へんてこ長男の幼稚園時代
子供達を通わせていたシュタイナー幼稚園の特徴、覚えている範囲で
⚪年少から年長まで異年齢児クラスの縦割り保育
⚪障害児の受け入れの範囲は広いように感じた
⚪設定保育が少ない
⚪キャラクターもの、テレビ、ゲーム等できるだけ避けるよう言われる
⚪何でも手作り推奨
⚪アナログ推奨
⚪お母さん同士助け合いやすい雰囲気がある
⚪幼稚園終わってから子供の友達預かって
自宅で遊ばせるのが普通
⚪園長先生が保育現場に可能な限りいて、子供達から慕われていた、ギター弾いてくれたり
⚪運動場が狭い
⚪外遊び好き、思いっきり体動かしたい昭和の悪がきみたいな子より
芸術肌、一人でもくもくと作業する子、天才肌が向く保育に感じた
長男の幼稚園時代
長男は最低限の設定保育にしか参加せず、
いつも木の積み木や電車で遊んでいました。
この事はよく言えば、自分の世界を徹底的に楽しめたということだけど、
他の子達なら自然に興味を持って、
当たり前に知っている遊びや話を知る機会を損失したとも言えます。
入学時点で、長男は読み書きできなかったし、絵は殴り書きくらいしかできませんでした。
お絵かきするとき、先生のお手本がないこともこの幼稚園の特徴の一つで、
一度長男は画用紙二枚にわたる作品を持ち帰ってきました。
青一色しか使われていない、ほぼ殴り書きの作品でした。
長男はたくさん友達がいて、新聞紙や広告を細く丸めて作る剣をもよく作って、
みんなと遊んでいました。
長男は自分から友達を作る方ではなく、長男によってくる友達と遊ぶ感じでした。
長男は細かい遊びのこだわりはあるけど、
基本的に優しいし、それ以外の対人関係において人の嫌がることはしない子なので…友達は勝手によってくる感じでした。
年少一年目は仲良し女の子がいて、
よく手を繋いで、何をするにも二人で楽しんでいました。
年中になると自然と男の子同士、女の子同士で遊ぶようになって、
長男はわりとやんちゃで元気なグループにいたのではないかと思います。
この頃の長男の一番の問題は、集団行動できなかったことです。
お遊戯や歌等、全くしませんでした。
私も発表会等みるのがとてもストレスでした。
でも先生方や他のお母さん方、友達もそんな長男をあたたかく見守ってくださり、
集団行動できないことで長男が困ったり、
責められたことは一度もありませんでした。
この幼稚園に長男を通わせて、本当によかったと思うのは、
こういう点です。
幼稚園で長男にかかわってくれた人全員には、
感謝してもしきれません。
思い返せば、この頃から長男は運がよかったのかもしれない…長男は不思議と運がいいのです。
環境に恵まれなければ、長男は発達障害と
診断されていた可能性が高いのではないかと思います。
そして年長になってしばらくすると、長男は突然お兄ちゃんになったのか、
集団行動の一つであるお遊戯や体操などが
できるようになりました!
園長先生いわく、六歳の誕生日を迎えると、ぐんと成長する子が多いということでした。
何があったのかはいまだに謎です。
我が家の子供達の成長の特徴として、
突然成長し、問題がなくなる
という、摩訶不思議な現象があります。
本人にも理由は分からないようです。
でも私たち大人だって、どうやって這い這いから立ち上がって歩けるようになって、
日本語が理解できるようになったのか分からないですよね。
なので自然な本来の成長とは、気づいたら勝手に成長していた…ということなのだと今は理解しています。
こんなことがあって、誰々と出会って、こんな環境になったから成長できた、というのは
ただのその人の感想や推測でしかなく、
本当のところは誰にも分からないのではないかと
私は考えています。
その感想や推測の一つが育児論のノウハウやハウツーであり、
それらの表面上の言葉を真に受けて子供に働きかけるけど、
本質を理解していないから子供が潰れる…
そんな事例が増えているように感じます。
人間の成長のメカニズムはそんなに単純に言語化できるものではないと、
問題児の我が子達をみて確信しています。
ここから幼稚園への不信感、嫌な人はスルー推奨
⚪保護者会が保護者の自主運営、好きなようにしていいのがここの特徴みたいに先輩ママから教えられる
※役員作業等マニュアルなし、前年度からの引き継ぎなし
※春に配られる保護者への手紙に
保護者会は我が園の保育方針にそって運営される
といったことが書かれてあり、
じゃあ自由に自主運営しようにも保育方針から大きく外れたことできないってことで、
マニュアルなしとか引き継ぎなしって
超効率悪いことではないか?と私は思ったけど、誰もそこに疑問を感じていなかった…
