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「どうする家康」第23回「瀬名、覚醒」 瀬名の謀(はかりごと)が目指す築山の風景

はじめに

 第23回のサブタイトルは「瀬名、覚醒」ですが、このタイトル、実は今更な気がします。何故なら、それよりもずっと前から瀬名は、民の話が聞けるよう築山に誰もが訪れることが許される庵を結び、人々の話や書物から政治を学び、考え、自分の目指すものを明確にしていきました。意に染まない側室問題も自ら参加しましたし、彼女のあり方が大岡弥四郎の謀反を食い止めました。

 表立たず夫を立ててはいるものの、その行動はおおよそ自覚的です。そして、以前のnote記事でも指摘したとおり、そんな彼女に期待するお万の方の言葉もあり、彼女は自身の秘めたる信念が醸成されていっています。その信念が確かだからこそ、望月千代女とのやり取りにも覚悟をもって臨んでいるようにも見えますね。二人なら「もっと大きなこと」をできると同志になるよう呼び掛けています。

 瀬名の信念とは、「戦をなくし、人々が手を携え、与え慈しむことで共に歩む世の中を目指す」というところでしょうか。現状、家康を含め、この世の中を支配しているどの戦国大名も考えていないであろうスケールの大きい発想…既に瀬名は覚醒していると言えるでしょう。

 ところで、恵まれた環境に育つ今川の姫は、いつから成長を始めたのでしょうか。第6回「続・瀬名奪還作戦」での瀬名の母、巴の遺言が思い出されます。


  瀬名、強くおなり。
  我らおなごはな、大切なものを守るために命を懸けるんです。
  そなたにも守らねばならぬものがあろう。
  そなたが命を懸けるべき時は、いずれ必ず来る。


 当初、史実から信康の溺愛の果てに命を懸け散ることの伏線だろうと思われたこの遺言ですが、瀬名の「守らねばならぬもの」とは、そうした個人的な、近視眼的なレベルだけではありませんでした。
 彼女は、戦が両親を失わせた元凶であることを早い段階から看破しています。それは「とにかく戦は嫌なんじゃ」(第8回)「戦はどうして無くならぬのでしょう」(第16回)という台詞からも伝わります。ですから、母の遺言に頷いたときから瀬名の「戦をなくす」戦いは静かに始まっていたのですね。父の遺言「お前は笑顔が似合う、笑顔を忘れるな」と共に。


 となれば、第22回は、既に覚醒している瀬名が、その信念を明確な形で実行に移す、そのきっかけが描かれた物語だったと言えるでしょう。そこで今回は、瀬名が一大決心をするまでの背景と経過を追いながら、彼女の目指す「厭離穢土欣求浄土」について考えてみましょう。




1.信康の変貌を巡る

(1)人殺しから逃れるために人殺しに出向く信康の終わらぬ悪夢

 前回の設楽原の戦いにおける虐殺の回想から始まります。改めて、ここをおさらいするのは、家康に信長の軍門に降り家臣となる決意をさせた転機であること、そして、この戦いを見て「なぶり殺しだ」と呟き、これからの戦の真実を前に精神のバランスを崩し始めた信康、この二つの問題が絡み合い、第22回の背景として底流することを明確にするためです。

 ナレーションは「大勝利」した上で「家康と信康が仲良く」小谷城攻めに参加と景気が良いですが、例の如く事実はそうではありません。勝頼、御自らの出陣を見た家康は不利を察知し、撤退を決めます。元々、賢い家康の戦術面の状況判断は、場数を踏むことで冷静で的確です。松本潤くんの芝居も年相応の落ち着きを出すようにしているので血気に逸る信康と巧い対比になっていますね。

 こうした的確な判断に頑強に逆らうのが信康です。彼は勝頼が出てきたことを好機としかみなしません。家康のみならず、戦上手な常世も信康に苦言を呈し、ようやく撤退に賛成したものの殿(しんがり)を務めると言い、聞きません。父親を置いて撤退できないなどと色々理由にならない理由を並べ立てた挙句、勝手に出て行ってしまいます。父の言うことを全く聞こうとしない、そして、とにかく前線へ前線へと焦って出陣します。
   勇猛果敢の裏にある、精神不安定を数正も危惧し、それまで父への敬意を忘れなかった信康らしくない行動に、ようやく家康もその変調に気づき始めます。


