小林和孝

92年メキシコに渡り、デビューした元ルチャドール。99年に引退後、メキシコ、アメリカで…

小林和孝

92年メキシコに渡り、デビューした元ルチャドール。99年に引退後、メキシコ、アメリカでのプロレス取材と、ルチャリブレに関する記事を執筆。

最近の記事

メキシコの空港で起きた珍事件

今回は日本からメキシコに観光旅行にやってきた、女性二人に空港で起こった事件を紹介。(ちなみに今から20年前の話しになります) メキシコで観光ガイドをやっていた筆者は、前日メキシコ市内観光を行い、メリダ、カンクンに向かう彼女たちを、ホテルでピックアップ。 ドライバーとともにベニート・ファレス国際空港に向かうと、お客さんのチェックインを手伝い、発券されたチケットを確認。 ゲートの入り口まで案内し、係員にチケットを見せ、中に入った彼女たちは突き当りまで進み、左右両サイドにある

    • メキシコのファストフード店にて

      アメリカ発祥の某ハンバーガーチェーン店。近年ロシアからは撤退したようだが、そういった例外を除けば、今や世界中どこでも見られるこの有名店はメキシコにもあり、多くの人が利用している。 このお店のメキシコ第一号店がオープンしたのは、1987年ごろのこと。日本上陸が1970年代初頭だったのを考えると、アメリカの隣国にもかかわらず、これだけ時間がかかっているのは不思議だが、当時のメキシコには外資系の飲食店など存在せず、ラテンアメリカに進出するのは現実的ではなかったのだろう。 本題は

      • メキシコのコンビニって...

        「海外は日本と違って危険、とにかく気をつけて!」というのは海外旅行に行ったことのある人なら、かならず周りから言われる言葉だと思う。 当然環境が違うのだから、言われなくても気をつけるだろう。しかしそれは、あくまで想定できることに対してだ。 それまでの人生で聞いたこともなければ、見たこともないような出来事に直面したら、誰だって対処などできないのが普通で、そういった出来事に遭遇しやすいのが海外だ。 ここでは筆者が15年メキシコで生活していた時に、日本からの旅行者に起こった事件を紹

        • 似て非なる二人の天才、TAJIRIとCIMAの真逆なプロレス観

          軽量級でありながら、世界を股にかけ活躍する2人のレスラーTAJIRIとCIMA。 正式デビュー以前、TAJIRIは大学生、CIMAは高校生の時に単身メキシコに渡り練習した経験を持ち、デビューしてからもメキシコを主戦場としていた時期がある2人は、各々がルチャ・リブレを取り入れて独自のスタイルを構築していった。 ある時期からはレスラー活動をしながらも、後輩の育成や団体のプロデュースに力を入れるようになり、オフがあれば精力的に海外で試合をするといった共通項も多くある。 メキシコを

        メキシコの空港で起きた珍事件

          アメリカってTV放送にも国内時差があるの⁉

          アメリカ国内には4つの時間帯(ハワイを除く)がある。 東海岸時間 (ET)ニューヨーク、ボストンなど セントラル時間(CT)シカゴ、テキサス州、ルイジアナ州など 山岳部時間(MT) デンバー、ソルトレイクシティー、フェニックス 西海岸時間 (PT) シアトル、ロサンゼルス、ラスベガス 東海岸のニューヨークと西海岸のロサンゼルスでは、3時間の時差がある。 ニューヨークが12時の時、ロサンゼルスは9時ということになる。 ここまでは誰もが知っていることかと思う。 そうなるとア

          アメリカってTV放送にも国内時差があるの⁉

          メキシコの郵便屋さん

          ぼくがメキシコにいたのは今から17年も前のことだから、現在はだいぶ事情も変わっているとは思うけど、当時の現地郵便事情についてのお話しを紹介します。 「メキシコでは郵便が届かないのは当たり前、ポストにいれても絶対届かないぞ。」 というのが、92年にぼくがメキシコに渡った当時の現地の人の言葉。 実際そのころ街角にあるポストはズタボロで、言われなくてもハガキを入れようとは思えないシロモノだった。 それが94年ごろ、古いものはすべて撤去され、新しいデザインのきれいなポストがお目

          メキシコの郵便屋さん

          メキシコの警察官って...

          当然だが、日本とはまったく違う生活環境であるメキシコにいると、非日常的な現実に直面することがある。 その中でも代表的なケースは、犯罪に巻き込まれるパターンだろう。 現地で生活する日本人の大半が、大なり小なり犯罪にあっているのに比較すると、1992年から2007年まで15年間メキシコで生活していたわりに、ぼくは危険な目にあったことは少ない。 そんな少ない経験の中から、警察官にまつわるお話しを紹介します。 車でメキシコシティ北部のペリフェリコという大通りにできた、新しいホー

          メキシコの警察官って...

