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100分de名著ヘーゲル「精神現象学」 

$100分de名著
ヘーゲル「精神現象学」 

NHK

100分de名著

ヘーゲル「精神現象学」 2023年5月

商品紹介
分断の時代にこそヘーゲルの思考法が必要だ!
さまざまな分断が可視化された現代社会にこそ、ヘーゲルの思考法が必要だ!ポスト・トゥルースの時代はなぜ訪れたのか? 意見を異にする他者と共に生きていくために必要なこととは?矛盾や否定を重んじて弁証法によって自由を構想したヘーゲルの著作には、不毛な対立を乗り越えて社会を形作っていくためのヒントが詰まっている。
マルクスが「私は自分があの偉大な思想家の弟子であることを率直に認め」(『資本論』)と書くように、ヘーゲルは後世に多大な影響をおよぼした大哲学者だが、破格のスケールで展開される思考には独特の難解さが付きまとう。
今回「100分de名著」で取り上げるにあたっては、さまざまな補助線を示しながら解説。ベルリンにわたってヘーゲルを研究した斎藤氏が、近年アメリカで進んでいる再評価の成果も踏まえつつ、日本の一般読者に向けて易しく解きほぐす。
放送情報
放送時間
チャンネル 放送日 放送時間
Eテレ(本) 月曜 午後10:25~10:50
Eテレ(再) 火曜 午前5:30~5:55
Eテレ(再) 月曜 午後1:05~1:30
講師情報
斎藤 幸平?講師
経済思想家、東京大学准教授。1987年、東京都生まれ。ウェズリアン大学卒業、ベルリン自由大学哲学科修士課程・フンボルト大学哲学科博士課程修了。大阪市立大学准教授を経て現職。著書に『大洪水の前に――マルクスと惑星の物質代謝』(角川ソフィア文庫)、『人新世の「資本論」』(集英社新書)、『ぼくはウーバーで捻挫し、山でシカと闘い、水俣で泣いた』(KADOKAWA)など。「NHK100分de名著 カール・マルクス『資本論』」(2021年1月)の番組テキストに大量加筆した『ゼロからの『資本論』』(NHK出版新書)がベストセラーに。
商品情報
発売日
2023年4月24日
価格
定価:600円(本体545円)
判型
A5判
ページ数
116ページ
雑誌コード
6223151
Cコード
C9410(哲学)
ISBN
9.78414E+12
刊行頻度
月刊
NHK
テキスト

$商品の説明

著者について

経済思想家、東京大学准教授。1987年、東京都生まれ。ウェズリアン大学卒業、ベルリン自由大学哲学科修士課程・フンボルト大学哲学科博士課程修了。大阪市立大学准教授おく経て現職。著書に『大洪水の前に――マルクスと惑星の物質代謝』(角川ソフィア文庫)、『人新世の「資本論」』(集英社新書)、『ぼくはウーバーで捻挫し、山でシカと闘い、水俣で泣いた』(KADOKAWA)など。「NHK100分de名著 カール・マルクス『資本論』」(2021年1月)の番組テキストに大量加筆した『ゼロからの『資本論』』(NHK出版新書)がベストセラーに。

$読者レビューより引用・編集
今更ヘーゲル❓~と思いながらも、斎藤幸平さんがどんなこと言ってるのか、読んでみた。勿論、私はヘーゲルの原著など読んだことはないし、この「100分de名著シリーズ」を読んでヘーゲルが分かった!とも思わないが・・・
現代だけでなく、そもそも近代以降の社会は多様な価値観が入り混じって「分断・対立」が普通なこと~それを止揚するための「弁証法」の大切さ~「論破(ロンパ)ールーム」で言い負かしたつもりの空虚さ~教養・啓蒙主義がある種の「信仰」を変えられない厚い障壁&もどかしさと「啓蒙側」の自己批判の無さ(「啓蒙」の「信仰」化)・・・いちいち尤もなんだが、彼が最後に提唱する「相互承認」のためには「まともな対話・議論」が大前提に。
私が現代社会(日本)で最も問題だと考えるのは、むしろ「対話の前提となる言葉すら発しない」、言わば自己の殻に閉じこもった「見ザル・聞かザル・言わザル」層である。政治的な話題・課題に一切タッチせず、我関せずに日々を生きている人々の何と多い事か‼ 明確な「ウヨ」などまだ分かりやすいが、多くの「無党派層」と言う名の「フワフワ浮いてるだけの」人に「届く言葉」などあるんだろうか?ここ数年のこの国の政治状況を見てきて、私には本当に「分・か・ら・な・い」。分断というより「暖簾に腕押し」状態。もう「分かる人・届く人」(だけ)を相手にせざるを得なくなってくる。そんな心境の今日この頃。


