気づいたこと。。

ロンです。
皆さん。。これ。。言われたことありませんか??

見て覚えろ!


私は見て覚えれるタイプです。が、教えてもらっても覚えれるタイプです。
が、教えてもらうと{それ、蛇足やん。。}とか、{単純に○○って言えばいいやん。。}とか先輩,上司の方に思ってしまい。。疲れます。教えてもらっている事に感謝しなければいけない、と私の脳はそう書き込まれているので、別の回路部では、最短ゴールまでの道のりを知っているのに遠回りの入り口に誘われる事への苛立ちとぶつかり。。疲れるのです。消しゴムでどちらか消せたらいいのですがどうにも記憶媒体というのは消したつもりでも消えないみたいです。

見て覚えれないタイプ。


見て覚えれないタイプの人に責任はありません。どんな上司でも先輩でも、
教えることの難しさから逃げないでほしいです。私はその人たち、何度も壁にぶち当たり、成功体験を積み、そして研鑽する。そういう人たちだと知っています。教えなきゃいけないことが山ほどあって、一つでも抜けると後々に、「あーあの時にしとけばよかった。。」と、限られた時間の中の一つの無駄、を生み出してしまう事も知っています。

1から組み立てる難しさ


教えなきゃいけないことが山のようにあり、本人すらも忘れていたことがふと蘇ったり。それらを順序良く組み立てることはとても疲れます。今までのセオリー通りの内容に
自分自身が気づいた順序の違和感。それを効率よいセオリーに直していく作業でもあり、その過程の中で埋もれていた知識を再認識する作業でもあります。が、それを教えようとするととてつもない壁にぶち当たります。

自分ではない。


自分の記憶媒体の保存方法と読み込み経路は、
他人のソレとはまったく違うことに気づきます。
例えば白紙のノート1ページに隙間なく書いた瞬間にすべてを記憶する人と、1ページに同じく書くけれども、1行ずつ何度も見返し記憶する人。
例えばそのページの文字列たちを絵、イメージとして捉えている人。
行の最初の1文字で区切って記憶する人。
殆どの組織はこの記憶の方法が似通った人たちで構成されていると思いますが、中には醜いアヒルの子にされてしまう人もいると思います。

見て覚えろ!でも、俺も覚えるから!


言葉で説明することはとても難しいです。教える側のスキルが試されます。
記憶方法が違うだけで{あーこいつバカだわ。。}と切り捨てる事は簡単です。特に今の匿名時代、多様性と多くの人たちが謳っていても実際にはいじめもなくなりませんし、誹謗中傷もなくなりません。本来、そんなものは必要ありませんし、概念に抱かなくてもいい事柄です。ですが人は無駄を感じながら何かをすることに対してストレスを感じ。。。疲れます。ストレスの大半はコレです。

ストレス


人それぞれが持つ知識量は必ず違います。答えに行き着く公式も順序が違ったり穴が抜けていたりします。こうするべきだ!に至った道は同じではなくまた、別の道もあり、そしてまだたどり着いていない人もいます。私も然り。それらを擦り合わしていくことでお互いの差異を埋めていきます。この事を無意識には理解しているけども言葉で表すことができない人が大半だと思いますし、いざ他人と接触すると赤信号が点灯します。

価値観は人それぞれ。


若い人たちがよく使う言葉です。それはとても便利な言葉です。が他者と意見が食い違う原因まで未だたどり着いていない、もしくはテレポートしてしまった結果、他人と自分は違う!と、切り捨てる言葉に代わってしまった気がします。言葉の意味はその通りですが、切り捨てるときに使うのならその言葉は不必要です。生まれてきた瞬間に他人と違うことは分かり切った話です。時間が違います。誰一人例外はありません。それぞれという言葉は必要ありません。お互いの差異を埋める作業は。。疲れます。が、価値観は人それぞれです!

どうぞ!会話しましょう!


とは言っても若者はまだ寄り道ばかりしていますし、年齢が上がると最短ルートばかり探しますし、ゴールを変えてしまったりします。知らない道を教えられてもこっちのほうが楽しそうだし。。なんでそっちに行くんだ!こっちの方が着くの早いだろ!え?昨日こっちに変更だって言ったでしょ?ってなりますよね。。価値観が違いますから。って切り捨てる必要はないでしょう。価値観はそれぞれですから。




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