          理解不能な「ウルトラマンエース」のゴルゴダ星爆破命令

          昭和ウルトラマンシリーズ第2期(帰ってきたウルトラマン~ウルトラマンレオ)は、初代ウルトラマン、ウルトラセブンや、その後の平成シリーズに比べると、だいぶ雑に作られた作品が多いように感じられるが、その中でも特出?しているのが「ウルトラマンエース」である。 今回はエースを見た人なら誰もが覚えているであろう、ウルトラ兄弟が十字架にはりつけになった、13話「死刑!ウルトラ5兄弟」14話「銀河に散った5つの星」から粗さがし・・・いや、検証をしてみたい。 早朝、新聞配達をする少年とそ

          理解不能な「ウルトラマンエース」のゴルゴダ星爆破命令

          ウルトラマンエースのデタラメすぎる世界

          近年ウルトラマンシリーズのブルーレイ、DVDを見続けていると、懐かしさに浸ると同時に、記憶から抜け落ちていたものや、見たはずなのにまったく記憶になかったものなど、小学生時、自分は怪獣博士だと思っていたのに、それほどではなかったことを思い知ることになった。 初代「ウルトラマン」の王道的なストーリー作りや、「ウルトラセブン」の敵の宇宙人は決して誰もが強いわけではないリアリティのある戦いなど、おじさんになってから見るとずいぶんと違った視点で見ることができた。 3年のブランクを経

          ウルトラマンエースのデタラメすぎる世界

          昭和に比べてこんなに進化⁉ウルトラマン・ガイアのプロレステクニックと受け身

          平成ウルトラマンシリーズ第三作目となるウルトラマン・ガイア。第一作目のウルトラマン・ティガに関しては以前少しだけ触れたが、二作目ウルトラマン・ダイナの視聴はスルーしたので、今回のプロレス技検証に一作分の空白が生じてしまうが、ご了承のほど。 ティガは時代背景としてK-1全盛期だったこともあり、キック、パンチ、突きが多くみられたが、これはガイアにも同じことがあてはまる。 基本的な技としては、正拳突き、回し蹴り、後ろ回し蹴り(スピンキック)が最も多く、トラースキック、ローリング

          昭和に比べてこんなに進化⁉ウルトラマン・ガイアのプロレステクニックと受け身

          ウルトラマンエースにみられる、プロレス的技の組み立てかた

          以前「ルチャの受け身とウルトラマンの受け身は同じ?」で、前まわり受け身を中心に、歴代ウルトラ兄弟のプロレス技を使った戦い方を書いたが、今回はウルトラマンエースをフォーカスし、より深堀りしてプロレスラー的に見るとどうなのか?を改めて検証してみたいと思う。 番組開始時のエースは、動きにぎこちなさが見え、超獣と抱き合ってくんずほぐれつの素人のケンカのような戦い方が多い。見た目に何をやっているかわかりずらく、プロレスラーだったら控室に帰って先輩にこっぴどく叱られるであろう闘い方と言

          ウルトラマンエースにみられる、プロレス的技の組み立てかた

          メキシコでドラゴンボールが成功した理由

          メキシコで「ドラゴンボール」の人気が最も爆発したのは、97年から98年にかけてのことだ。露店ではキャラクターのイラストを加工したパネルや、フィギュア、Tシャツなど数多くの海賊版が売られ、町中にあふれかえり(メキシコでは正規品のほうが珍しかった)、劇場での舞台化や、映画も公開されるほどだった。 正確には覚えていないが、メキシコで同作品のテレビ放送が始まったのは、95年の後半で、地上波のテレビサ5チャンネルの1時間枠で、一度に2話づつ放送されていた。 当初夕方だった放送時間は、

          メキシコでドラゴンボールが成功した理由

          ルチャの受け身とウルトラマンの受け身は同じ?

          コロナが広がりをみせた頃、アメリカではウルトラマンシリーズのブルーレイ(レオ以降はDVD)BOXが続々とリリースされていた。 一作あたり10ドル~15ドルと手ごろな値段だったため、ちょいちょい買っては見てを繰り返し、先日ウルトラマンティガまで見終えることができた。 ここまでシリーズを見ていて気になったのは、ウルトラマンたちが取る受け身。これは昨年Gスピリッツで書かせてもらったが、特撮ヒーローたちが取る前回り受け身は、日本のプロレスや柔道のそれではなく、ルチャ・リブレの前回り

          ルチャの受け身とウルトラマンの受け身は同じ?

          なんでルチャって右で組むの?

          90年代、日本のマット界はインディー団体の登場で、多団体時代へと突入。 そのおかげといってはなんだが、それまで見ることのできなかった、メキシコ直輸入のルチャ・リブレを日本にいながらにして堪能できるようになった。 それ以前もメキシコから多くのルチャドールが来日していたが、日本人の対戦相手として呼ばれた彼らのほとんどが、持ち味を発揮できずにいた。 しかし、そんな彼らも十数人まとめて来日するようになり、メキシコ人同士の対決になると、ウソのように見違えた動きを見せ、ルチャの楽しさ

          なんでルチャって右で組むの?

          あの頃おこった、新日本プロレス3大暴動事件②(終)

          最初にちょっとお知らせです。 8月29日に扶桑社から「俺のプロレス Vol.5」が発売されます。 「検証 初代タイガーマスクの1983年」 「検証 クーデター後、新日本はどうなったのか?」 この2本を書かせていただきました。 来週火曜日発売ですので、書店でみかけたらちょっと見ていただければうれしいです。 では本編の続きをお楽しみ下さい。 ▼87年12月27日両国国技館 イヤーエンド・イン国技館 3大暴動の中で実は根深く、最もファンの怒りを買ったのがこの大会だろう。

          あの頃おこった、新日本プロレス3大暴動事件②(終)

          あの頃おこった、新日本プロレス3大暴動事件①

          これまでプロレス会場にはファンとして、選手として、そして取材のために幾度も訪れてきた。それぞれの立場で記憶に残る大会というのはあるが、ファンとして観戦していた時代に遡ると、80年代に新日本プロレスで暴動の起こった3大会は、のちのち語られることも多いことから、印象深い大会となっている。 83.6.14蔵前国技館 87.3.26大阪城ホール 87.12.27両国国技館 たまたまボクはこの3大会を会場で観戦していた。観客として、なぜ、どのように、暴動が引き起こされてしまったのか

          あの頃おこった、新日本プロレス3大暴動事件①