精神現象学 上 (ちくま学芸文庫) 文庫 

Georg Wilhelm Friedrich Hegel (著), G.W.F.ヘーゲル (著), 熊野 純彦 (翻訳)

https://www.amazon.co.jp/%E7%B2%BE%E7%A5%9E%E7%8F%BE%E8%B1%A1%E5%AD%A6-%E4%B8%8A-%E3%81%A1%E3%81%8F%E3%81%BE%E5%AD%A6%E8%8A%B8%E6%96%87%E5%BA%AB-Georg-Wilhelm-Friedrich/dp/4480097015/ref=d_pd_sbs_sccl_3_3/358-7178363-2690903?pd_rd_w=ckIRJ&content-id=amzn1.sym.0658137e-f5cd-4a01-8903-013eee01b385&pf_rd_p=0658137e-f5cd-4a01-8903-013eee01b385&pf_rd_r=CEYP9J0ZN79JYYDQYTY1&pd_rd_wg=B55hr&pd_rd_r=96a78bd9-f243-4508-83e9-b04c1b71ec18&pd_rd_i=4480097015&psc=1

$解説
精神はいかにして「絶対知」を手にするのか?
圧倒的な読みやすさと学問的正確さを誇る決定版新訳
※下巻に「小見出し一覧」「フレーズ索引」付

感覚的経験という最も身近な段階から、数知れぬ弁証法的過程を経て、最高次の「絶対知」へと至るまで―。精神のこの遍歴を壮大なスケールで描き出し、哲学史上、この上なく難解かつ極めて重要な書物として、不動の地位を築いてきた『精神現象学』。我が国でも数多くの翻訳がなされてきたが、本書は、流麗ながら、かつてない平明な訳文により、ヘーゲルの晦渋な世界へと読者をやさしく誘う。同時に、主要な版すべてを照合しつつ訳出された本書は、それら四つの原典との頁対応も示し、原文を参照する一助となす。今後のヘーゲル読解に必携の画期的翻訳、文庫オリジナルで刊行。

【目次】
序文
序論
A 意識
Ⅰ 感覚的確信、あるいは「このもの」と「思いなし」
Ⅱ 知覚、あるいは事物と錯覚
Ⅲ 力と悟性、現象と超感覚的世界
B 自己意識
Ⅳ 自己自身であるという確信の真なるありかた
自己意識の自立性の非自立性 支配と隷属
自己意識の自由 ストア主義、懐疑主義、ならびに不幸な意識
C(AA) 理性
Ⅴ 理性の確信と真理
観察する理性
理性的な自己意識がじぶん自身をつうじて現実化されること
自身にとって、それ自体として、それ自身だけで実在的である個体性


$読者レビューより引用・編集
哲学の主眼は認識の解明にあります。この認識のあるがままのメカニズムを把握することを自体的に、あるいは、概念的に把握するといいます。この自体的な認識にいたるための知性の遍歴こそが精神現象学なのです。この精神現象学は難解とされていますが、河出文庫のヘーゲル著作「哲学史講義」https://www.amazon.co.jp/%E5%93%B2%E5%AD%A6%E5%8F%B2%E8%AC%9B%E7%BE%A9-1-%E6%B2%B3%E5%87%BA%E6%96%87%E5%BA%AB-G-W-F-%E3%83%98%E3%83%BC%E3%82%B2%E3%83%AB/dp/430946601X/ref=asc_df_430946601X/?tag=jpgo-22&linkCode=df0&hvadid=296022876160&hvpos=&hvnetw=g&hvrand=11272851658863548873&hvpone=&hvptwo=&hvqmt=&hvdev=c&hvdvcmdl=&hvlocint=&hvlocphy=1009343&hvtargid=pla-589643469277&psc=1&th=1&psc=1

