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量子脳理論とエロス。生命の根源としてのポコチン。隠された事実と人類崩壊という宿命

私が大嫌いな科学者はペンローズとカーネマンです。
カーネマンは経済学者ですが、ペンローズは物理学者です。
ペンローズは量子脳理論というおかしげな学の分野を打ち立てて意識の研究をやっています。量子的に把握しようということです。

とある自称・科学者が集まる掲示板のスレッドで、量子脳理論をボロカスに批判して、「脳は生存競争に負けた人間が生み出した。そうさせた生物の根源はエロス、つまりポコチンとクリトリスであって、科学者は結局のところポコチンの研究者にすぎない」と主張したら、怒り狂って反論してくる人が沢山いました。

私は科学者というのは貨幣錯覚によって動かされている家畜のような人たちだと哀れに思います。
貨幣錯覚というのは金融学の用語で、経済成長を伴わない金融政策による経済効果の本質を言い表した言葉です。
科学者はノーベル賞や金銭的な報酬によって科学が高尚なものだと洗脳されれている哀れな家畜だと思います。

巨大資本は彼ら家畜を貨幣錯覚によって操り、生み出した科学によって残りの人類をシステマティックに家畜化しているだけです。
アウシュビッツでユダヤ人を実際に虐殺したのは命令され操られていたユダヤ人ですが、それと同じ手法です。そういうシンプルな構造に気が付かない哀れな人たちだと思っているのです。資本主義が生んだ巨大資本という支配者は、私たち家畜を家畜である科学者によって管理しているのです。(そして、とうとう8割の人がワクチンを打たされてしまった。)

そんな哀れな科学者を先端で引っ張っているのが、ペンローズやカーネマンです。彼らはおそらく、貨幣錯覚だと気づいています。それゆえに悪質さが際立っています。人間の世界認識や人間の行動原理は、認知バイアス(脳の錯覚)によって成立しています(※しかし、これを認知バイアスとみなす西欧合理主義こそが実は錯覚であることについては別の記事で書いています)。彼らはまさにその原点から出発しているので、当然、分かっているわけです。つまり、彼らは我々を家畜化する側の巨大資本の走狗です。そんな彼らの邪悪な方法論に気が付き、対抗しているのは、知の巨人といわれるチョムスキーだけです。

さて、これ以降は完全に私の妄想記事となります。ご注意下さい。

前にも話したかもしれませんが、映画・攻殻機動隊がテーマにしているようなゴースト(意識)の抽出について、現実の世界でも研究が進んでいます。ロボティクスで有名なボストンダイナミクスの売却は、機械学習など、機械的な学習では開発が遅すぎると思って放棄したのではないかと予想しています。
つまり、米軍や軍産メジャーは、すでにボストンダイナミクスより進んだ技術を手に入れた可能性が高い。
そう考えると、人間の意識(ゴースト)抽出がある程度進んでると考えざるを得ないのです。なぜなら、ロボット開発は、必然的に、人間の意識抽出をターゲットにすることになるからです。

この下のリンク先の企業名、笑っちゃいます。ゴーストロボティクス。やろうとしてることがバレバレです。つまり、ロボティクスの最終目標は攻殻機動隊と同じで、意識の抽出や乗せ換えです。


実は、現在のロボット開発の原点はチョムスキーの生成文法にあります。さらにいえば、キルケゴールから始まる実存哲学やソシュールの記号論にあります。ハイデガーは、存在と時間において、この世界は、人間の存在(脳)によって現象している錯覚にすぎないと言いました。フッサールにおいて体系化された現象学は、そもそもこの世界を人間にとって存在するフィクションの世界だと証明しています。これはのちに、ゲーデルによって数学的にも証明されました。

チョムスキーは、人間の脳は意識的に身体をコントロールする特別な機能を備えており、それゆえ、人間が言葉を使うのはもともと人間に備わった機能であるとの仮説を主張して世界を震撼させました。ようするに、生まれた後に身に付ける能力ではなく、もともと、言葉を話せるように脳が進化(劣化)したということです。つまり、身体の器官として、脳が言語を生み出すと主張したのです。実存哲学を突き詰めた先にあった一つの帰結だろうと思います。

