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さらば、旧世界〜来たる高度情報化社会に備える〜

皆さんこんにちは♪

岡田斗司夫さんの『僕たちの洗脳社会』という本を基に、話していきます。


では、本題に入ります。


1.旧世界の価値観と今後主流になる価値観の相違


(1)現代の若者の特徴



「今の若者は何を考えているかわからない」



いつの時代も、若者と30代以上の世代とのギャップは存在していますが、
現代ほど、「若者が何を考えていてどう接していいのか分からない」時代は、なかったのではないでしょうか。


一般的に言われていることとして、
・覇気がない
・自分の意見がない
・我慢が足りない
・考えが甘い、ぬるい
・理系離れ
・就職しない

などが挙げられます。


ここに、物事に対する捉え方・考え方の違いが隠されているのですが、
そもそもなぜ若者は、
「覇気がなく」
「自分の意見がなく」
「就職したがらない」のでしょうか。


1つは、若者を中心に科学・経済への信頼が無くなったことが挙げられます。


科学はキリスト教から生まれました。
「神様が作ったこの世界には様々な秩序・叡智が隠されている」と、
敬虔なキリスト教徒の間でそれを実際に見ようと、研究するようになったのが始まりです。

病気を治し、生活を豊かに便利にしてくれる科学技術でしたが、
現在の科学(科学者)は、企業や国家の利益を最大にすることに重きを置いていて、人類を豊かにするということを第一に考えてはいません。


現代の若者の理系離れが激しいのもこのためで、そういう構造に気づいてしまったからです。


次に、経済への信頼の喪失です。


産業革命以前は、生まれながらの「身分」があり(生まれ持った身分として人生を全うすることが美徳とされた)、
人々は神様(神父)から生き方や処世の答えを教えられていました。


しかし、答えを提示されなくなった人々は、自分で"生き方"を模索していかなければなりません。


この数百年、毎年形を変えて新しい「自己啓発本」が出版されるのもそのためです。


人々は「自分のあるべき姿」「生きていく意味」を見出そうと、必死に自我の確立を求めました。
言い換えると、外側に「答え」を見出そうとしてた時代です。

「自我」とは、「エゴ」のことです。

徐々に薄れてきていますが、
つい最近まで学歴や出世、結婚などに置いて競争が激しいのもエゴを助長されるような社会構造だったから。


そして、プレッシャーに押しつぶされ競争社会に順応できなかった人たちが、
過剰なストレスにより現代の病とも言うべき、
「自己嫌悪」や「うつ」、「ノイローゼ」などにかかるわけです。

何をそんなに追い求めてる?




また、このような負の側面を抱えていると同時に、必死に働くことで「環境を壊している」ことが明らかになりました。


沢山のモノを生産し、消費すればするほど環境を破壊してしまった今の現状が、現在の自由経済が行き着いた結果なのです。


日本の場合、高度経済成長期には皆んなが必死に働きました。
働けば働くほど、自分の生活と国が豊かになると信じていたからです。
その時に、「環境を破壊している」なんてことは毛頭にありません。



現代は経済至上主義やお金稼ぎ主義に対していかがわしい風潮もあります。


経済の内部に、
「きちんと就職して働いてお金を稼ぐこと」が、幸福の価値観に含まれていないから経済へ信頼しなくなったのです。



(2)人生に見出す意味・意義の違い



現代の価値観の主流となっているのは、
「働かざる者食うべからず」。


中世のヨーロッパでは「勤勉」は最も罪深いもので(モノの消費を活発にし、かえってモノの不足を招くから)、弱き者に援助を与えることが素晴らしいとされました。

しかし、現代では「弱さ」は、仕方のないことでなく、あなたの自己責任という価値観が根付いています。


先に申し上げておくと、わたしは何も「働かないことが素晴らしい」と、言いたいのではありません。


他の記事でも書いたように、産業革命以降の人々の「勤勉さ」が生活を豊かにした側面があります。


私が言いたいのは、
「数年前とは違い、若者は自分のあるべき姿を求めることが幸福に繋がらないと分かったため、別の価値観を基に新しい"大人像"を見出そうとしている」ということです。
※「こうあるべき姿」は、本当はありません。


高校や大学を卒業した後、美術や芸術の専門学校、アニメーション、ウクレレといった、つまり「メシの種にならない」分野を学びにいく若者が増えているのもこのためだと、岡田斗司夫さんは著書で述べています。