を読めば、概ね理解できます。(なぜなら、精神現象学は知性の遍歴ですので)なので、そちらを先に読むことを強く勧めます。
 ヘーゲルの精神現象学を読めば、哲学を体系的に理解できるようになり、フッサールやハイデガーといった現象学やデリダやドゥルーズといったポスト構造主義に至るまでエスカレーター式に理解できるようになれます。なので、急がば回れで精読を強く勧める。


$商品の説明

内容(「BOOK」データベースより)

感覚的経験という最も身近な段階から、数知れぬ弁証法的過程を経て、最高次の「絶対知」へと至るまで―。精神のこの遍歴を壮大なスケールで描き出し、哲学史上、この上なく難解かつ極めて重要な書物として、不動の地位を築いてきた『精神現象学』。我が国でも数多くの翻訳がなされてきたが、本書は、流麗ながら、かつてない平明な訳文により、ヘーゲルの晦渋な世界へと読者をやさしく誘う。同時に、主要な版すべてを照合しつつ訳出された本書は、それら四つの原典との頁対応も示し、原文を参照する一助となす。今後のヘーゲル読解に必携の画期的翻訳、文庫オリジナルでついに刊行。

著者について

G.W.F.ヘーゲル(Georg Wilhelm Friedrich Hegel)
1770-1831年。ドイツの哲学者。ドイツ観念論の完成者。自然・歴史・精神の全世界を不断の変化・発展の過程としてとらえ、これを絶対精神の弁証法的発展とみなし、それを学問的に把握するのが哲学であるとした(絶対的観念論)。著書は他に『論理学』『法律哲学綱要』『哲学的諸科学エンチクロペディ』など。

熊野純彦(くまの・すみひこ)
1958年神奈川県生まれ。東京大学文学部倫理学科卒。同大学院博士課程単位取得退学。東北大学文学部助教授等を経て、現在、東京大学文学部学長。専攻は倫理学。和辻倫理学の学統に属しながらも、故・廣松渉の哲学からも深く学んだ。著書に『ヘーゲル<他なるもの>をめぐる思考』、『レヴィナス入門』(筑摩書房)、『カント―世界の限界を経験することは可能か』(NHK出版)、『レヴィナス―移ろいゆくものへの視線』(岩波書店)、『カント 美と倫理とのはざまで』(講談社)など。翻訳にレヴィナス『全体性と無限 上・下』、ハイデガー『存在と時間(一)~(四)』(岩波書店)、カント『純粋理性批判』『実践理性批判』『判断力批判』(作品社)など。

著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)

ヘーゲル,G.W.F.
1770‐1831年。近代ドイツを代表する哲学者。精神の発展過程を意識経験の学として探究し、その論理を解明したことで、ドイツ観念論の完成者と言われる。イエナ大学、ベルリン大学などで教鞭をとった

熊野/純彦
1958年生まれ。思想史家。東京大学文学部教授。著書多数(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)


精神現象学 下 (ちくま学芸文庫) 文庫 

Georg Wilhelm Friedrich Hegel (著), G.W.F.ヘーゲル (著), 熊野 純彦 (翻訳)

$解説
「精神が偉大なものとなるのは、より大きな対立からみずからへと立ちかえる場合である」
人類知の全貌を描いた哲学史上の一大傑作、珠玉の新訳がその核心をついに明らかにする。
※下巻に「小見出し一覧」「フレーズ索引」付

長大な遍歴のすえ、人間はいかにして「絶対知」へと到達するのか?この書により、哲学史上、かつてない壮大な哲学体系をつくりあげたヘーゲルが、最後に出した答えとは―。平明な語り口でありながら、今後のヘーゲル研究に絶大な影響を与えるであろう緻密な新訳が、その核心を明らかにする。下巻の巻末には、『精神現象学』に数多くちりばめられた、広く知られる名言を拾いあげた「フレーズ索引」を収録。従来のはるか先へと読者の理解を導く。

【目次】
(BB) 精神
Ⅵ 精神
真の精神 人倫
じぶんにとって疎遠となった精神 教養
じぶん自身を確信した精神 道徳性
(CC) 宗教
Ⅶ 宗教
自然的宗教
芸術宗教
啓示宗教
(DD) 絶対知
Ⅷ 絶対知

