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【必読】『統合失調症の一族: 遺伝か、環境か』【傑作】



はじめに

 ツイッターのオススメ書籍に宣伝されていたのでAmazonで購入して読んだところ、自分にとって忘れられない人生本の一冊になりました。本作は、アメリカのコロラド州に住む12人家族の話で、そのうち6人の息子が統合失調症を発症してしまうノンフィクションです。
 精神疾患発症の原因を追究する研究本として優れているのは勿論なのですが、それ以上に家族の在り方、兄弟姉妹の絆について深く考えさせられる一冊になっています。この本はnoteに読書記録をつけ、アウトプットしなければならないと思いました。

サイトの本書紹介

 自分をポール・マッカートニーと思いこむ9男、修道士のようにふるまう長男……12人の子供のうち6人が統合失調症に。彼らに何が起きたのか? 精神医療史の画期をなした一家の驚きの記録。

本書概要
 第二次大戦後、ギャルヴィン一家は空軍に籍を置く父親の都合でコロラド州に移り住む。ベビーブームを背景に12人の子宝に恵まれた一家だったが、1970年代半ばには子供のうち6人が統合失調症と診断された。厳格な父母によって育てられた容姿端麗で運動能力の高い息子たちは、なぜ次々に精神疾患に見舞われたのか?

 一方で、サイコセラピーと抗精神病薬による療法が主流だった当時、遺伝的側面から統合失調症の原因究明や治療・予防法の発見を目指す研究者たちがいた。彼らはギャルヴィン家の人々と出会い、様々な検査等を通じて、統合失調症にかかわる遺伝子を突き止めていく――。

 精神医療研究に多大な影響を与えた一家の姿を通して「病」と「人間」の本質を問い、各メディア年間ベストブックを総なめにしたノンフィクション!

【多数のメディア評を獲得】
バラク・オバマ元大統領の選ぶ年間ベストブック
ニューヨーク・タイムズ・ベストセラー 第1位
●Amazon.comでは ★4.5、レビュー14,000超!

“ノンフィクションの可能性を開いた、忘れがたい作品”
――スザンナ・キャハラン(『脳に潜む魔物』著者)
“何度でも読み返せる稀有な本”
――デイビッド・グラン(『花殺し月の殺人』著者)
“並外れた調査であり、大変な労作”
――シルヴィア・ナサ―(『ビューティフル・マインド』著者)

その他、「ニューヨーク・タイムズ」年間ベスト10/「ウォール・ストリート・ジャーナル」年間ベスト10/「ピープル」年間ベストブック第1位/「GQ」21世紀のジャーナリズム本ベスト50ランクイン/その他、「ワシントン・ポスト」「NPR」「TIME」「スレート」「スミソニアン」「ニューヨーク・ポスト」「Amazon」年間ベストブックに選出

個人的な評価

内容(読んで得られるもの) S++
筆力(文章の躍動感)    A
読みやすさ         A
装丁・文体         S
表現力           A+
思想(夢中になって読めるか)S
総合(読んでよかったか)  S+

S→人生に深く刻まれる満足
A→大変に感動した
B→よかった
C→個人的にイマイチ
D→やめときゃよかった

内容のあらすじ

 ”忍耐力をこの上なく明確に示したければ、家族をけっして見放さないことだ”

 <ギャルヴィン一家>

・父親 ドン 1924年生、2003年没(享年79歳)
・母親 ミミ 1924年生、2017年没(享年93歳)

◎長男 ドナルド 1945年生、現在79歳(離婚)
◎二男 ジム   1947年生、2001年没(享年54歳)子供一人
・三男 ジョン  1949年生、現在75歳、配偶者あり、子供二人
◎四男ブライアン 1951年生、1973年没(自殺)(享年22歳)
・五男 マイケル 1953年生、現在71歳、配偶者あり、子供二人
・六男リチャード 1954年生、現在70歳、配偶者あり、子供一人
◎七男 ジョー  1956年生、2009年没(享年53歳)
・八男 マーク  1957年生、現在67歳、配偶者あり、子供三人
九男 マット  1958年生、現在66歳
◎十男 ピーター 1960年生、現在64歳
・長女マーガレット1962年生、現在62歳、配偶者あり、子供二人
・二女 リンジー 1965年生、現在59歳、配偶者あり、子供二人
  
