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「52ヘルツのクジラたち」

52ヘルツのクジラたち
それは、誰にも聞き取ることのできない「52ヘルツ」の声で鳴く鯨たちのこと。
貴湖は恋人の前で刃を翳した。その刃は、自らの腹に鎮まり消えない傷となって今も残っている。
傷が疼くとき、気づけばいつも呼んでいる「アンさん」の名。彼は貴湖に「魂の番」という言葉を教えてくれた人だ。彼は、1人で暮らす家の浴槽で、手首から血を流し1人で死んだ。
2人の愛する人を傷つけてしまった自らへの悪寒に耐えられず、誰も自分を知る人のいない、かつて祖母が住んだ辺鄙な港町へ貴湖はやってきた。疲弊した心が求めるのは、何もしない安らかな時間だけ。仕事もせず、貯金を崩して暮らす平穏な暮らしの始まりのはず、だったのに。
「キャバクラだったんすか?違うっすよね、俺、なんとなくそういう感じしなくて」
引越し業者の「村中」とやら男が唐突にとんでもなく失礼なことを言ってくるではないか。
そうか、ここは田舎町。若い女が今にも死にそうな顔で突然やってきてフラフラとしているのを見れば、噂好きの婆さんたちが黙っていないのだ。根も葉もない、だが小気味良い噂がどんどんと広まっていくだろうとは、想像が足りなかったと貴湖はがっくり肩を落とす。

でも、死に迷うときも、逃れられない過去に追われる時も、いつも新たな出会いはやってくる。
卑劣な虐待を受け言葉を失った少年「52」を救うべく、彼がが出逢うべき人を探す中で、貴湖の中に燻り彼女を内側から静かに蝕む毒が、少しずつ流れ出てゆく。

誰にも聞かれることのない、彼女たちの悲痛の叫び
それは52ヘルツの鳴き声となって海中を彷徨い、思わぬところで共鳴する。
同じ波数で響く悲鳴が、幾重にも重なり合って一つのカノンを奏でるまでの
苦しく、温かいお話です。

私はこの話を読みながら、何度も自らの左胸に刺さった刃、52ヘルツの悲鳴しかあげられない心の傷が疼き、痛みに悶えました。
でも、その痛みの先に、広大な優しさを見つけることができました。
明けない夜に耐え続けるあなたに、ぜひ呼んでいただきたい一冊です。

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