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古代ローマ軍の武器と戦い方について②

1.       行軍

第1回では古代ローマ軍の武器について話した。今回は古代ローマ軍の戦い方について話していく。まず、防衛戦争でない限り戦うには軍隊が戦場へ移動する、つまり行軍する必要がある。最初にこの行軍について解説する。

古代ローマ軍では行軍が始まる前から戦争の準備が開始される。まず、兵士の訓練量が増加する。このとき、とくに穴掘りの訓練が重視される。古代ローマ軍は兵士による土木作業が勝利の要だと考えていたからだ。出征が近づくと兵士はいつも寝泊まりしていた兵舎から出されて外の天幕で生活させられる。遠征中での生活に兵士の身体をなじませるためだ。その後、出征直前には将軍が演説をうち、今回の出征の理由や目的、そして支払われる報酬について兵士たちに語る。将軍は兵士ひとりひとりに語りかけ、激励する(マティザック(2020) pp.190~2)。

それが終わればいよいよローマ軍は出征する。ローマ軍の目的地は基本的に敵の最も重要な土地、言い換えれば敵がローマ軍と戦ってでも防衛しなければならない土地である。これは往々にして首都であることが多い。ローマ軍は多数の軍事的要地をいちいち占領したり、経済制裁をして敵を締め上げたりして勝利を目指すことはめったにない。敵の最重要地点に向かって一直線に猛進し、敵主力が会戦もしくは籠城戦にうってでてきたところを撃破して降伏させるという、俗にいえば脳筋な戦法によって勝利を重ねてきたのである(マティザック(2020) pp.192~3)。

では、具体的にどのようにして古代ローマ軍は目的地まで行軍したのかを見てみよう。ローマ軍は地形に合わせて行軍隊形を変更した。たとえば、広大な平地を進む場合は敵騎兵が脅威となるため四角形の方陣隊形をとって防御をかためる。もし狭い不整地を進む場合は、複数の縦隊に分かれて進軍速度を速めた(マティザック(2020) p.193)。

しかし、基本となる行軍隊形は決まっていた。まず、偵察隊や斥候隊が先行し、道路の安全を確認する。彼らの後には援護部隊がつづく。偵察隊が敵の伏兵と接敵した場合は、援護部隊がそれを撃退する。その次に工作隊がくる。彼らは測量士と作業員から成り、夜営陣営の設置場所やその区画分けを決定する。彼らの後ろにいるのは工兵隊である。彼らの任務は道路を整備し、後続部隊が楽に進軍できるようにすることだ。彼らによって整備された土地を最初に通るのは荷車や攻城兵器である。彼らは進軍隊形において最も脆弱な部分と言え、敵から攻撃される可能性が高い。それゆえ防御しなければならない部分でもある。その次、ちょうど隊列の中央当たりに将軍がいる。中央部はもっとも安全な部分で、将軍は配下の部下や護衛の騎兵とともに安心して進軍できる。また、中央部は前方と後方の両方に目を光らせられるので、将軍は進軍中に発生した問題にいち早く対処できる。将軍の後ろにつづくのが主力である軍団と補助軍である。隊列の前方で起きたたいていの問題は前方で解決されるので、彼らは気楽に行軍できることが多い。彼らは横6列で進軍する。その後ろに余剰人員がつづき、最後尾を後衛部隊がかためる。彼らは騎兵と歩兵で構成され、隊列の殿を守る(マティザック(2020) pp.194~6)。

ローマ軍は精強といえども永遠に歩きつづけることは不可能だ。どこかで休息をとる必要がある。とくに夜は眠らなければならない。ローマ軍はわざわざ陣営を設置して、その中で夜を明かした。ローマ軍は夜営陣営の設置場所について、防御のしやすさよりも居住性を重視した。ただし、陣営があまり防衛に適していない場所に建てられても、その中に大量のローマ兵が居るため、攻め落とされることはほとんどない。この陣営は平時に軍団兵が寝泊まりしていた陣営とだいたいの構成が同じになっている(マティザック(2020) p.197)。