 ◎→統合失調症を発症した人物

第一部 第1章~第5章

 内容的には、第一部はドンとミミの馴れ初めが描かれて始まります。出会ったのはふたりが13歳のときで、お互い勉強ができ、ドンは物静かな美男子のスポーツマンで、ミミはよく喋るタイプの女の子で、自然と仲良くなっていきます。

 やがて、大学生になる頃に太平洋戦争が始まり、ドンは海軍将校として沖縄に赴くことになります。出撃の数週間前にミミが長男ドナルドを妊娠し、結婚します。
 ドンは神風特攻隊に撃沈される艦隊を間近で目撃する経験をしますが生き残って無事帰還し、長男ドナルドが誕生します。

 そこから精神医学の歴史の話になり、統合失調症の原因に関して、幼少時の性的なトラウマをきっかけに発症すると考えたフロイトと、遺伝によって受け継がれた生物的疾患だと考えたユングの対立が記述されます。

 ドンとミミの間には2年置きに子供が誕生し続けますが、ドンは軍人の仕事柄ほとんど家に帰ってきません。その空白感をミミは子供で埋めようと教育熱心な母親になります。また、ドンの両親に合わせて敬虔なカトリック教徒になります。
 しかし、その結果周囲から『子供たちに完璧を求める、支配的な母親』という評価を受けることになります。

 また、たまに帰ってくる父親のドンも軍人なだけあって、子供たちを名前ではなく番号で呼びます
 このことから、統合失調症は親のせいなのか?という論点でしばらく言及が続きます。特に、二重拘束(ダブルバインド)が精神疾患の元凶ではないかと論じられます。

 二重拘束とは、たとえば「分からないことはなんでも聞きなさい」と言ったのに、いざ質問をすると「そんなこともわからないのか、なぜ調べてから来ないのか」と責めたりする、などの事例が挙げられます。
 言ってることとやってることが違うので相手を信頼できなくなり、他者の言葉の裏を読まなければならなくなる心理状態です。

 やがて、賢いドンは出世していきます。スタンフォード大学で政治学で修士号を取得したことで、陸軍や海軍の士官学校の講師になり、家族の生活は裕福になり安定します。
 長男ドナルドも13歳になり、父親似の、物静かで、ハンサムで、勉強と運動が得意の、人気のある少年に成長しました。

 しかしそれは外面の話で、家では、特に両親がいないときに弟たちに横暴を振るう兄になっていました。ドナルドは父と同じで、自分が手を下すことなく、弟たちを互いに争わせるやり方を好みました。
 「殴らなかったら、それも、本気で殴らなかったら、次はお前がやられる番だからな」が決まり文句で、弟同士を憎み合わせる形で絶対的な権威を持っていました。

 ドンとミミはドナルドが優秀でお気に入りなので、その状況を放置します。弟たちがドナルドに怯えて暮らす中、二男のジムだけはドナルドに真っ向から立ち向かっていき、殺し合いレベルの喧嘩を頻繁に行うようになり、それでも敵わず、次第に不良化していきます。

 ギャルヴィン家は、二つの異なる現実が同時存在する場となります。荒々しい暴力の場と、ドンの軍律とミミの戒律が築いた一見すると模範的家庭の二面性です。
 兄弟の中で、三男ジョン、五男マイケル、六男リチャード、九男マットは、『家が安全な場所ではない、自分たちはどうでもいい存在のように無視されている』という気持ちを抱いていきます。

 そんな中、ドンとミミの間に12番目の子供となる二女メアリ―(リンジー)が誕生します。ドンとミミは40歳になっていました。その頃、長男ドナルドが家の皿を数十枚叩き割る事件が発生します。
 ドナルドは父と違って、学校の成績が下がって落ちこぼれていきます。また、人々を無機質なロボットのように感じることが増え、そういう自分に恐怖を抱くようになるのでした。


    第6章~第10章

 1963年になり、18歳になった長男ドナルドはコロラド州立大学に進学します。家族には医師になりたいという希望を伝え、うわべだけでも優等生であり続けるよう振舞うのが彼の仕事になります。
 ドナルドが家を出るのでその空白に二男ジムが収まり、ジムの天下になります。