 因みに小谷城での信康の殿は、「徳川実紀」では、家康から「まことの勇将なり。勝頼たとえ十万の兵をもって対陣すとも恐るるに足らず」と激賞したことになっています(ナレーションはこれに準えて話をしているのでしょう)が、本作では精神不安定による蛮行の結果とされています。とても誉められたものではないのですが、結果は大成功のため武功として都合よく残っているのだという解釈です。

 ただ、心を病みつくした信康の心情はこのような武功も全く慰めになりません。前回のラストを思い出しましょう。信康は、築山でムカデ(武田の象徴)に群がるアリ(織田の足軽、雑兵)を見つめていました。それは、信長の家臣になった今の自分の現実を見つめることでもあります。信長のため、粛々と人殺しをする毎日がずっと続く、大岡弥四郎が「もう終わりにしたいんじゃ」と言ったことが脳裏に響いてもいるでしょうね。

 彼が勝頼を前にして、何がなんでも出陣したのは、悪夢にうなされ病んでいく自分への恐怖、そして何よりも勝頼さえ死ねば、この人殺しの毎日から解放される…そう思えばこそでしょう。毎日の人殺しから解放されるために、積極的に人殺しに出向くという悪循環に陥っているのですね。


 

(2)千代に炙り出される瀬名の焦り

 ところ変わって岡崎城では、信康の心中とはかかわりなく、平岩親吉が伝える信康の武功に五徳たちが湧いています。武門の誉れに安泰すら感じている様子も仕方のないところです。人は見たいものしか見ない…まして戦況が一進一退で終わらない様相であれば、尚更希望にすがるものです。

 しかし、瀬名だけは「いかがなものか」と不安を口にします。その脳裏に浮かぶのは、築山にて傷心ゆえの放心で涙ぐむ元康の姿です。元より彼女だけは、信康の変化に不審を抱き案じていました。それが確信に変わってしまったことは、かの望月千代女との交渉にも翳りを生じさせます。

 

 

 再び、歩き巫女の望月千代女が築山にやってきたのは、徳川×武田の戦いが新しい局面を迎え、双方ともに交渉の余地があると見たからです。早速、千代は得意の占いを披露し「まだまだ戦は続きます」と嘯きますが、瀬名は「それは貴女の願望でしょ」とさらりと受け流します。迷信深く無知な人々の心を惑わし、時に煽る千代の芝居がかった話術とエセ呪術が通用しないと暗に伝えているのは流石です。

 しかし、設楽原で多くの家臣を失ったことから苦境と見て「和議を結ぶべきでは?」「武田さまから和睦を申し出ればこの戦は終わります」と自分から和睦を話題にしてしまったのは早計でした。すかさず千代は「ご心配には及びません。たった一つの負け戦でどうこうなる武田ではございません」と余裕を見せます。
 この千代の弁はハッタリではありません。天正3年の時点では設楽原の戦いで三河からは締め出されたものの、今回の冒頭の小谷城を巡る戦いでは、家康らの撤退により高天神城、小谷城への補給を成功させています。その後、二俣城は家康に落とされ、大久保忠世が城主となります。つまり、遠江の支配権をかけた争いは一進一退だったのです。

 

 ですから、圧倒的優位でない状態で和議を切り出せば、簡単に足元を見られるのは当然です。千代は「お困りなのはそちらでは、織田様の手先となってから、戦、戦、戦、戦。岡崎はずっと盾にされております。和睦したいのは御方さまのほうでは?」と、瀬名の焦りを正確に見抜きます。薄笑いを浮かべ、花びらを抜きながら言うのが嫌味ですね。