実は、言語というものが脳と物理的につながっていて、それゆえ、意識とも深くつながっている可能性がある。人間の身体と脳をつなぐものである可能性があるのです。言語機能はエロス(生物を動かす根源)を意識化するために脳が内部化した臓器の可能性があるのです。

すこし脱線しますが、この生成文法のエッセンスを小説化したおもしろい作家がいます。
伊藤計劃さんです。虐殺器官という小説で、思いっきりチョムスキーの生成文法の概念を展開されています。とてもおもしろかったです。どこでも語られない伊藤計劃とチョムスキーの生成文法との関係をどこかで書きたいと思っていたので、ここで書けて良かったです。(いつものように私だけが言っている独自の説です。でも、知ってる人が読めばすぐわかるので、誰かがどこかで言ってるかもしれません。)

話しを戻します。
チョムスキーの認知科学における成果は、近年、量子脳理論や生命科学とリンクしました。意識とはなにか?という研究が急ピッチで進められていますが、最重要機密なので外部に公表されません。しかし、おそらく、生命科学の分野でゲノム解読が進み、脳科学や量子脳理論、認知科学が融合することで、意識がなにかについて、かなり判ってきているのではないでしょうか。
それをアルゴリズムとして抽出できる段階にきていて、もうボストンダイナミクスの技術は古い技術になってしまった。私はそんな気がしています。ゴーストロボティクスの軍用ロボの中にいるのは人間のゴーストではないですよね?どなたか電話して訊いてみてください。

ロボティクスにおける意識抽出と実用化も大変な問題ですが、それよりも重要な観点は、科学技術の開発によって進化しているように見えるこの世界の状況は、実は劣化である可能性があるという観点です。
人間の脳は生存競争に負けることによって進化してきましたが、それは単に、地球の破壊者という意味では劣化でしかないのです。結局、意識というものが(脳の発生と発達による意識の誕生は)、生命の構造が、人間でも扱えるほどに劣化(退化)したと考えることもできます。

脳を持たない生物もいるわけで、人間がその生物を作り出せるかというと作り出せない可能性が高い。なぜなら、その生物の原動力はエロスの純粋な形である可能性があり、意識を持たない可能性が高いからです。

実存主義の巨人は世界を現象させるコア(根源)を探そうと理論構築してきました。ニーチェはこれを権力への意志と言い(抑圧されたエロス)、バタイユはエロスだと言いました。プラトンもエロスに注目していました。プラトンは実存主義の哲学者ではないですが、ある意味で実存主義的です。バタイユとプラトンのエロスの概念は少し違いますが、彼らは世界の根源を見定めようとしてきた点において同じ視点をもっていました。私も人間を動かす根源を探してきた一人ですが、私は、より具体的に、ポコチンという意味でエロスという言葉を使っています。ハイデガーは存在それ自体を観点にしました。

人間は、脳の発生と進化(退化)により、エロスを意識化しなければ身体を操作できなくなったと考える事ができます。この意識化を物理学では波動関数の収縮と説明しています。実は、脳の発生と進化(退化)によって、人類は二重スリットの問題にぶち当たってしまったと考えることもできるのです。劣化により実在の世界を認識できなくなり、ズレが生じてしまった可能性があります。

(サルトルやハイデガーらの個人的な実存主義的世界観を批判的に社会全体の錯覚(共同幻想)に拡大したのは構造主義哲学でした。この話の流れにおいては、社会的実存主義と言ってもいいでしょう。社会全体の波動関数の収縮によって、社会全体が同じフィクションを見ているのです。これが、本来、吉本隆明が概念化した共同幻想の本質だと思います(私が勝手に思っています)。この世界も、宇宙も、個人だけでなくこの世界に暮らす人間が社会として「共同で認識しているフィクション」なのです。宇宙は、実在の世界では宇宙として存在しません。宇宙として現象させるのはポコチンです。宇宙の正体はポコチンなのです。全ての人間に、みな同じように見えてしまうので、実在しているように思い込んでしまうのです。世界は共同幻想が見せる錯覚で、その正体はエロス=ポコチンなのです。)