 しかし、ジムはドナルドとの日常的な抗争から解放された結果、他で悪さをするようになり、高校を退学処分になります。
 そして、クリスマスなどイベント時期にドナルドが帰ってきて、久しぶりにジムと顔を合わせる状況になると、ドナルドは挨拶もなく全力で突進してジムに強烈なアッパーカットを食らわせ地面に打ち倒します
 六男リチャードは、「人が誰かをあれほど激しく殴るのは見たことがなかった」と周囲に話しています。

 翌年1964年、ドナルドが本格的に精神に異常を来し、ジムへの暴力以外で奇行が表面化し始めます。猫に噛まれてできた左手の薬指の怪我、ルームメイトの梅毒感染などをきっかけに、自分は病気なのではないか?と訴え、頻繁に保健センターに通うようになります。
 決定的な事態が起こったのは、1965年の大学3年の秋の頃でした。ドナルドは友達との野外パーティーの席で、自分からキャンプファイヤーに突っ込んで大火傷を負います。なぜそんなことをしたのか?と医師に尋ねられても、ドナルドは自分でも分からず説明できません。
 
 ドナルドは大学を休学し、精神鑑定を受けることになります。その過程で、ドナルドが結婚を約束していた彼女にフラれていたことが判明し、異性交遊の挫折がもたらした事態で、思考障害や精神障害が原因ではないと結論され、ドンとミミは安心します。
 しかし、この件を機にドナルドは家に帰らなくなります。大学近くの廃屋に引きこもる生活を送るようになります。

 そして数か月後、ふたたび保健センターを訪れると、猫に噛まれて怪我をしたと訴えます。そこからドナルドは歯止めなく落下していきます。首吊り縄、ガス栓、葬儀場など、自殺のための道具準備、あるいは死にまつわる事物に関する空想とその思念に憑りつかれていきます。
 また、発言的にも「教授の一人を殺害したと思う」「フットボールの試合で人を殺した」「12歳のときに二度自殺未遂した」など不穏な告白を始めます。

 猫から受けた傷に関しても、ドナルドが飼っていたメス猫がオス猫を連れて来たという理由で、ゆっくりと嬲り殺した際に負ったものであることが判明します。
 ただ、ドナルドはその経験を語る際にひどく怯えた様子を見せ、情緒が不安定になり、「統合失調症の可能性あり」と診断されます。

 実家に連れ戻されたドナルドは、家に着くとキッチンでパニックを起こして叫びます。「伏せろ!奴らはこっちに向かって撃っている!」と。周りにいた家族はみな、慌てて辺りを見回し、ドナルドが言ってることが本当かどうか確かめようとしました。
 ドンとミミはドナルドを治療できる病院を探しますが、大事にしたくない思惑があり、ドナルドの自殺願望や猫殺しについて医師に伝えずに、ドンのつてで空軍士官学校の病院に入院します。

 ドナルドは入院中、一生懸命元気を取り戻して、正常になろうと努力して大学に復学する許可を得ます。大学に戻ったドナルドは新しい恋人を作って婚約しますが、相手の女性は仕事に夢を抱いており、「子供を持つ気はない」と警告します。
 しかし、ドナルドは彼女の言葉を理解することができません。自分の子供を持つことができないと考えるとあまりに悲しすぎて、彼女の言葉を真実として信じられませんでした。

 ドナルドは恋人との子供を巡る口論をきっかけに、また精神状態が悪化していきます。彼女に別れを切り出されると、ドナルドは青酸カリを使った心中を試みますが、彼女に逃げられて未遂に終わります。
 ドナルドは精神病院に強制入院になり、拘束して治療されることになります。ドナルドは『彼はおそらく、知能が高い妄想型統合失調症患者で、高揚状態から鬱状態まで、幅広い気分変動がある。入院治療が間違いなく適切な処置であると考える』との診断を受けました。

    第11章~第15章

 精神病院に入院したことで服役を免れたドナルドは、やがて急性期を脱して実家に戻ります。ドナルドは修道士のような恰好をして、聖書の様々な節や聖母マリアの祈りなどを一日中叫ぶようになります。それを止めようとすると弟たちに暴力を振るうため、たびたび警察沙汰になりました。
 ミミはドナルド以外の子供たちを連れて毎週教会に通い、ドナルドのために祈るよう強制します。ミミは、ドナルドの状態は心が傷ついた結果だと考えました。