上記のような整った陣営を建設するにはそれなりの労力が必要となる。夜営するためだけなら本格的なものでなく簡易的なものでも事足りる。なぜローマ軍はわざわざ兵士の体力を消費してまで本格的な陣営を夜営するたびに設置したのか。その理由は複数ある。まず、敵がローマに降伏した後も彼らを威嚇しつづけるためである。整った陣営はローマ軍撤退後もそこに残りつづける。そうなると、次になにかしでかすとローマ軍がその陣営を通って前回よりも高速で進軍してくるぞ、という脅迫メッセージを敵に与えることができるのだ。ほかにローマ兵自身の利益になるという理由もある。夜営陣営は安全なうえ、構成は見慣れた平時の陣営と同様であるので、軍団兵からすると、この夜営陣営が出征中におけるただ1つのリラックスできる場となるわけだ。また、本格的に構成された陣営は当然強固な防壁がセットであり、それは敵の攻撃だけでなく軍団兵の脱走を防ぐことができる。防壁が不完全な簡易的陣営ならそうはいかないだろう。また、最後にそういったことをするだけの時間的余裕があるという理由がある。ローマ軍の行軍隊列は上の記述からもわかるように非常に長いので、軍団兵の一部が到着しても後続が到着するまでかなりの時間がかかる。そのため、先に着いた軍団兵を放置しておくぐらいなら、なにか作業をさせたほうが効率的だと考えられていたのである(マティザック(2020) pp.200~9)。

このようにして寝泊まりの問題は解決されたが、出征中の軍隊が直面する問題は他にもある。そのなかでも大きいものと言えばやはり食糧問題だろう。どんなに強い兵士も食糧がなければ餓死するだけだ。

では、古代ローマ軍の対処法はどうであったか。まず彼らは大量の食糧を出征前から備蓄し、それを運んだ。穀物や乾燥させた肉、ときには家畜を生きたまま運んだ(家畜は自分の足で歩いてくれるし、なんなら物資も運んでくれる。)。これは荷車でまとめて運搬されたり、個人で携行されたりした。個人携行食糧は1週間分の量があった。しかし、いくら大量の備蓄があるとはいえ、当時何日も腐敗しない食べ物は限られており、ずっとそればかりを食べていると栄養が偏るし、遠征が長引けば食糧は必ず不足する。そこで活躍するのが食糧徴発隊である。彼らは騎兵部隊に護衛されながら周囲の村落を荒らして、新鮮な食糧を確保する(マティザック(2020) pp.210~5)。

2.       会戦

ローマ軍が目的地、つまり敵の最重要地点にたどり着くと敵は降伏するか会戦するか籠城するかの3択をせまられる。本レポートでは敵が会戦を選択した場合について解説する。

共和政時代のローマ市民軍が敵からの奇襲をくらって敗北することが多かったことから、帝政期の職業的軍隊では偵察が重視された。このことは行軍隊列の最前列が偵察隊・斥候隊であることからもうかがえる。ローマ軍の偵察能力は高く、敵の位置や規模、待ち伏せの有無などを正確に把握していた。将軍みずからが偵察に出たり捕虜の尋問を行ったりすることもあった(ゴールズワーシー(2005) p.174)。また、偵察隊では敵だけでなく土地の情報も収集する。さらに、偵察隊が敵に小競り合いをしかけ、敵の戦意を推し量るという戦術もあった(マティザック(2020) p.242)。

実際に接敵してもローマ軍はすぐには攻勢に出ない。彼らはまず陣地を設営する。例外は敵が会戦を繰り広げられるだけの人員を有しておらず、ゲリラ的奇襲をしかけてきた場合で、そのときは、ローマ軍はすぐに戦闘に移った。こういった状況はとくに元首政期以降に見られる。しかし、敵が会戦を戦おうとする場合には、ローマ軍は自身が有利になる土地に陣地を築き、数週間も敵とにらみ合いをつづけた。ただし、この間何も起きないわけではない。両軍とも戦闘準備を整えて出陣し、相手と距離を詰めた状態で数時間対峙する。その後、戦闘をすることなく自陣へ戻っていく。これが何度も繰り返し行われる。また、騎兵や軽装歩兵の散発的な小競り合いが頻発する。上記の行動は一見無意味に見えるが、実際にはその後の会戦に重大な影響を与える。というのも、敵軍がその陣地からどれだけ離れて進出してくるかや、小競り合いにどんな対処をするかで敵兵の士気や練度を推し量ることができるからである(ゴールズワーシー(2005) pp.174~5)。

士気は白兵戦が主体の当時において現在以上に勝利のための重要な要素だった。将軍は兵士たちの士気を鼓舞することに精を出した(ゴールズワーシー(2005) p.175)。

にらみ合いの状況を打破して会戦を始めたい場合、ローマ軍は両軍が陣地を出て対峙する際に、そのままどんどん前進していき、敵に交戦を強いた。このとき、タイミングや場所の決定権はローマ軍が握ることになるので、有利な状態で戦闘を開始できる。また、もし敵が戦闘を拒否し陣地内に退避したとしても、ローマ側の将軍はそのことを兵士たちに喧伝し、敵はローマ軍を恐れているのだ!と彼らに認識させ、士気を上げることができた(ゴールズワーシー(2005) p.175)。

