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【小説】「渋谷、動乱」第3話

 渋谷駅に向かって走る電車内で、SNSで突然、地鳴りに関するツイートが増え始めたことに気付き、秒で流れてくる不特定多数のつぶやきを、それこそ、つぶさに調べていた錦戸愛斗にしきどあいとは、まるでそうなることをあらかじめ知っていたかのように、「来たか」とひとり呟いた。それから間もなく、電車は渋谷駅に到着し、大きく呼吸をするかのように、愛斗もろとも、勢いよく乗客をホームに吐き出した。急ぎ、改札へ向かう人波に乗らず、愛斗はあえてゆっくり歩き、改札を抜けて地上を目指した。
 スマートフォンに目を落としながら歩いていた愛斗は、今日は自分の人生にとって、きっと特別な日になるに違いないと思っていた。やがて駅構内を抜けると、ガラス張りのビル群に囲まれた外の通路へと出た。街のざわめきが突然、ボリュームを上げたかのように大きくなった。車のクラクションが絶えず響き、人々の話し声、足音、近くの店内から漏れてくる音楽やアナウンスなど、音と言う音が辺り一帯にひしめき合っていた。愛斗が、小学生の頃から慣れ親しんできた景色が、いつもと変わらずにそこにあった。 
 
 さて、と気持ちを切り替え、スマートフォンから顔を上げた時、100メートルほど離れた人混みの中に、自分の方に向かって大きく手を振る細身で長身の人物の姿が目に入った。愛斗は見てはいけないものを見てしまったかのように、KANGOLのキャップを目深に被り、顔を隠そうとした。だが、その効果は全くなく、愛斗に手を振っていた野間紅のまべには、愛斗を見つけた途端、パンッと、陸上のスタートの合図を耳にしたかのように走り出し、ほとんどスピードを緩めることなく、人混みをするりするりとかき分け、愛斗のもとに駆け寄ってきた。
 はぁ、はぁ、という息遣いが聞こえ、愛斗が恐る恐る顔を上げたその時には、紅はもう目の前に立っていた。目が合った瞬間、紅は絵に描いたような満面の笑みを浮かべた。対して愛斗は、眉間にしわを寄せ、険しい表情をした。紅はそんな愛斗に一向にかまうことなく、愛斗との再会の時にいつもそうするように、自分よりもだいぶ小柄な愛斗のことを、父親が子どもを抱き上げるかのように抱き上げ、「愛斗!」と叫んだ。
「こら、おろせ」
「嫌だ」
「おろせって」
「嫌だ!」
 と言うやり取りも、いつものことだった。
 
 先に抵抗をやめるのは、愛斗の方だった。本気でげんなりした表情を見せると、あ、ごめん、やりすぎたと、紅はこちらも本気ですまない顔をして、愛斗を地面に下ろすのだった。
「――ったく、なんでいるんだよ」
 愛斗は一度機嫌を悪くすると、なかなか直らない性格だった。紅はそのことを知ってもなお、愛斗を可愛がらずにはいられなかった。
「だって、ストーカーだし」
 紅の発言は当然冗談だったが、ここ最近の紅の行動は、愛斗にしてみても目に余るものがあった。愛斗はあくまで、紅とはただの友達だと思っていた。もちろん、自分に対する好意には気付いていたが、愛斗はその時、誰かと付き合うことはまったく考えていなかった。
「じゃあ帰れ。でないと警察に」
 2人がいる場所の目と鼻の先には、実際に交番があった。
「ごめんごめん。じゃあ、友達。ならいいでしょ」
 愛斗は今まで何度も繰り返してきたこのやりとりに早、呆れつつも、紅がそう言うならと、表情をもとに戻し矛を収めた。こういうところが紅をつけあがらせるところだと愛斗は自覚してはいたが、なんだかんだで友達付き合いを続ける中、少しずつ紅の魅力にも気が付き始めていた。他の異性にはない、可愛いところもあると思い始めていた。
「それで、今日のデートプランは?」
 走ったことで、やや乱れていた前髪を直しながら紅が訊ねた。
「は? そんなもんねえよ」
「でも、どっか行くんでしょ」
 愛斗は何と答えようか、一瞬考え込んだ後、
「俺はたぶん、ここから動かない。俺の予想が正しければ、それは向こうからやってくるはずだから」
 紅の頭に大きなクエスチョンが浮かんだ。愛斗が何を言っているのか、さっぱり分からなかった。
「だからほら、帰れよ。ここにただ突っ立てるだけなんて楽しくないだろ」
 紅は大げさに首を横に振った。
「あたしもいる。ここでもいいよ、ぜんぜん。愛斗となら、ここでも十分に楽しめる」
 愛斗は深くため息を漏らした。おそらく、これ以上何を言っても、紅が梃子でも動かないだろうことは容易に想像がついた。愛斗はわざとらしく舌打ちをし、
「わかったよ」
 と言うと、おもむろに紅の手首をつかみ、様々な種類の犬がレリーフになっているアート作品の壁の前に移動した。紅は思った以上の愛斗の力強さに、胸をときめかせた。

 愛斗はあれから15分も経たない内に、立て続けに投稿された地鳴りに関するツイートを紅に見せた。
「じなり?」
「地震が起こる際によく発生する自然現象だよ。でも、気象庁の地震速報を見る限り、このツイートの前後にからだに感じるような地震は観測されてない」
「何かと、勘違いしてるとか?」
「1人や2人なら分かるけど、100人以上が同じような反応をしているところを見ると、誰一人、まだその正体をつかめていないのかもしれない」
「でもそれと、ここと、何の関係があるの?」
「それは……」
 愛斗はそこで口をつぐみ、例のネット掲示板に書き込まれていた嘘とも本当ともつかないある情報について、紅に話すべきか迷った。 
「愛斗は何か知ってるの?」
 問われた愛斗の口元が、にわかに緩むのを紅は見逃さなかった。紅が好きな愛斗の笑い方だった。
 愛斗は意を決したかのように顔を上げ、キャップを被り直し、
「なあ、紅。歴史とまでは言わないまでも、何か大きなことが動く瞬間に立ち会ってみたいと思ったことはないか」
 紅は自分の18年の生涯を、走馬灯のように物心ついた頃から高速で振り返ってみたが、そんなことを思ったことは一度としてなかった。だが愛斗となら、その瞬間に立ち会ってみるのも良いかもしれないと思った。「歴史の目撃者」。ふと、頭の中に浮かんだその響きに、紅は心が浮き立つものを感じた。
 愛斗が所持している特別なアイテムは、スマートフォン1つ。だが、現代で目撃者となるには、それだけで十分だった。

                               つづく

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