わたしは1つ前の記事で、実社会で役立つ英会話や資格などのお金に直接結びつく勉強ばかりするのはもったいない、むしろ、自分の価値観に沿った勉強が「本当の勉強」だと思う、と書きましたが、同じ話です。


何者にもなりたがらない現代の若者は、
自分の気持ちをとにかく大切にして生きています(勿論、すべての若者ではありません)。


これが、現代の若者を理解するための大きな鍵だと思っています。


自分の気持ちを通すことに関してはとにかく「ワガママ」で遠慮しません。
それは、彼らの生き甲斐に繋がっているからです。


これについて大人から、
社会の厳しさを知らずまたは知ろうともせず、そのような枠組みから「逃げた」と、言われるのは仕方がないですね。
(ですが、賛成は出来なくても理解して尊重することはできるはず)



2.今後は価値観を"選ぶ"時代


(1)価値観が多様化する社会


現代は「高度情報化社会」です。
様々な情報が溢れ、私たちは日々、スマホやテレビなどを通じて情報に触れています。


ここで、少しだけ「メディア」「情報」について簡単に触れておきますね。


現代はマルチメディア社会とも言われますが、情報の量が増えて、私たちは多くの事実を知れるようになったと、思っています。


しかし、本質は異なります。


「情報が増えた」と、思っているのは事実(情報)が増えたのではなく実際のところは、
「1つの事実に対しての解釈や意見」が増えただけなのです。


最初に話した科学の例で言うと、専門家の数だけ言説がある始末。
企業や国家のために働いている訳ですから、後ろに付いている人が違えばその分だけ、意見はあるのです。
また、報道番組でも専門家や御用達者たちが、1つの事件・ニュースに対してそれぞれの意見について述べます。


テレビや映画の中には、
私たちに対して「こう思ってください」と、言わんばかりに制作した人の価値観や世界観を押し付けてくる作品があります。


これが、有名で影響力のある監督や制作チームが作ったものならなおさらです。

ハリウッド映画


岡田斗司夫さんはこの「意図の強制」を、

"洗脳"と呼んでいます。


(洗脳と聞くと、何か脳にプラグを繋がれて一定の思考になるよう誘導する、イメージがあるかもしれませんがそうではなく、
「ある人が自分の価値観や世界観、センスを伝えるもの」、だと思ってもらえれば大丈夫です)


特に日本では「テレビ」が、マスコミの中で最も洗脳力が強いツールでした。
高度経済成長期から現代までの約50〜60年は、テレビから発信される価値観や世界観が多くの人々に浸透していたわけです。


ほぼ唯一の情報源だったテレビ



『価値観が多様化する社会』と書きましたが、私たちの生活の中に向けて発信される価値観・世界観が今後、益々増えていくのです。

テレビの影響力が弱くなり、これまで人々はただただ「洗脳」を受けていただけですが、


今後、1人ひとりが「洗脳」(意図の強制)する側にもなれるということです。


それはSNSやインターネットの普及、若者が自分の気持ちを大切に生きていこうとする動きが、活発になるからです。


そういう意味では、
普段わたしもこのnoteで好き勝手に様々な記事を書いていますが、
自分の価値観や世界観を読者に向けて、
発信(意図の強制)をしているわけです。



わたしはSNSやインターネット、テレビ、映画、本、小説、ドラマなどから洗脳を受ける
「被洗脳者」でもありながら、


同時に、自分の価値観・世界観を発信する
「洗脳者」でもあるわけです。
(もう一度言いますが、洗脳は「意図の強制」です)


そして、こうした「洗脳者」(発信者)が今後益々増加していきます。


そうなった時私たちは、

"どの価値観を心地よいと思い、選び、どういう価値観を持った人たちと関わりたいか"