敵が陣地に戻らずに戦うことを決めれば、ここから会戦が始まる。ローマ軍は会戦をどのように戦い抜いたのか。まずは彼らの全体的な陣形を見てみよう。ローマ軍のそれは共和政期とそれ以降で大きく異なる。共和政期のローマ軍は中隊(マニプルス)を戦術的基本単位としており、その布陣は中央に軍団、左右に同盟軍、両翼に騎兵隊というもので、めったに変更されることはなかった。しかし、その後マリウスの軍制改革によって歩兵隊(コホルス)が基本単位となり、陣形は柔軟に変更できるようになった(ゴールズワーシー(2005) p.175)。

たとえば、自軍の騎兵隊のほうが敵軍の騎兵隊よりも優勢だと判断されると、騎兵隊から予備部隊が抽出され、反対に自軍の騎兵隊が不利だと判断されれば、少数の歩兵が騎兵援護にまわされる。また、敵が驚異的な機動力を誇る場合は、全軍が密集して方陣隊形を組んだ(ゴールズワーシー(2005) pp.176~7)。帝政期では、敵軍が軟弱な場合、補助軍を軍団の前面に展開させ、まず補助軍だけで会戦に勝利するように試みられた。軍団に劣るとはいえ補助軍も十分強力であり、うまくいけば軍団兵、つまりローマ市民が傷つかずに済むからだ(マティザック(2020) pp.245~6)。

ローマ軍の全体的な陣形について把握したところで、つぎにローマ軍の戦列について述べる。ローマ軍では戦列の縦深(横隊の列数)は3や4の倍数になることが多く、1つの横隊に配備される人員数も同様の倍数となることが多かった。戦列の縦深はおもに兵士の練度に応じて変化し、練度が高ければ縦深は浅くなり、練度が低ければ縦深は深くなった。具体的には、高練度の兵士から成る部隊の場合は3列もしくは4列となり、低練度の者から成る部隊の場合は6列もしくは8列となった。兵の練度が極端に低い際には10列の縦深がつくられることもあった。深い縦深のメリットは兵士の後退を防げることで、浅い縦深のメリットは多数の兵士が実際に戦闘を行えること[i]だった。また、縦深といった隊列の形式は兵士の練度以外に地形なども考慮されて決定される。戦列において兵士1人が使えるスペースは正面幅0.9m、奥行1.8~2.1mである。この広めの奥行はピルムを投げるためのスペースである(ゴールズワーシー(2005) pp.179~80)。

どんな陣形で戦うか以外にどこで戦うかも勝利のための重要なカギだった。古代ローマ軍はとくに地形の利用が上手だった。彼らは側面や背面に山地など、敵が突破しにくい地形を置くことで防御をより強固にした。周囲に利用できそうな地形がない場合、彼らはみずからの手でそのような地形をつくりあげた。堡塁を築いたり塹壕を掘ったりしたのだ。こういった地形選びは敵の数が多い場合や騎兵隊が強力な場合にとくに効果を発揮した(ゴールズワーシー(2005) pp.175~6)。

布陣や会戦場所は上記のように決定される。つぎは、ローマの将軍の指揮について見ていく。まず、会戦を始める前に将軍はコンシリウムという集会を開く。これに集められるのは上級士官で、どんな陣形をとるか、どんな地形で戦うか、どんな戦術を使うか、誰がどの部隊を指揮するかなどを将軍が彼らに伝える。それをうけて上級士官たちは分科会を開き、部下に対して簡単な状況説明を行う。勝利には軍全体の連携が不可欠なため、将軍を含めた全将校の連携が重要となる(ゴールズワーシー(2005) p.177)。

戦闘中、ローマの将軍は戦列のすぐ後ろから指揮を執った。こうすれば、兵士たちの士気を効果的に鼓舞しつつ、全体の戦況をある程度正確に把握することができる。将軍は1地点にとどまらず、戦列の背後を駆け巡って戦列全体の状況を把握し、指示を出した。自軍が不利な地点には増援を送り、必要ならばみずから戦列に加わった。各級指揮官は担当の部隊を同様の方法で指揮した。たとえば、戦列右翼を任された将校はその戦列の背後を動きまわって右翼を指揮したわけだ。上記のローマ将軍の指揮方法は効率的だったが欠点もあった。それは将軍が敵に狙われやすいという点だ。赤いマントを羽織っているローマ軍の将軍は戦場でもかなり目立ち、敵は彼めがけて飛道具を投げつけたり突撃をしたりしてくる(ゴールズワーシー(2005) pp.178~9)。

