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あの頃おこった、新日本プロレス3大暴動事件②(終)

最初にちょっとお知らせです。
8月29日に扶桑社から「俺のプロレス Vol.5」が発売されます。

「検証 初代タイガーマスクの1983年」
「検証 クーデター後、新日本はどうなったのか?」

この2本を書かせていただきました。
来週火曜日発売ですので、書店でみかけたらちょっと見ていただければうれしいです。

では本編の続きをお楽しみ下さい。

▼87年12月27日両国国技館 イヤーエンド・イン国技館

3大暴動の中で実は根深く、最もファンの怒りを買ったのがこの大会だろう。
この87年は新日本プロレスがファンを裏切り続けた1年で、先にあげた3月の大阪城ホールでの暴動発生、テレビ放送のバラエティー化、世代闘争の尻切れトンボ、前田日明謹慎処分など、次から次にその原因をあげることができる。

この年ぼくは6月から12月にかけて、7回新日本の両国国技館大会に足を運んでいるが、よかったと思えたのは8月2日の猪木VSビガロ戦が行われた時ぐらいで、他の大会は常にモヤモヤしたものがあった。

まず6月のIWGP決勝は、3月からすでに3度目の対決となる猪木VSマサ斉藤というフレッシュさを失ったカードだ。
リーグ戦の決勝だから仕方がないのはわかるが、UWFが参戦してから1年半たっても猪木VS前田日明は1度も実現していないだけに、なぜ斉藤ばかりと闘う?とすんなりとは受け入れられないのだ。
ただこの日は長州、藤波、前田らニューリーダーズが猪木、斉藤らナウリーダーズに宣戦布告をしたという点で、今後の展望に期待が持てたので、最終的には納得の大会だった。

8月2日は先の猪木VSビガロに加え、藤波、長州、木村VS坂口、斉藤、藤原、IWGPタッグは前田、高田VSマシン、小林が組まれるなどカードもよく、文句はつけようがなかったが、これ以降は回を重ねるごとファンを失望させていく。

初の両国2連戦となった「サマーナイトフィーバー・イン国技館」は当初予定されたカードであれば文句はなかったのだが、ナウリーダー軍の飛車角ともいえるマサ斉藤がアメリカを出国できず欠場。
売出し中の新鋭武藤敬司が代打で猪木率いるナウリーダー軍に入る矛盾に、せめて猪木らと同世代である上田馬之介やケンドー・ナガサキ(実際にはニューリーダー世代だが)あたりを呼べなかったのか、と誰もが思っただろう。
初日の5対5イリミネーションマッチはまだしも、2日目に組まれた藤波、長州組とのタッグはせめてテーマにのっとって、猪木、坂口組にしてほしかった。
この時代替カードとして行われた猪木、武藤VS藤波、長州は、両国でメインをはるカードではなかった。

10月25日の大会では藤波VS長州、猪木VSスティーブ・ウイリアムスのIWGP戦が行われた。長州が新日本に復帰していきなり藤波との抗争を再開させるのではなく、一度組ませて世代闘争という新たなテーマを作ったのは、エンターテインメントとしては大正解だった。
しかし長州のテレビ放送問題がクリアされるや、いきなり今までの流れを無視し、過去に高視聴率を取った両者の対決を提供するという姿勢には興ざめしてしまった。
しかも3本勝負で行われるという不可解さが、この時代の新日本の迷走ぶりをあらわしており、この日の両国は寂しい入りだった。

そしてこの年最低だった両国大会が、12月4日ジャパンカップ争奪タッグリーグ戦だ。予定では猪木、藤原VS長州、斉藤と藤波、木村VS前田、マシンという注目の公式戦が組まれていたが、ご存知の通り前田の長州顔面襲撃事件により、すべてが吹っ飛んだ。
代わりのカードは公式戦として猪木、マードックVS斉藤、藤原。藤原が欠場したからマードックが猪木と組んだはずだが、長州の代わりに藤原が斉藤のパートナーとなった。
最悪だったのは、セミファイナルだ。この日の藤波組の代替カードは事前に発表されていなかったので、いやな予感はしていた。

「まさかナガサキ組が相手じゃないだろうな」

予感は的中し、藤波、木村VSケンドー・ナガサキ、ミスターポーゴの公式戦でもなんでもない試合が組まれたのだ。
賞味期限がとっくに切れたこのカードを両国のセミでやるのは、あまりにも観客に対する配慮に欠けると言わざるを得ない。
代替カードは、エリック兄弟との特別試合でよかったはずだ。

その月末の27日に行われた「イヤーエンド・イン国技館」では、猪木VS長州という年末のビッグマッチにふさわしい好カードが組まれ、この年新日本にバカにされ続けてきたファンは、ようやく純粋に試合を楽しめると思ったのもつかの間、結果はご存知の通り。
当日リング上でのTPGの刺客ビッグ・バン・ベイダーによる猪木への挑戦でカードは変更され、長州は斉藤と組んで藤波、木村とのタッグマッチに出場。試合中リングにごみが投げ入れられる異常な光景の中、大「やめろ」コールが鳴り響いたのだ。

年間を通して、ファンをないがしろにしてきた結果といっていいだろう。

この大会のビデオはドキュメンタリーとしてみればかなりおもしろいのだが、巻き込まれた観客としてはたまったものではない。

木村に勝利した長州のマイクアピールにより、急遽猪木VS長州戦が実現することになったが、そのあとにベイダー戦を控えた猪木は、長州とまともに闘おうとせず、長州の負傷箇所を徹底攻撃。
この姑息な試合に観客のいら立ちは募り、更に猪木はベイダーに短時間で完敗を喫した。

不満だらけだった87年の集大成として、こんな最悪な茶番劇を見せられた観客は試合が終わっても席を立たずに居残り、この年2度目の暴動となった。

ただし破壊行為に関しては、蔵前ほどではなかった。というのは、近代建築の両国国技館は、蔵前とは違って作りが頑丈なので、素手で簡単に壊れる代物ではなかったのだ。蔵前暴動で引っこ抜かれていたマス席のパイプ製の囲いも、がっちりと固定されていてびくともしない。

場内からは輪島コールなどふざけたものもあったが、いたるところで本気の前田コールが起こっていた。
この1か月前に長州の顔面を背後から蹴り上げた前田は「プロレス道にもとる」とされ、謹慎処分を受けていたが、ファンにとっては、新日本の現状を打破できるのは前田しかいない、と逆に神格化していったのだ。

翌年前田は新日本を解雇され、新生UWFを旗揚げし大成功を収めるが、これは新日本が1年近くかけてファンの期待を裏切り続け、自ら首を絞め、UWFにファンが流れていくように積極的にプロモーションをやった努力の結果のようにしかみえない。

ちなみに後日雑誌のコラムに、同団体のリングアナが「文句があるなら見に来なければいい」と書いていたため、ぼくはお金を払って新日本を見に行かなくなった。

ここから新日本は「冬の時代」を迎えることになり、完全に息を吹き返すのは坂口征二が社長となってからのことだ。
しかし90年代には闘魂三銃士らの活躍で、東京ドーム興行も定着し、新日本はまたも大人気を博すのだから、87年は勢いをつけるための準備期間だったのかもしれない。

おわり

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