 一方、二男ジムは結婚して家を出ていました。パートナーに暴力を振るうDV夫でしたが、子供を設けました。ときどき実家に戻っては、ドナルドの様子をバカにして面白がりました。今まで暴力を受け続けていた恨みもあって、復讐して清々する気分を味わいます。
 しかし、ある日母親ミミがドナルドにナイフを突きつけられる事件が発生します。七男ジョー・八男マークがミミを守って事なきを得ますが、ミミの泣き声が長時間家中に響き渡ることになりました。

 ドナルドがそんな状態なので、ジムは弟と妹たちを保護の名目でたびたび引き取って自宅に外泊させるようになります。その中で、長女マーガレット・二女メアリーは12歳前後からジムに強姦される日々が始まります
 姉妹は、ジムが兄のドナルドに劣らぬほど不安定であることに早くから気づいていました。
 しかし、ふたりは幼過ぎて、ジムがしていることが正しいことではない確信が持てませんでした。

 1972年の感謝祭のときに、家族全員が実家であるギャルヴィン家に集結しますが、ドナルドとジムがいまだかつてないほどの大喧嘩をします。ジムの目には、ドナルドは以前よりひ弱に映り、これならとうとう打ち負かせるように思えました。
 一方、ドナルドの目には、ジムはけっしていなくならない厄介者に映り、自分がボスであるかのように振舞う様子は、ドナルドにとっては決定的な侮辱でした。

 ドナルドは大きなケーキが乗ったテーブルを持ち上げてジムに投げつけ、感謝祭は台無しになりました。ギャルヴィン家を訪れる人は事実上いなくなり、ドナルドは精神病院への入退院を繰り返す日々を送るようになります。

    第16章~第17章

 一瞬の安らぎさえ稀になったギャルヴィン家にとって、四男ブライアンの存在は唯一の慰めになっていました。彼は一家のアイドル的存在で、明るく性格のよい美青年でしたが、ある日突然ガールフレンドを銃殺し、自分も自殺します。
 この出来事は、一家に世界を一変させるほどの衝撃を与えます。これを機にドンとミミは子供たちと正面から向き合うように努力を始めます。
 
 しかし、家族の誰一人としてブライアンを失った喪失感を乗り越えることはできず、ドンは脳卒中で倒れ、右半身麻痺の後遺症を負います。ミミは長男ドナルドの世話だけでなく、夫のドンの介護に追われることになります。
 不幸はそれだけでは終わらず、ドンが倒れるのを目撃した十男ピーターが、学校で訳の分からないことを話し始め、所構わず排泄行為をするようになってしまいます。

 ピーターの症状は重く、1975年に大学病院に入院します。ピーターはドナルドのことで学校でつらい思いをしたようで、ドナルドに対する憤りを熱烈に訴えるようになります。
 医師はピーターだけでなく、統合失調症のドナルド、暴力のジム、自殺のブライアン、また内向的な七男のジョーにも精神の変調の兆候があることを知ります。

 ミミは「統合失調症誘発性の母親」説の矢面に立たされることになります。ミミこそが、息子たちの精神の錯乱を招いた元凶として医師たちに指摘されます。ミミはむきになって反論しますが、汚名を着せられ、精神的な孤立を余儀なくされます。
 ミミは石油王で大富豪のサム・ゲイリーの妻で、友人・ナンシーに電話で相談すると、堰を切ったように号泣します。

 ドンとミミは長女マーガレットをナンシーのもとに預けることを決意します。
 しかし、二女メアリーは、自宅で唯一の同志とも言える姉のマーガレットが家を出るために荷造りをしていると、それまで記憶にないほど激しく大声で泣きます。
 
彼女はドナルド、ピーター、ジムと共に取り残されたように感じました。自分は見捨てられて、あてもなければ為す術もない、という気持ちを、それまでの短い人生でかつてなかったほど強く抱いていました。



第二部 第18章~第22章

 二女メアリーにとって、とりわけ古い記憶のひとつは、5歳ほどだった頃、病院から家に戻ってきた長兄ドナルドが、両親のベッドルームのドアの前で泣き叫ぶ姿でした。「家に誰かいる。誰かがみんなを傷つけようとしている」と彼は言っており、メアリーは自分の兄の言葉を信じていました。
 メアリーは姉・マーガレットと自分は違うと自覚していました。マーガレットは優しく、共感的で、情に脆い人柄でした。それゆえに家族の窮状を自分事に感じ、苦しみに耐えることができませんでした。一方メアリーは、もっと現実的で抜け目なく、精神的に自立していました。

