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【小説】「渋谷、動乱」第6話

 Nテレビ系列の夕方の情報番組「ザ・ライブ」のコーナー枠で放送する、巷の「○○推し特集」の収録のため、ディレクターの橘哲史たちばなてつしら撮影クルーは、渋谷の美竹通りに立ち並ぶ、仮装のための動物の耳を販売している、その名も「ケモミミ」という店での撮影を終え、機材の撤収を進めていた。
 スタッフたちが次々と、路肩に止めた商用車のバンへ、カメラやガンマイク、照明などの機材を片付けていく。その様子を店内から見守っていた橘は帰り際に、白兎の耳を頭に付けた店長の白石琴子しらいしことこにお礼を述べ、店を後にしようとしたところ、プロデューサーの三木伸一みきしんいちから電話が掛かってきた。
「――ああ、てっちゃん。今、渋谷だろ」
「おお、そうだけど」
 橘はスマートフォンを耳に当てたまま振り返り、こちらに大きく手を振る店長の白石に、何度も頭を下げた。
「悪いが、追加で頼めるか」
「今からですか? ――まあ、いいっすけど。どこっすか」
「ハチ公前」
「今日、何かありました?」
「ついさっき、SNSで箭内聡明やないそうめいがハチ公前に現れたって、騒ぎになってるんだよ」
 箭内と聞いて、橘が真っ先に思い浮かべたのは、父親で元議員の敏正の方だった。遅れて、局内の廊下で一度だけすれ違ったことのある、息子の聡明の顔が思い浮かんだ。確かここ最近、芸能活動以外に、何かの活動家みたいなことをしていたような。聡明に対する橘の知識は、それくらいのものだった。
「で、箭内聡明が一体、何してるって言うんです?」
「わからん。だからとりあえず、画だけでも取ってきてほしいんだよ。使い物になるとも思えないが、もしかしたら何かあるかもしれないしな」
 三木の話を受け、橘は瞬時に、三木がどのような映像を望んでいるのかを汲み取り、頭の中でカメラのアングルや被写体を変えた、3パターンの映像を構成して見せた。橘のこの技術は、長年の経験に裏打ちされたもので、後にプロデューサーとして担当することになる、視覚障碍者の夫婦の一年間を追ったドキュメンタリー映画「斜陽」に、いかんなく発揮されることになる。橘は素早く頭を切り替え、機材の片付けを続けるスタッフたち、そしてタクシーで事務所に戻ろうとしていたフリーアナウンサーの不知火香央理しらぬいかおりに目をやり、「香央理ちゃん!」と大声で呼び止めた。
 
 香央理は、橘の声に振り返り、自分に向けて手を振る橘に気が付いた。顔見知りでもあったタクシー運転手の細田慶三ほそだけいぞうに、ちょっと待ってもらえますかと声を掛けると、駆け足で橘のもとに戻ってきた。
「香央理ちゃん。今日、この後は」
「え? はい、大丈夫ですけど」
「ちょっと付き合ってもらえないかな」
「撮影ですか?」
 橘は無言で頷き、スマートフォンの通話をスピーカーにした。
「わるい、不知火さん。あとは、てっちゃんの指示に従ってくれるかな。事務所には伝えておくから」
 三木のしわがれ声が、香央理の耳に届いた。香央理は、橘が自分に向かって突き出していたスマートフォンに向かい、
「三木さん、分かりました。あとはよろしくお願いします」
 と言い、橘は再びスマートフォンを耳に当て、
「じゃ、そういうことで。行ってきますわ」
 と言うと、三木との通話を切った。

 三木との通話から約10分後、橘たちはハチ公前広場近くにたどり着いたのは良いものの、広場内のあまりの人の多さに、神宮通りの道路沿いのガードパイプ付近で足止めを食らっていた。
「なんなんだよ、これは」
 予想を超えた群衆の数に、思わず橘は思わずこぼした。カメラマンの木下匠きのしたたくみはすでにカメラを肩に構え、群衆の中から頭3つ分くらい突き出た、箭内聡明の胸から上の姿にレンズの標準を合わせていた。香央理は一刻も早く事態の様相をつかもうと、自分の判断で橘たちのもとを離れ、群衆の中へ近づくことが出来ず、結果的に遠巻きに見ていた若者たち1人1人に話を聞きに回ることにした。
 初めに声を掛けたM校のブレザーの制服を着た坂口三奈さかぐちみな森七海もりななみは、香央理が何度質問を重ねても、口をそろえて「なんかみんな、集まってたんです」としか言わず、別の男子グループに声を掛けると、その中の1人、眼鏡を掛けた茶髪の中沢銀次なかさわぎんじには、「不知火アナ! おれ、ファンなんです、握手してもらえますか」とすり寄られ、早々にこれでは埒が明かないと判断した。他にも何人かに聞いて回ったが、自分が望むような回答をする若者はおらず、次で最後にしようと、さらに周囲を見回した時、はっと目についたのが、車いすの女の子とその友達らしき2人組だった。

「こんにちは。Nテレビの者ですが、少しだけお話聞かせてもらってもいいですか」
 突然話しかけられ、びっくりして「はいっ」という返事が上ずったのは、その日、友人の大澤美桜おおさわみおと古着屋を訪れ、その後、美桜の希望でスクランブル交差点にやってきた中村早矢香なかむらさやかだった。早矢香の返事に、上半身だけ後ろを振り向いた美桜は、すぐ目の前にテレビで観たことのあるアナウンサーが立っていることに驚き、一瞬、呼吸を止め、
「し、不知火アナですか?」
 と声を上げた
「はい。そうですけど」
 途端に美桜のテンションが上がり、つられて早矢香のテンションも上がり、2人とも目が輝きだした。
「あなたたちは、今日はどうしてここに?」
 2人のような反応に慣れていた香央理は、いたって冷静に話を続けた。
「あの、美桜が、あ、この子です(早矢香はぽんぽんと美桜の肩を叩いた)、ここに行きたいって言うんで」
「じゃあ、この集まりは?」
「いえ、わたしたちは分からないです。来た時にはこうだったんで。でもみんな、聡明君って騒いでますね」
「箭内聡明のことは、2人とも知ってるの?」
 そこで早矢香に代わり美桜が、
「ドラマで観たことありますし。前に学園ドラマで新任の先生役してたと思います」
 他局だが、香央理もそのドラマは観たことがあった。小説家の白井ヒミコの小説が原作で、スクールカーストを扱った作品だった。ドラマの中で聡明は、スクールカーストの上位にいる、実際のアイドルグループ「H×A」の長谷川瑠偉はせがわるい演じる女子生徒、山神美空やまがみみそらに言葉巧みに洗脳され、ドラマの終盤では、山神ら女子グループの悪事を隠ぺいする役回りだったと記憶していた。普段の爽やかなイメージとのギャップに、ファンからは賛否があったようだった。
「香央理ちゃん!」
 香央理の背中に向かって、離れた位置から橘の声が飛んだ。
「はい、今行きます! 2人とも、ありがとう。気を付けてね」
 香央理は橘のもとに戻りながら、その時ふいになぜ、「気を付けてね」という言葉が出たのか、よく分からなかった。この群衆の中で、車いすの美桜の姿を見たからかもしれないが、それだけが理由だとは思えなかった。

                               つづく

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