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中国皇后記5 忠節に散った鳥籠の皇后·穆皇后楊氏

 こんにちは、翎浅です。今回は前回に引き続き、五胡十六国時代の皇后を紹介します。


初めに

 穆楊皇后(ぼくようこうごう)は、五胡十六国時代の後涼の霊帝·吕纂(りょさん)の皇后です。後涼は呂氏が立てた王朝で、前秦から派生した王朝。夫は弟から帝位を奪い、在位一年あまりで従兄弟の呂超(りょちょう)兄弟に帝位を追われた皇帝です。

楊氏の人生

 楊氏は金城侯·楊恒(ようこう)の娘として生まれ、政治的な理由で後涼·初代皇帝の庶長子である吕纂に嫁ぎました。楊氏は容姿が美しく、剛烈でしたたかな忠義に厚い女性でした。夫が即位すると、皇后に立てられました。夫とのエピソードは特に伝わっていないのですが、吕纂は楊氏以外の妻、子供の記載はありません。翎浅の個人的な想像としては、吕纂は楊氏を大切にしていたのではと考えています。それでも荒耽酒色(こうたんしゅしゅく)と資料に書かれていますので、一体どうなのでしょうか…。
 即位から1年後に呂超兄弟が謀反を起こします。楊氏は皇帝に代わり大臣の杜尚(としょう)に呂超の討伐を命じますが、杜尚はそれを断って禁軍は解散されてしまいます。その為、呂超の軍を止めることは出来ず、夫は殺害されました。その後、1人の将軍がやって来て楊氏の夫を斬首しました。その光景に楊氏は嘆き、「夫は死に、土や石のように知るべきことはないのです。その姿を更に傷つけるとは何事です!この有様をどのように耐えれば良いのですか!」と将軍を叱気しました。その後、楊氏は侍女10名のみを引き連れ、夫を埋葬しました。

 楊氏は後宮を去る事とし、呂超は楊氏が宮廷の宝物を持ち去る気だと思い、捜索しました。なんとも強欲ですね。楊氏は「あなた方は兄弟で殺し合うという義に反する事をしました。私はもうすぐ尽きる命です。お宝など何の役にも立ちません」と激怒したそうです。呂超は恥じ入って、捜索をやめました。その後、更に呂超は楊氏に皇帝の玉璽の事を尋ねると、楊氏は「破壊された」と答えました。
 それからしばらくして、呂超の兄の呂隆が皇帝として跡を継ぎました。呂超はその宰相となりました。ちなみに楊氏の夫は、霊帝と贈られます。楊氏は夫を失い、再嫁せずに生涯孤独に過ごすことを選びました。しかし、運命がそれを許すことはありませんでした。呂超が楊氏の美貌に惚れ込み、妻にと望んだのです。父の楊恒は、断れば一族が危機にさらされると警告しました。楊氏は父に怒りを露わにして「父上は一族の為に私を利用しました。そのような事は1度で十分です。2度も私を売るのですか」と自身の不遇を嘆いて自殺しました。 
 穆皇后と追贈されました。"穆"は徳と義を持っていた、という意味です。楊恒は、隣国へ亡命してその地で亡くなりました。

まとめ

 楊氏は現代と近い価値観を持って生きた女性でした。夫に一生涯忠実で最後は悲痛なものでしたが、かっこいいと思える生き方だと感じました。それでは以上とさせていただきます。

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