 そもそも、千代が、大岡弥四郎を籠絡せしめたのは、家康が信長の臣下となる前から臣下同然であり、信長による終わらぬ戦に疲弊していた彼らの虚を突いたからです。徳川の現状は最初から分かっていることです。それが名実共に臣下となれば、状況が加速度的に悪化することなど簡単に予想できるでしょう。
 加えて、彼女は、瀬名が戦を無くす無謀な大望を抱いていることを薄々察しているでしょうから、現状が瀬名にとって思わしくないことはお見通しです(もっとも、家康が武田の軍門に降っても状況が反転するだけで同じです、織田と武田は同質の存在ですから)。

 

 痛いところを突かれた瀬名は、茶を飲み一息つけなければならぬほどに表情を曇らせます。その様子を見て取りながら、千代は「いつまで織田様の手先を続けられますか」「岡崎と信康さまを助けられるのは御方さまだけ」と続け、自分らに都合のよい交渉を持ち出します。

 このとき、「岡崎と信康さま」と瀬名の第二の故郷と嫡男を彼女の愛着と見て、わざわざ言うあたりが言葉巧みですが、逆に瀬名は「千代さんはお話を作るのがお上手」とはぐらかします。千代の見方は一面的でしかないということですが、後々、瀬名は千代の言葉「岡崎と信康さまを助けられるのは御方さまだけ」を反芻しますから、これは苦し紛れの逃げ口上だったのでしょう。

 とはいえ、千代も瀬名が簡単に落とせるとは思っていません。下手に踏み込めば、以前のように籠絡されそうになります。だから「御方様はお心を隠すのがお上手」とミラーリングで返します。ミラーリングは、相手と同じ仕草や行動をすることで好感を持たせる心理効果ですが、このことは瀬名と千代が、互いを認め合い、程よい緊張感の中で交渉をしていることを窺わせますね。
 とはいえ、実際には、今回は瀬名の完敗です。瀬名が戦に詳しくないからか、信康の変貌による焦りか、不用意な発言をして、自身の弱点に自分で気づいてしまいましたから。瀬名の失点であり、このことは後の決断に響いてきます。

 

 ただ、千代も一点見誤っています。瀬名の家康への想いです。千代からすれば、お手付きする、岡崎に不在の家康、浜松に行かない瀬名を見て二人の不和を感じているのでしょうが、瀬名の守りたいものに家康は当然入っています。そして、瀬名が、千代と対等に交渉するその強さの所以の一つに家康の存在があることは、後半に木彫りの白兎として描写されることになります。



(3)信長の命を受けざるを得ない五徳の哀しみと必死

 さて、信康の変化に思い悩む瀬名とは対照的に、平岩親吉が伝える信康の武功に「父親になると殿方は変わるものだな」と顔を綻ばせるのが身重の五徳です。信康の猛々しい武勇伝にうっとりしつつ、我が子が男子であればそうあってほしいとまで発言しています。情報量過多のシリアス展開でさらっと扱われていますが、家康×瀬名の初孫がもう出てきたのですね。二人は祖父母になりました…松本潤くん、有村架純さんの芝居に貫録が加わってくるのも当然ですね(笑)

 話を戻しましょう。夫が自分の理想とする男らしい武人になっていることに満足し、その子を成し、幸せ絶頂の五徳は、一方でそこに水を指すように「いかがなものか」と不安を口にする瀬名を冷ややかに一瞥します。これは、彼女が「この家を隅々までよく見張れ」という信長の命を意識しているからで、実際、五徳は築山で門番を務める者を買収し、瀬名が武田の間者と会っていることを突き止めてしまいます(瀬名の脇の甘さと言えます)。
 それにしても、五徳は信康を愛し、子を成しながらも何故、実家に従うことに決めたのでしょうか。


 さて五徳の信長への怯えと信康への深い情を見る限り、大岡弥四郎の謀反について信康らへ述べた言葉どおりには報告していなさそうですが、それでも信長は徳川家の内情を知り尽くしている(この後、水野信元も「気をつけろ。信長は全てお見通しだ」と言っています)。だから、前回の密命は、これまでの五徳の報告の無さを叱責し、改めて報告を促したということなのでしょう。

