見出し画像

メンヘラよ、自分の人生だろう

 自分がどうしたいかだろ。

 誰にどう思われようが、自分が行きたいルートに進めばいいんだよ。
 私はどうしても自分を変えたかった。楽しく生きたかった。地元を出れば何かが変わると思ってた。たしかに環境は変わった。
 だけどもここでも思い知らされる、私という人間の本質は変わることなどないのだと。それがどんなに認めたくないものだとしても、認めざるを得なかった。

 ひとりはさみしい、愛してほしい、そう思うことは、はたしてそれほど悪いことなのだろうか。

 思うこと自体は罪ではなくても、そういう心の弱い部分につけ込んでくる人間というのは存在する。
 であれば、誰とも繋がらず、ひとりで生きていけば傷つかずに済むではないか。

 ワガママな話ではあるが、傷ついても、やっぱり誰かとお互いを大事にし合う関係になりたい。諦めたくない。

 人として生まれた以上は、いつかは自分を愛してくれる親の元を離れて、独力で生きなければならないときがやってくる。
 そしていつかは親も必ず死ぬ。無条件に自分のことを気にかけてくれる存在との別れ。理屈じゃなく涙が出てくる。
 楽しいことばかりじゃなかったはずなのに、それでも思い出すのはまだ子どもだったころの楽しかったことばかり。
 母は自分の人生の若い時間を使って、私たち姉弟が子どもらしく暮らせるように頑張ってくれていた。
 のんきに暮らせた時期があったのは本当にしあわせなことだった。自分が自分のままでいられて、ごはんが食べられて、必要なものは買ってもらえて、ぜいたくは出来なくても、笑って生きていられた。
 それは母が家庭を守ってくれていたおかげ。

 私の親世代は、結婚したら仕事を辞めて家庭に入るのが当たり前の時代で、20代半ばくらいには子どもを産むのがふつうとされていた。
 何で離婚したんだとか、そのせいで経済的に苦しい思いをするハメになってとばっちりを受けただとか、悪い面ばかり見ていたけど、かつては結婚するくらい好きだった人と離婚するくらいだから、散々考え尽くして、それで出した結論だったんでしょ?
 だいたいね、20代なんてまだまだまだまだ本っ当〜に若いんだよ、何も知らないよ、それでいいんだよ。結婚してみて上手くいかないことだって当然あるよ。
 なのに、子どもを育てるという責任をひとりで負って、投げ出さなかった、それだけで立派だよ。 
 自分が母の若いころの年齢を超えて思う、私なんか自分ひとりの面倒すら見切れないでウダウダしてるのに、仕事も、家のことも、子どもの面倒も、ぜんぶやってたのは立派だ。
 やらなきゃいけないことを投げ出さずにやるということは、それだけで十分認められるべきことだ。

 気持ちが盛り上がりすぎて母のくだりが長くなってしまった。
 本題に戻すと、いいかげん碇シンジごっこをやめろって話だ。現実を見ろ。実現したいことがあるのなら、それに向かって行動するしかない。棚からぼたもちなんてない、いつか王子様はこない。
 現状に文句をいくら言ったとて、実際世界がどれだけ残酷であったとて、それに対して嘆いているだけで、私ってかわいそうに浸っているだけで、何かが変わるのか。

 何も感じるなとは言わない。ただ、感情をすこし抑えた方が生きやすい。そこで理性の出番。
 他人との関わりなんて生きていく上で絶対にゼロにはできないし、毎日行かねばならない職場では感情スイッチを切るぐらいでちょうどいいかもな。
 プライベートで身勝手な男に神経すり減らしてメンヘラになるの、マジで寝れなくなってなおさらメンヘラになるし日常生活に支障をきたすから、そんな男とは関係を断てよと。

 いいかげん自分がどんな人間なのかもわかってきたくせに、行きたい方向も見えてきたくせに、抜け出る勇気だけがどうしてもなかった。
 だけど、自分が前向きにしあわせに生きるために、こんなのは違うってずっと思ってた。
 もうその声を無視できなくなった。
 だから私は、もっと自分を大事にして、もうすこし理性的になるよ。

 どうせまたたぶんすぐにギャーギャー大騒ぎするんだろうけど


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?