訳者あとがき
小見出し一覧
フレーズ索引

$読者レビューより引用・編集
◆上巻のレビューが反映されたので内容を更新。当初は低い評価をつけていたのだが、繰り返し検討するうちに本書の素晴らしさや意義に感銘を受けるようになったので、上巻を☆5にした。下巻については下記本論の問題を感じるので☆5にはしない。ともあれ、本書とともに訳者既刊の『ヘーゲル』や、レヴィナスやレーヴィットらの翻訳を読み、積年の深いヘーゲルへの思い入れを感じるに至った(『ヘーゲル』だけでなく関連翻訳の注などにおけるヘーゲルの存在感がすごい)。

==以下本論==

◆本書は、訳者の独自性こそあるものの、かなり達意の訳文になっていると言える。この点で、長谷川と同等以上に読みやすく、樫山版と同じ文庫という携帯性があることを考えると、突出した凄みというよりは、内容・形式ともどもの総合点によって、これまでの翻訳の多くを過去のものにしたとも言える。それでも金子訳・そしてそれを踏襲する牧野訳の意義は未だ残ると思われるが、とても有意義な全訳の品揃え。

◆熊野訳のすぐれているところは新しいことと小見出しがついていることと熊野さんが書いているというところ、それから既存のヘーゲル業界と独立していそうなところである(後述)。「圧倒的な読みやすさ」(上巻表1帯)は熊野語のことを思うとやや疑問が残るが、まあわかる。「今後のヘーゲル研究に絶大な影響を与える」(下巻表4)は、ヘーゲル業界の性質を考えるとあまりなさそうに思える。が、ヘーゲル研究の登竜門としては実にいい本が出たと言えるのではないか。つまり、研究者なら金子、一般人なら長谷川、というような分裂が起きがちな推奨の場において「とりあえず熊野」と言ってよい局面に至ったとは思える(そして牧野は無視され続ける)。問題は組版であるが、これも後述する。

せっかくなので下巻の翻訳の方針を雰囲気的に示すために、現象学最後のシラーの翻訳を並べようと思う。

als dem Kelche dieses Geisterreiches schaumt ihm seine Unendlichkeit
もろもろの精神のかかる国という盃よりのみ 絶対精神に泡立つは その無限 (金子)
さまざまな精神の国の杯があってこそ 精神は無限に豊かに泡立つのである (牧野)
この精神の王国の酒坏から 精神の無限の力が沸き立つのだ (長谷川)
この精神の王国の杯から 精神に泡立つは その無限性 (熊野)

こうして見ると熊野さんがちょうど金子+長谷川みたいな訳になっているのはなんとも興味深い。ここを並べたのは象徴的だからだったのだが、改めて現象学全体を振り返ってみると、無限をどう取るかは重要である。たとえば「自己確信」の手前、「力と悟性、現象と超感覚的世界」の項目では「無限性」が扱われるが、長谷川はここをほぼ「無限運動」というようなやり方で処理しており、熊野は「無限性」で通している。手元に他の訳がなかったのでとりあえずこれだけだが、この微妙な違いが理解の総合性に関係してくると思う(正しい・間違いとは別のレベルで)。

◆なお小見出し一覧が下巻巻末についていて、実に素晴らしいと思う一方で当然だとも思うわけだが、それとは別次元の話として組版が最悪であって、特に序文などは小見出しが多い分、5~6Qくらいのサイズで文を敷き詰めていて、ふざけてるのかな?と思う。こんなに小さく詰め込んで実用性というものを編集者は考えたことがあるのだろうか? それから巻末資料につけるべきではなくて、原典の構造を見出してでも、目次の次に置くくらいのことをしなければ駄目であろう。こういう主体性のなさはヘーゲルの翻訳を編集する人としては全くもってどうかと思う。小見出しをつけた素晴らしさを毀損している。もちろん、無いよりはマシだが。老人なら卒倒するのではないか? 帯文という表4といい、吹きすぎの印象も拭えない。訳者は編集には口を出さないものだが、実際どう思われたことやら……まあ東大文学部長(元)の仕事となればその程度の社会的論証も適切ということであろうか。本人の方針とは無関係なので、かわいそうなものである。