 こうなっては五徳に出来ることは、敢えて自ら進んで報告し、その書状を逆に緩衝材として、徳川家を存続させるよう心を砕くことだけでしょう。密告の書状を綴る五徳の頬を伝う涙に、心ならずも岡崎を裏切る行為をしなければならない我が身の立場と葛藤が表れていますね。


 信長が読む書状にある弱々しい文字には「つきやま」の四文字が確認できます。厳しい状況が伝えられていることは間違いありませんが、おそらくは温情を願う言葉も綴られているだろうと想像できます(自身の妊娠の経過が順調であることも添えているでしょう)
 五徳は徳川家を、愛する信康を守りたい。お腹の子がいる今は尚更、その思いは強いはずです。
 また、瀬名が処分されることは、信康を傷つけ、織田家を恨むことになりますから、それも避けたい。姑だけに煙たいのは仕方ないですが、瀬名に恨みまで抱いているわけではありません。


 信長は、武田家への内通に激昂しながらも、その五徳の思いに答えるように書状自体は家臣らに一切見せず燃やし証拠を隠滅、佐久間信盛に「誰か裏切っている奴がいるらしい」と特定せずに答えます。この言動に、信長個人にしても、徳川家と本気で事を荒立てたいのではないとわかりますね。自分の都合の良い形で、家康を自分の元に置いておきたいのが本心でしょう(一心同体発言は偏愛、妄執ですが、嘘ではありません)。

 そして、この一件を明らかにして瀬名を処分するよう迫れば、家康が傷つきます。可愛い弟分をいきなり悲しませることは憚られたのだろうと察せられます。相変わらず、家康に無茶苦茶甘いツンデレです。


 信長が「この家をよく見張れ」と五徳に密命を下した理由については、前回の記事でいくつか可能性を示しましたが、やはり家康そのものを危険視しているのではなく、徳川家家中(身内と家臣)を信用していないようです。それは、徳川家が主君のトップダウンではないこと、そして岡崎クーデターが起きたことに要因がありそうです。家臣次第で家康の本意に関係なく、織田家と敵対する可能性があると見ているのでしょう。


 そこで一計を案じ、人身御供として家康の伯父、水野信元を家康に処分させることで、「身内に気をつけろ、裏切らせないように目を配れ」というやや回りくどい警告をすることにしたのです。
 つまり、五徳の夫への愛情、信長の弟分への偏愛…人を愛するがゆえに発生したイベントが水野信元処分です。まあ、美談のようですが、水野信元にして見れば、たまったもんではありませんね。
 とはいえ、この信長父娘の配慮が、かえって事態を拗らせていきます。尾張にいる信長が気づけないのは仕方ありませんが、二人は大きなことを見落としています。それは一連の出来事で病みきった信康の精神状態です。


2.水野信元処分を巡る人間模様

(1)諸事全般に手一杯の家康

 武田方との戦は終わりが見えぬまま、ままならず、息子信康の常軌を逸した戦へのこだわりと反抗的な態度…様々なことに思い悩む家康。

 そんな彼の肩を揉むのが、あの側室、お葉です。まさかの再登場でしたが、よくよく考えてみれば、瀬名が信康夫妻の補佐のため岡崎に留まる判断をした以上、家康が再びお手付き問題を起こさぬよう、浜松に奥向きを差配する人間の存在は必須でした。お葉は、瀬名が「側室はお葉でなければ嫌なんじゃ」とまで宣い土下座して頼み込んだ逸材で、果断でありながら気配りの利く完璧超人。
 更に現在は、彼女が同性愛者であることが家康にも知られているため、何も起こらない…瀬名の信頼は鉄板ですよね。


 お葉は、自分が同性愛者であることを胸にしまい、側室のまま何もせずにいてくれる家康に恩義を感じています。それだけに肩のこり具合から察するあまりの精神的な疲労振りと癒しの無さに側室を持つことを勧めます。ここはお葉の設定を巧く使い、新しい側室を迎える状況を整えましたね。