ここからは会戦中のローマ軍の動きを解説する。まず、会戦は軽装部隊による飛道具の撃ち合いや騎兵隊による小競り合いから始まることが多い。とくに後者の小競り合いは、自軍側の騎兵が負けると敵の騎兵が自由になって側面や背後を攻撃してくる危険があるため、騎兵戦闘の結果は将軍のおもな関心事の1つだった(マティザック(2020) pp.246~7)。

小競り合いと同時に戦列には矢の雨が降ってくる。このとき軍団兵は盾を喉の辺りまで持ち上げて、頭を低くしておく。矢の弾幕は防具で防ぐことができるので、こうしておけばよほど運が悪くない限り死ぬことはなかった(マティザック(2020) p.247)。

もちろん、ローマ軍側も同様に敵戦列に飛道具を撃ちこむ。弓兵や投石兵などの射撃兵は軽装で防御力に欠けるので、味方戦列後方に密集して展開していることが多い。この場合、矢や石は曲射されて敵戦列に降り注ぐ。当然ながら彼らは狙いをあまりつけられないので、そのかわり大量の弾で弾幕を張る。また、射撃兵は散兵戦も行う。この場合は敵の姿が直接見えるので、敵に照準を合わせて直射することができる。また、「散兵」というように、個々の兵士が散って展開しているので、それで出来るスペースを活かして彼らは敵の飛道具をよけることもできた。散兵戦を必死に戦う射撃兵にとっては残念なことだが、散兵戦の結果が戦闘の大局に大きな影響を与えることはほとんどない。飛道具を持った散兵の役割は敵の散兵を追い払ったり、敵主力をちまちま攻撃して嫌がらせをしたりすることである(ゴールズワーシー(2005) pp.180~1)。

敵が騎兵戦力に自信を持っていた場合、初期の段階で騎兵突撃をしてくることがある。しかし、軍団はこういった場面にも対応できる。軍団は密集して盾を構えて動かずにいるのだ。この軍団兵に突撃するということは、馬からすれば壁にぶつかることに等しく、本能的に軍団の前で停止してしまう。そうして敵の騎兵が目の前で止まると、軍団兵は一斉にピルムを投擲して騎兵隊を潰滅させる(マティザック(2020) pp249~50)。

野戦に大型兵器が投入されることはまれだった。大型兵器は機動力を大きく欠いているので戦場に展開するのに手間がかかるからである。しかし、投入することができれば大きな効果をもたらした。大型兵器を使えばローマ軍はその長い射程距離を活かしてアウトレンジから敵を一方的に攻撃できる。このことは、実際の物理的被害以上の精神的被害を敵にもたらした(ゴールズワーシー(2005) p.181)。

突撃が実行されるまでの間、基本的に軍団兵は沈黙を保つ。黙って淡々と行動する軍団兵の姿は敵にとって不気味で、喊声による威嚇よりも効果的に敵の士気を削いでいった(マティザック(2020) p.250)。

そうこうしているうちに、いよいよ会戦の花形、軍団による突撃とそれにつづく白兵戦が繰り広げられることになる。ローマ軍が突撃を敢行するのは、敵が突撃してきたときである。ローマ軍は敵の突撃に対する反撃としての突撃を好んだ。敵の突撃が確認されると、まず軍団兵は黙ったまま前進していく。そして適切な距離でピルムを一斉に敵に投げつけてから、これまでの沈黙を破って鬨の声をあげながら敵へ全力でぶつかっていく。これは敵にピルムの攻撃による物理的ショックと沈黙状態から突然あがった喊声による精神的ショックの両方を与える(ゴールズワーシー(2005) p.184)。突撃のとき、前方の軍団兵は盾を前面に構えて敵にタックルするように突撃する。最初からこのときまで軍団兵は密集隊形を保持しているが、敵にそこまでの練度はなく、突撃時の彼らは隊形を崩していることが多かった。そのため、軍団兵が突撃してくることは同じく突撃中の敵にとって、強固な壁が猛スピードで迫ってくるようなもので、両軍がぶつかるとローマ軍団が敵を吹き飛ばすことがほとんどであった。最前列の軍団兵は敵を突き飛ばしたあと、そのまま前進する。そして後続の列の兵士が地面に倒れた敵兵にトドメをさしていく(マティザック(2020) pp.252~3)。