この答えを明確に持てると、自分にとって余計なものから振り回されることはなくなるでしょう。


若者は、自分の気持ちを大切にして生きていると先述しました。


テレビの影響力が小さくなっているのもこのためです。


自分の価値観や世界観を壊され、1つの価値観・考えに強制されるのを大いに嫌うため、テレビよりもそれぞれが全く違う、自分の好きなYouTuberを見ているのです。


(2)あらゆる関係性が変わっていく


さて、今後は価値観を選ぶ時代になるということを説明しましたが、


避けて通れないのが、人間関係の再構築


言い方を変えると、「見直し」ですかね。


これまで主流だった、
「何か1つの自分の在り方に沿って生きていくことが良し」とされた価値観は、
どうしても無理が生じると言うことです。


前半部分で、若者は「自分のあるべき姿」を追い求めるのに疲れていると書きました。


現代の若者は、幼少期から様々な環境に飛び込んで生活し、多くの価値観を触れることに慣れています。


例えば、塾や習い事、クラブ活動、学校、家族、親戚、ネット環境。
中には「子役」など、お仕事をしている場合もあるでしょう。


戦前・戦後では考えられませんでした。
当時は、同じ地域の子どもとずっと遊ぶことがほとんどで人間関係・環境も限定的です。


それが、現代の若者は小さい頃から様々な環境下に身を置き、それぞれの環境の価値観や考え方に適した「自分」を確立していきます。


この心の微妙なバランス調整(自分の使い分け)が、現代の若者は小さい頃から鍛えられているみたいです。


岡田斗司夫さんは、
「ここ数年、『多重人格』がテーマの小説が人気なのはこのためだ」と、著書の中で話しています。


余談ですが、わたしも小さい頃から様々な環境に身を置いてきました。


12歳で親元を離れて寮生活を経験し、
寮の中での自分、
クラス内での自分、
部活動内での自分、
家族と居る時の自分、
恋人と居る時の自分、
バイト先での自分、
仕事先での自分、
小・中・高・大学様々な県を転々としていので、
全部が微妙に違います。


そのため「自分は多重人格なんじゃないか」と、結構本気で思っていた時期があります。笑


話を戻して。



誰しもが自分の価値観・世界観を持っています。
関わる人の数が増えるほど、様々な価値観に触れることになります。


と、考えると。


これまで主流だった、学校や職場、家族での繋がりに固執し過ぎて生きていくことには、これからの時代どうしても無理が生じるんです。


(1)で述べた、高度情報化社会では豊富な価値観・世界観が流通します。

自分が心地良いと感じる価値観、
素晴らしいと感じた価値観、
大切にしたいと思う価値観、

1人ひとりすべて違います。


「関係性」を先に捉えて人間関係を続けると
本当は自分の大切にしている価値観とは全く異なる価値観を持っている相手なのに、付き合っていかなければならないこともありえるでしょう。


もし、そこに相手の価値観に対して『面白い』『学びたい』など、プラスの感情があるなら、関係性を続ければ良いと思いますが、


『一緒に居て辛い』『どうしても疲れる』『嫌な気持ちになる』など、
マイナスの感情があるなら是非、その人間関係を整理すると良いと思います。


かと言って、喧嘩別れをする必要はなく、距離感を変えれば良いのです。



1つの価値観に縛られないためには、この考え方が大切になります。


アニメが好きなら、アニメ好きが集まるコミュニティに参加して、話が合う人たちと触れ合う時間をどれくらい重きを置くのか。


あるいは、家に居て家事をしている『母親』としての時間にどれくらい重きを置くのか。
子供の習い事で知り合ったママ友といる時の『自分』で居られる時間に、どれくらいの時間を費やすか。


どういう人と一緒に、どれくらいの時間を過ごしたいか。


自分の時間を自分の価値観に合わせて、
"コーディネート"することが上手くなると、
人生の幸福度も自然と上がるでしょう♪


わたしもそう思いますし、岡田斗司夫さんも同じことを仰っています。


(3) 自分の価値観・世界観を発信しよう



最後になります。


高度情報化社会においては、今後、益々情報(解釈・意見)と価値観が豊富になります。


ですが、自分にとって心地良い価値観がすぐ見つかるとも限りません。


見出しに書いてる通りなのですが、
いつかいつかと自分にとって大切な価値観が現れるのを待つのではく、

能動的に自分の価値観を発信していけば良いと思います。


今、身近に同じような価値観を持っている人がいないで困っているのであれば、どんどん内側に籠らずに外に出てください。


既に発信している方が居るかもしれませんし、
見つからなければ見つかるまで、自分が信号を送り続ければ良いだけです。



人生は有限ですからね。


受け身でいるのはすごく勿体無いです。


もっともっと、自分の気持ちや価値観を大切にして生きて良いんだと思えたら最高です。


その過程で、周りとの衝突などあるかもしれません。


その時、どのような選択を取るかもあなたの自由です。


『選択をする』とは、言い換えるとあなたがAよりも Bを大切に思ったということです。


そこに正解・不正解なんてありません。


自分の選ぶ価値観が決まらず、ずっーと、
色々な人やモノに気持ちが右往左往していると、それこそが最もな『不幸』です。




自分にとっての幸せを明確にしましょう。



最後まで読んで頂きありがとうございました♪

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