◆内容面でこれらのことを残念に思うのは、岩波版の『存在と時間』訳では、全4巻にわたって巻頭に「梗概」なる独自要約・解説をそれぞれ30〜50P近く掲載する周到ぶりで、しかも3巻には60Pほどの解説までつけているほどの気合の入れようである。カント訳ではそこまでのことはなかったので、ハイデガーについてのみ特別ということかもしれないが、研究書を執筆しているレヴィナスの翻訳であっても解説を執筆していたので、『ヘーゲルーー"他なるもの"をめぐる思考』があるとはいえ、この淡白さは悔しいとこである。正直いろいろなことを述べてきたが、熊野さんという哲学者その人は非常に重要な存在であり、マルクスを日本で読めるようにした廣松からの流れを踏まえる上でも無視できない待望された仕事であった。マルクス的には新MEGAの編集によって明らかになりつつある最新の仕事を踏まえた成果の方が流石に期待されるのだが。

◆それにしてもいろいろ調べているとヘーゲル業界の閉鎖性にはうんざりする。正直、熊野さんが解説的な話法ではかなり抑制的になってしまっているのは、そのような業界的磁場のせいではないかと今更かなり強く感じられ、疑う気持ちになっている。たとえば牧野訳は学会系の専門家からは言及されることもないが、本書あとがき(下巻で恐縮だが)でしっかり言及されているのには感心した。その上で実際にはイポリットとヤルクツク+ラヴァリエールの仏訳ばかりを参照したと書いてあるのも、そういった「配慮」であるような気がしてならない。もっともカント訳でもノリは一緒だった気がするので、単に熊野さんのキャラの問題という説もなくはないが。

$商品の説明

内容(「BOOK」データベースより)

長大な遍歴のすえ、人間はいかにして「絶対知」へと到達するのか?この書により、哲学史上、かつてない壮大な哲学体系をつくりあげたヘーゲルが、最後に出した答えとは―。平明な語り口でありながら、今後のヘーゲル研究に絶大な影響を与えるであろう緻密な新訳が、その核心を明らかにする。下巻の巻末には、『精神現象学』に数多くちりばめられた、広く知られる名言を拾いあげた「フレーズ索引」を収録。従来のはるか先へと読者の理解を導く。「精神が偉大なものとなるのは、より大きな対立からみずからへと立ちかえる場合である」。

著者について

G.W.F.ヘーゲル(Georg Wilhelm Friedrich Hegel)
1770-1831年。ドイツの哲学者。ドイツ観念論の完成者。自然・歴史・精神の全世界を不断の変化・発展の過程としてとらえ、これを絶対精神の弁証法的発展とみなし、それを学問的に把握するのが哲学であるとした(絶対的観念論)。著書は他に『論理学』『法律哲学綱要』『哲学的諸科学エンチクロペディ』など。

熊野純彦(くまの・すみひこ)
1958年神奈川県生まれ。東京大学文学部倫理学科卒。同大学院博士課程単位取得退学。東北大学文学部助教授等を経て、現在、東京大学文学部学長。専攻は倫理学。和辻倫理学の学統に属しながらも、故・廣松渉の哲学からも深く学んだ。著書に『ヘーゲル<他なるもの>をめぐる思考』、『レヴィナス入門』(筑摩書房)、『カント―世界の限界を経験することは可能か』(NHK出版)、『レヴィナス―移ろいゆくものへの視線』(岩波書店)、『カント 美と倫理とのはざまで』(講談社)など。翻訳にレヴィナス『全体性と無限 上・下』、ハイデガー『存在と時間(一)~(四)』(岩波書店)、カント『純粋理性批判』『実践理性批判』『判断力批判』(作品社)など。

著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)

ヘーゲル,G.W.F.
1770‐1831年。近代ドイツを代表する哲学者。精神の発展過程を意識経験の学として探究し、その論理を解明したことで、ドイツ観念論の完成者と言われる。イエナ大学、ベルリン大学などで教鞭をとった

熊野/純彦
1958年生まれ。思想史家。東京大学文学部教授。著書多数(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)




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