恵まれていると自覚しなきゃ
私はKALDIとか、輸入雑貨のセレクトショップとか大好きで、
看板を一目見かければ
絶対、入っちゃう
「うっしっし、、」
しっかり何かしらゲットして、「にやにや」と、店を出ます(笑)
でも、選びきれないほど、きらきら、ぎゅうぎゅうと素敵なもので溢れてて
「また余計なもの買っちゃった」
って、自分の凝りのなさに呆れながらも
こころのはしが、ちゃんと、ほっこり、温まる感じ。
そんな一瞬が日常にあることは
紛れもなく、豊かの象徴だと、思うのです。
豊かであることが、あたりまえになってから
”豊か”は日常に溶け込んで
煮込みすぎたじゃがいもみたいに
すっかり輪郭を失ってしまった。
あなたの目に映る、ものでいっぱいの景色
そこで、ちょっと、考えてみる
抽象化された個々のものたちの、これまでの道のりと、行先について。
関わってきたひとびとと、
それはお金を生み出す「商品」である、ということについて。
現実や問題を、表面だけフィルターつけて簡単に誤魔化せちゃう世の中だけど
その裏を想像できること
考えることから逃げず続けられること
もしそのさきに見えるものが、目を背けたくなるものだとしても
そういう視点を持てる人は
少しずつ行動を見直して
”人としてもっと豊かに暮らしていける人”
候補だと、思うよ
考えられることは、ひとつの才能だと思うのです
でも、考えすぎちゃうと疲れちゃうから
今日もゆっくりお湯に浸かってね