をはじめ、7人の息子が生まれました。慕容氏の子と特定できる息子は、3男と4男で他は生母が分かっていません。今後、中国皇后記で紹介してきた皇后の後宮事情を書きたいと思います。
 慕容氏は360年に亡くなります。昭成帝の嘆きは激しかったことでしょう。息子達もまだまだ幼かったようです。間もなく代は滅び、慕容氏の息子の多くが殺害されました。しかし、道武帝が立ち上がり北魏を建国しました。夫は昭成帝と追贈され、慕容氏も昭成皇后と追贈されて雲中金陵に葬られました。

まとめ

 今回は昭成慕容皇后について紹介しました。資料が少ないですが、夫にとても愛されて、国も支えました。彼女をモデルにした小説を書きたいですね☆私の中の私的賢后です笑。それでは終わりとさせていただきます。

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