ローマ軍団による上述の強力な突撃もいずれは衝撃力を失ってしまう。そうなると始まるのが白兵戦である。ローマ兵がどのように格闘戦を行うかは時代にもよるが、少なくとも帝政期の軍団兵は短剣による攻撃、とくに刺突攻撃を好んだ。彼らはまず盾を敵の顔にぶつけて牽制し、ひるんだ敵の腹に剣を突き刺した。このとき、剣の切っ先を上に向けて、突き上げるかたちで刺突したようだ。この刺突攻撃は強力で、たいていの鎧を貫くことができた(マティザック(2020) p.253)。ローマ軍の剣は刃に溝が入っておらず、突き刺すと刃に肉が密着するせいで引き抜くのに手間がかかる。そのため、軍団兵は剣を敵に突き刺すと、すぐにグリグリと剣を捻じって刃と敵の肉がくっついてしまわないようにした(マティザック(2020) p.104)。当然ながら引き抜かれたあとの傷口の状態はかなりひどいものになった。白兵戦で刺突が好まれたのは、敵の鎧を貫通できるからという理由のほかに、密集隊形では斬撃をしにくいからでもある。ローマ軍団は密集隊形を組んで白兵戦にのぞむので、斬撃をしようと剣を振り回すと味方に腕や剣がぶつかって危険だ。そのため、斬撃よりも動作を小さくできる刺突が好まれたのである(マティザック(2020) pp.253~4)。

ローマ軍団兵は厳しい訓練を日ごろからこなしているので長いこと戦闘しつづけられる。しかし、それでもいずれ限界がやってくる。前列で戦闘している軍団兵が負傷したり疲労したりすると、後列で待機していた軍団兵との交代が行われる。交代を望む兵士は「盾を前に出し、その陰で身体の向きを変えて右へ1歩下がれば、次列の兵士が左からするりと前に出て交代」してくれる。この方法は戦闘中でも可能であり、軍団の継戦能力の向上に貢献していた(マティザック(2020) p.255)。

白兵戦は途中で小休止を挟みながら2~3時間程度つづいた。押し合いへし合いの白兵戦におけるローマ軍部隊の目標は敵の戦列前面を突破し、敵の後方戦列からの攻撃を耐え忍びながら突破口を確保しつづけることだ。というのも、敵戦列に大きく食い込んだローマ軍部隊が現れると、戦列全体の敵兵が側面や後方から攻撃される恐怖を感じはじめ、おのずと及び腰になり、最終的にはローマ軍が敵を打ち破ることが可能になるからだ(ゴールズワーシー(2005) p.185)。

ローマ軍は基本的に一部の部隊を予備として温存しておく。そうすることで必要な時に新鮮な戦力を必要な場所へ送り込むことができるからだ。この予備部隊の投入はタイミングが非常に重要だった。というのも、投入が早すぎるとせっかく温存されていた新鮮な戦力が失われてしまうし、投入が遅すぎると応援を受けられなかった部隊が敗走してしまったりせっかくの戦果拡大の機会を逸してしまったりするからだ。そのため、指揮官は戦況の正確な把握に努め、予備部隊投入の適切なタイミングを逃さまいとしていた(ゴールズワーシー(2005) p.185)。

敵戦列が崩れ、敵が潰走を始めるとローマ軍は追撃戦へ移行する。追撃はおもに騎兵隊によってなされる。ローマ軍の追撃は苛烈を極めており、彼らは逃げ惑う敵兵を徹底的に殺害していった(ゴールズワーシー(2005) p.185)。この追撃戦が終わると、激しかった会戦もやっと終わりとなるわけである。

3.       まとめ

第1回と第2回にかけてローマ軍の武器と戦い方を概観したが、いかがだっただろうか。古代ローマ軍は精強とされているが、何もせず勝手に精強になったわけではなく、古代の軍人たちが勝利のために何が必要かを思案しつづけ、さまざまな武器や戦い方を取り入れていった結果、ローマ軍が精強な軍隊となったということが理解できただろうか。

本稿の文章は拙く読みにくいうえに内容も表面的なものに終始してしまった。しかし、それでもこれが人々の目につき、軍事史についての知識を少しでも提供できること願っている。最後まで読んでいただき、誠にありがとうございました。


[i] 実際に敵と白兵戦を繰り広げるのは戦列の2列目までで、それ以降の列は待機状態となる(ゴールズワーシー(2005) p.180)。


参考文献
エイドリアン・ゴールズワーシー、池田裕、古畑正富、池田太郎訳『古代ローマ軍団大百科』(東洋書林 2005年)
フィリップ・マティザック、安原和見訳『古代ローマ帝国軍 非公式マニュアル』(筑摩書房 2020年)

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