 史実の家康は色好みですが、「どうする家康」の家康は奥手で初心に描かれています。そのせいか、瀬名も幼少期から彼女のほうから近づいてきたのを義元が容認、お葉は瀬名と於大にあてがわれる、お万は半ば計画的に彼女が近づいて来た…と毎度、状況に流される形で女性と結ばれています。結ばれてはいませんが、お市も家康LOVEで、それゆえに阿月が彼女の家康を助けたい気持ちに応えて走っています。
 要は、放っておけない…母性をくすぐる、というのが、松本潤くんの家康の能力のようですね…なんと、羨まし…
ではなくて、男女問わず、天性の人たらしで、それに救われるのが家康のキャラクターであるようです。


 そうした中、台所で干しイチジクをつまみ食いしている家康の尻をはたくのが於愛です。そう言えば、フロイスが干し柿を干しイチジクだと思ったという話がありますから、これも貴重な甘味でしょう(干しイチジクは、まだ日本には入ってきていなかったという説もあるようですが)。

 それはともかく主君の尻をはたくのですから、家康はキョトンとし、周りはドン引きです。ド近眼ゆえに万千代と見間違えたというオチですが、於愛は実際、昧見姫(くらみひめ)と家康が呼び可愛がったと言われるほどの近眼で盲人の保護も厚かったと言われています。そんな彼女にじっと見つめられ(見えてないんですが)、そして美少女戦士、万千代に見間違われ、なんとなくまんざらでもない微妙な表情をする家康が面白いのですが、その微妙な態度を見逃さないお葉の表情がまた素晴らしい(笑)彼女を気に入ったと察するのです。流石、瀬名が認めた逸材、観察力も鋭いですね。

 まずは疲れ果てた家康に笛で慰めるよう勧めます。ドジっ子である於愛は、実は笛も下手くそだったのですが、そのすれておらず、表裏のない正直な性格が笛の音にも表れ、かえって家康の心を和ませることになります。


 こうした心の慰めを必要とするほど目の前の諸事に手一杯の家康ですから、岡崎で起きている様々なことには気が回りませんし、その流れで佐久間信盛を通して信長から命ぜられた水野信元処刑も寝耳に水です。驚くばかりですが、武田と内通しているとなれば、今の家康には捨て置けることではありませんし、家臣となった以上は是非もなく、従うしかありません。

 因みにこのとき、上座の佐久間信盛が信長の真似をして家康に命じているのは軽く注目したいところ。通説では、水野信元の処刑は、佐久間信盛の讒言によるとされます。しかし、今回は信長の命で信長にかわって、岩村城への兵糧輸送の件などを追求しているだけ。つまり、通説が出来たのは、信長の発言をそのまま言う猿真似スピーカーだったからというのが「どうする家康」流。前回の秀吉の猿発言といい、随分と意地悪な佐久間信盛評ですね。やっぱり、もう信盛の追放は必至です(笑)


(2)久松長家の隠居が示す信長型の武断政治への批判

 さて、信元処断のため、岡崎に来た家康ですが、信康は唯々諾々と信長に従う父に、伯父を騙し討ちにするのは卑怯と「信長の言いなり」「臆病者」と罵ります。

 家康が信長の家臣になることについて、家康は独断で決めず、信康の了承を得て行っています(信康は上の空でしたが)。ですから、この「信長の言いなり」は、彼自身もそうなることを認めたことであり、父上のせいだと罵倒されるいわれはありません。多くの問題に必死に対処する苦労も知らずに罵る信康に流石の家康も激怒し、一触即発となります。瀬名と五徳が来たこと、家臣たちの仲裁でその場は収まりますが、見つめる瀬名の表情はますます暗くなります。父を尊敬してやまなかった信康の豹変の痛々しさが見るに堪えなかったと察せられます。