脳の無い生物に二重スリットの問題は発生するのでしょうか?おそらくしません。

人間は、脳の発生と進化(退化)によって実在の世界を認識できなくなってしまった可能性があります。このことは、実は、学の分野を超えて、非常に重要な問題だと認識されはじめています。なぜなら、このことは、西欧の科学主義が根本から揺らぐ問題だからです。それゆえ、チョムスキーは意識の抽出などのオーバーテクノロジーに批判的な立場をとっています。ようするに、行き過ぎた科学は、技術の進歩ではなく、脳の発生と進化(退化)がもたらしたものである可能性があるのです。

ニーチェは弱者による僻みをルサンチマンと形容しましたが、実際にこのルサンチマンが脳の進化を促す可能性があるのです。生存競争に負けて(負けそうになって)エロスが抑圧されることが所謂進化を促す可能性がある。とても恐ろしい話で、私たちが刷り込まれていた進歩観念は全く事実とは違う可能性があります。

つまり、ポコチンが危機を感じることで脳が生まれました。
簡単に言うと、俺もあの女を手に入れたい!という弱者の僻み、ブサイクの嫉妬が進化(退化)を促したのです。おれもポコチンを使いたい!使いたくてたまらないのだ!という想いが脳を生み出したのです。
これは冗談で言っているのではありません。

とにかく、そんな流れで、「進化」という進歩的観念について、近年急速に意味の問い直しが始まっています。
単に、刷り込まれ、植え付けらえた進歩観念を問い直す必要があります。盲目的に科学主義を信奉することは人間の自滅に繋がるとわたしは考えています。ゲノム編集もそうです。素晴らしい技術と思って扱っているレベルの低い科学者が沢山いますが、こういう技術は、そもそも、人間の自滅を促進していると考えることもでき、そちらの方が正しい可能性があります。

脳の発達は決して生物の優位性を示すものではありません。
ボーアが仏教に陶酔したのは当然の帰結でした。お釈迦様は因果論的な世界認識が錯覚だと悟っていたので、脳の発達が特別なものだとは考えていませんでした。だから殺生を嫌ったのです。

そもそもなぜ人間が生まれたのか?ということもかなり判り始めています。実は、そこには驚くべき事実が隠されていたのです。機会があればまたどこかで話します。

チョムスキーと並び人類史における最大の知の巨人である南部洋一郎は、自発的対称性の破れという概念によって、対称性つまり、西欧の価値観(神=世界の秩序)はいずれ自発的に滅びると言いました(これは私の解釈です)。物理学的にニーチェと同じことを言ったんですね。科学者でありながら、理論が完全に巨大資本に対する皮肉となっていて素晴らしいです。

科学者はポコチンを研究しているにすぎません。
そしてこのことは、因果論的に原因を探すことに意味がないことを示唆しています。コペンハーゲン解釈に納得できない科学者は頭が悪い専門バカですが、バカ(貨幣錯覚)が巨大資本によって意図的に生み出されているので仕方がないと思います。アダム・スミスはそれを危惧していましたが、巨大資本は分業の深化によって敢えて専門バカを異常なくらい大量にこの世界に増やして多くを貨幣錯覚により家畜にしてしまったのです。

ニュートンがリンゴが落ちるのを見てしまったのは人類にとって悲劇でしかありませんが、それは必然でもありました。しかし、人間の認識限界の先にあるエロス(生の根源)について考えることは、オーバーテクノロジーをどう扱うべきか、という点において極めて重要な意味を持つと思います。

以上です。


追記(2022.11.3)
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追記(2022.11.11)
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追記(2022.11.25)
この重要な記事を追記するのを忘れていました。すみません。