特にシュタイナー幼稚園は特徴ある保育だから、
一般の人の感覚なら、教えられなければ保育方針と合わない確率が高いのに。
なので結局その年の役員の人間関係から、去年のやり方等を個人的に聞き出して、
それから大きく外れないように取り組んでいったと
記憶しています。
印象に残っているのは、クラス会でやることの希望アンケートとるために
アンケート作り、印刷、クラスへ配る、集めて集計、クラス会出欠のアンケート配り、集計、それをもとに
さらに材料買い出しやって、当日の段取り組み、準備に後片付け、さらにその後報告のお手紙…
こんなことが続き、さらにお手紙はなぜか全て手書き。
これはごく一部の仕事で、本当にいろんな意味で大変でしたね。
違う年の役員会では、なぜかとある役員の家庭の不遇について話し合い、みんなで号泣するということもあったようで…
私も役員でなくても美化活動しないお母さん方が信じられない、許せない、と役員会で憤慨していたお母さんを見ました…
菜食主義の人が、誰かに高級スイーツもらったら、ありがたくもらうけど捨てる、と堂々と悪びれもなく話をする人とか…
他にも書ききれないほど、私の感覚とは程遠いお母さん達をたくさん見ました…
そして、10年ぶりくらいに
とある習い事で偶然再会した、シュタイナー幼稚園卒園生…
初対面で不登校であることを私に明るくカミングアウト…
お母さんと話す機会もあるんだけど、あの幼稚園は不登校が多いと話していました。
まぁね、私もあの幼稚園でのコミュニケーションは、
無言のプレッシャーがあると感じていたし、
権威やカーストによって発言力が増したり減ったりすることを
他のコミュニティより強く感じていました。
他人である私がそう感じるのだから、親子ならなおさらでしょう。
親の無言のプレッシャーを感じ、権威やカーストによって、いうことがコロコロ変わる親。
そりゃあ、子供は不登校にもなるでしょう。
とても綺麗な言葉や善意に溢れている人達が多かったけど。
たまたまかもしれないけどね。
子供の話聞く限り、シュタイナー幼稚園出身の子供は、
めっちゃ何でもできるかできないかの両極端で、普通の子は少ないなという印象です。
もちろん我が家はできない方です笑
地獄への道は善意に溢れている
この言葉は、今の時代を物語ってるなぁと思いますね。
私がシュタイナー幼稚園の役員会で感じたことは、
今の参政党が批判されてる問題の本質と似ていると私は思います…党員になってもボトムアップできない規約なのに、聴衆にボトムアップできると思わせるように演説するようなところが。
保護者会での新しい決定事項は園長先生と議論して納得してもらえなければ、
実行できない仕組みらしく、毎年会長さんは園長先生と保護者会との間のやり取りに消耗され、疲れはてて
一時期家のことができなくなった会長さんも
いたらしいという話も聞きました。
※その会長さん、子供が卒園後、園の自主サークル立ち上げたみたい←ここに違和感感じるあなたは私と同じ気持ち、大半の人は何も感じないことでしょう
とにかく、シュタイナー幼稚園の役員の仕事は今までした、どの役員仕事より大変でした。
でもそのおかげで、効率よくやるための段取りの組み方を学べたし、
他の役員やったときにあの時よりは楽だから頑張ろうと思えます笑
ちなみに役員仕事が多すぎて、幼稚園にいきたくなくなり、
私のかわりに生活発表会をみにいって欲しいと夫に頼んだことがありました。
その話をとあるお母さんにしたら、
お母さんにみにきてもらえなかったのはかわいそう、というお叱りを受けました。
他の人もそう言ってた…とまで言われたので、
腹が立って、
「誰がそんなこと言ってたの?」
と聞くと、その人は黙り込みました。
いやいや、そこまで言われる筋合いないけど…夫は見に行ってるし…
他にも、このような自分の理想育児を
他人に押し付けるような人が本当に多かったです。
不登校の親の特徴…調べると、この幼稚園で私が感じたこととの共通点多すぎて驚きますが。
しかし、表面上はとても善意に溢れているので、
まわりの誰に話しても、このような話をまともに聞いてくれません。
私が極端な考え方をしているというような言い方をされます。
今さら、それも気になりなくなりましたが…
まわりの目を気にしたり、共感されたいなどというのは
枠にはまらない子供達を育てる親は、
一番先に捨てなければならないことですからね!
まわりの人達は、あなたが本当に困ったとき、手を差しのべてくれますか?
子供の成長の責任をとってくれますか?
なので、親は自分の育児哲学の責任を
自分でとる必要があるのです。
次は長女の幼稚園時代の話を綴ります。