 中学校に入ると、家の外では満面の笑みをたたえ、人付き合いで人気を得て、自宅より友人たちの家で多くの時間を過ごします。ミミは、メアリーといるときには、自分たちの問題を口に出さないことや、何も起こっていないかのようなふりをすること、泣かないこと、腹を立てないこと、感情を微塵も見せないことの重要性を、身を以て示します。ミミは、それと同じ類の見せかけの落ち着きを、子供たち全員に求めました。
 メアリーは、すっかり弱り果てたときには、家から数百メートル離れた裏庭の小さな丘に身を隠しました。

 ドンは脳卒中のリハビリのために水泳に励む日々を送りますが、短期記憶はうまく働かず、完全に回復することはできません。また、ドンには軍からの年金以外に入ってくるお金はありませんでした。
 ドナルドとピーターの両方の面倒を看る費用が重荷になっていることは否定のしようがなく、「ドナルドとピーターにどこか別の場所で暮らさせるべきだ」とドンが提案してみるたびに、ミミは「どこへ行かせればいいんです?」と判で押したように応じました。

 母親のミミが物事をすべて取り決めるようになっていましたが、メアリーにしてみれば、たとえ父親が何を言ったところでどうにもならなくても、病気の子供よりも健康な子供を擁護してくれている気持ちになりました。
 メアリーはドンに「なぜ相変わらず敬虔なカトリック信徒なのか?これだけ散々な目に遭いながら、どうして今も神を信じているのか?」と、尋ねます。それに対しドンは、「これまでの人生で自分も何度となく疑問に思ったことがあった。それでも、読書と知性を通じて、また神に戻る道を見つけたのだ」と答えました。

 ときどきメアリーには、自分の一家が二つに引き裂かれてしまったように思えました。頭がおかしい家族と正気の家族ではなく、まだ家にいる家族と出て行った家族の二つにです。
 メアリーが10歳の頃、マーガレットが家から離れてからずっと、ジムの家に行くたびに、夜になると彼がやって来て、指を彼女の性器に挿入したり、無理やりオーラルセックスをさせたりしました。

 メアリーは事実を認めたがらない気持ちや混乱もあって、我慢しました。姉と同様言いなりになっていました。また、兄の行為を愛情と解釈することに自分の一部が慣れてしまったのでした。
 しかし、メアリーが思春期に入ると状況が変わり、自分の身に起こってることは正当化のしようがなく、醜く、恐ろしく、間違ったことであると認識します。

 頭のどこかでは、これに終止符を打たなければならないことを分かっていました。もし、子供ができたらどうなるか?と。メアリーは、それについてはなるべく考えないようにしました。
 しかし、頭から消し去ることはできませんでした。無視することはできても、ずっとそうし続けることは不可能だったのです。 

 長女マーガレットは、石油王のゲイリー夫妻のもとに預けられますが、残してきた家族のことが常に気がかりで心休まりません。彼女が家族のもとを去る決意をした最大の原因は、ドナルドやピーターではなく、ジムの性加害から逃れるためでした。
 そのため、ゲイリー夫妻のもとに身を寄せるのが自分にとってただの良いことのようには思えませんでした。新天地でどれほど楽しい時を過ごしていても、自分が経験しているのは一種の追放あるいは流刑のように感じられたのでした。ジムが相変わらず家族の中で重要なポジションにいることが、彼女にとっては切実な問題でした。

 やがてマーガレットは、ゲイリー家の家族の人生にも、誰にも近づけない、立ち入り禁止の領域があることを知ります。彼らには、筋緊張性ジストロフィーという家族で抱えている病気がありました。それは不治の病で、ある日突然身体の筋肉が蝕まれ始めます。
 ナンシーとサムの8人の子供のうち4人が、まだ幼い頃にいくつかの症状を見せ始め、やがて20歳前半までに亡くなっていました。ただし、ギャルヴィン家とは違い、サムとナンシーはこうした苦難にもかかわらず、明朗な冒険心を持って自分の人生を送ると心に決めているようで、旅行を楽しんでいました。

 彼らは持てる物を他人に分け与え、ゲイリー夫妻が引き取った子供はマーガレットだけではありませんでした。サムは『一生懸命働いてきたとはいえ、運に恵まれて自分の成功がある。助けを必要としている人がいれば、自分にできることは何でもする』という信条を持っていました。

 やがてマーガレットは環境に適応し、ボーイフレンドもできます。タントラ・セックスも経験し、ジムとの行為の経験後だったため、マーガレットにとっては性行為を正常に感じるため、愛されていると感じるための試みでした。彼女は、自分で認める以上に多くの労力を費やして、家族の病気についての羞恥を払いのけ、ジムにされたことをすべて忘れようとします。

 タントラ・セックスは古代インド・ヒンドゥー教の性の実践における宗教的伝統である(密教のタントラとは別のものである)。タントラにおいては従来的(欧米的)な性への文化的アプローチとは異なり、オーガズムを性交の目的とは考えない

 タントラ・セックスの実践者たちは、数多の体位や性技を用いオーガズム以前の状態に長時間留まり続けることで心身の長い恍惚を得ようとし、オーガズムはその1つの区切りに過ぎないと考える。

 性のエネルギーはオーガズムではなく、至福の悟りへと進むために用いられる。 バグワン・シュリ・ラジニーシのような現代のネオ・タントラ・セックスの唱道者たちは、こうしたアプローチによりオーガズムの感覚が意識的体験の全域へと広がってゆくと主張している。

 また、西洋文化が絶頂感のオーガズムという目的に焦点を合わせすぎで、性体験以外の他の時間において深い快楽を味わうことを妨げていると主張しており、これを取り除くことによってより豊かで、十全で、強力なつながりを得ることができると説いている。

Wikipediaより

 しかし、1976年ゲイリー家からさほど離れていないデンヴァーのロレット・ハイツ大学に入学した九男マットは、ある日ゲイリー家を訪れます
 そして、ゲイリー家で全裸になると、持参した自作の陶芸の花瓶を床に叩きつけて粉々にします

 マーガレットは、以前の世界が新しい世界になだれ込んで来て、ここは自分の本来の居場所ではないこと、安全な場所などどこにもないことを思い知らされます。彼女の平和が終わるのは、時間の問題であるように感じられたのでした。

 二女メアリーは、マーガレットを訪ねさせてくれるよう働き掛け続けました。ドンとミミは数か月に一度、週末をデンヴァーのゲイリー家で過ごさせてくれました。メアリーは生まれて初めて、家族からのジムからも離れ、警戒を解いて、ありのままの自分を少しばかり見せ、自宅の状況を忘れることができました
 しかしメアリーは、マーガレットがいつもこの世界にいつも暮らしているのに、自分は一生懸命お願いしてようやく訪ねる機会を得るだけなのには、相変わらず納得することができませんでした。

 九男マットはゲイリー夫妻の家で精神の錯乱を見せた後、大学を中退して自宅に戻り、ドナルドやピーターを一緒に暮らしていました。彼は、自分はポールマッカートニーだ、と宣言しました。ギャルヴィン家に住む唯一の正気の子供であるメアリーは、もうマットに守ってもらえなくなりました。今や彼も問題の一部で、危険な存在になりました。
 メアリーはマットとピーターが歯止めの利かない殴り合いの喧嘩を始めると、両親の部屋に鍵をかけて閉じこもるようになります。
 
 ドナルド、マット、ピーターの中でドナルドがもっとも統合失調症の症状が重いものの、マットとピーターも少しづつ悪化していき、三人それぞれが精神病院への入退院を繰り返すことになります。

 三男ジョンは音楽教師に、六男リチャードは実業家に、八男マークはホッケー選手になって家を出ており、病気の兄弟に心を痛めながらも、実家とは距離をとって生活をしています。七男ジョーは、空港のタンクローリーの運転手をしながら静かに暮らしていましたが、精神病の兆候がいくつか出かかっていました。
 
 メアリーは13歳になり、完全に自我を確立すると、家族に起こってることを目の当たりにし、次は自分が統合失調症を発症するかもしれない、というかすかな覚悟を持つようになりました。メアリーが成長したのをみて、母親のミミはドンの介護に専念し、兄たちの面倒をメアリーに任せるようになります。これについて、メアリーは病気の兄たちを押し付けられ、放棄されたと感じます。

 メアリーの心の動きを察知したミミは、時折メアリーひとりだけを一緒に買い物に連れ出したりなどもしました。メアリーは、家族の世話に追われ続ける人生のミミを不憫に思いながらも、自分にだけ向けてくれる親としての愛情を求め続けていました

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