 もう信康は限界です。しかし、自分の庇護者であるはずの家康は、自分が思い描いた立派な父親像からどんどん離れていきます。そして、彼が信長の命に従うことは、戦が終わらない、苦しみが続くことでしかありません。つまり、今の彼の苦しみを家康が救ってくれないという絶望に他なりません。頼りになる父に捨てられたような思いが、彼を叫ばせます。

 しかし、そんな信康の豹変をただただ、性格が荒れて反抗的になっているとしか捉えられない家康。二人の間には埋めがたい溝が出来てしまっているのです。元々、コミュニケーションを頻繁に取っていた親子ではありませんから、こじれてしまうと修復が難しくなります。



 そして義弟、久松長家の世話になろうと大樹寺にしけこんだ信元は、最初から自分は家康の手によって処刑される予定であったということに勘づきます。彼は言います、「俺は、お前への見せしめなんじゃ。裏でこそこそやっておると、こういう目に遭うぞという忠告じゃ」と伝えます。身に覚えのない家康は反論しますが、「ならば、身内の誰かということじゃ」と仄めかします。

 信長が、水野信元を人身御供に選んだのは、これ以外なかったと分かりますね。おそらく、そもそもは、彼が武田と織田を両天秤にかけていたことなど最初から知って放置していたのでしょう。何故なら「他にやっとる奴は一杯おるわ!みんな、やっとるわ!何故俺だけ」と信元が言った通りで、それを処罰し始めたらキリがないからです。

 しかし、今回は家康を守らなければなりません。ですから、家康の親族で、家康がそれほど良心を痛めない人間が死なねばなりません。そして、自分の意図を察して、家康に「気をつけろよ、家康。信長は、全てお見通しじゃ」とまで忠告してくれる男、だからこそ、信元でなければならなかったのでしょう。彼の性格や言動まで見抜いた人選です。

 

 さて、「どうする家康」では信元をおびき出す役割を久松長家が担っています。通説では、久松長家は水野信元を騙し討ちするとは知らず「信元を迎え討った事の無慙さよ。世間の評判を聞くのも恥ずかしい。徳川殿を深く怨み、仲違いしてしまった」と激昂し、出奔・隠居したと伝わります。が、そこまで主君と喧嘩する猛々しさはリリー・フランキーさんの長家にはありません。穏やかな人柄です。
 ですから、本作では事情を知った上で泣く泣く義兄を討つことに協力したという展開です。信元に介錯を頼まれ、嫌がるところに彼の心根の優しさがあります。意を決して解釈に立ってなお彼は泣きます。
 そんな彼の隙をつき、人質に取り、逃亡を図る信元。彼は、とにかく生き延びることに必死でした。信長に従うのも、裏切るのも、家康を見捨てて三方ヶ原から逃げたのも、皆、ひたすら生き残りたかっただけです。最後までその執念を見せつけてくれるのが胡乱で老獪な小悪党として印象深いところ。


 そして皆が躊躇する中、率先して斬り仕留めたのが平岩親吉です。平岩の想いは複雑です。家康への忠義は言うに及ばず、家康に直接的な親族斬りをさせずに自分が罪を被る覚悟、そして家康と信康が仲違いをしていた今、信康の元に派遣されている自分が斬ることで両者の間を取り持とうとする配慮、そうした様々な気持ちが、彼の必死でありながら、どこかでやってしまったという形相に表れています(岡部大くん好演)。

 第22回は瀬名が中心のため、目立たないのですが、この信元の謀殺、その後、僧侶を無為に殺した信康を命を懸けて諫めるなど、岡崎と浜松の板ばさみになりながらも、役目を果たそうとする平岩親吉の姿は、目に留めておきたいところです。



 さて、久松長家は、彼の好物のはまぐりを抱えて待つ於大の元へ傷心のまま帰ります。そして、妻の兄を討つ「無慙さ」…良心の呵責から隠居を申し出、そして「もう家康さまのもとには出仕せね」と述べ、「わしを許してくれ、於大」とポツリと謝罪します。隠居の一番の理由が、妻への詫びというところに、リリーさんが穏やかな人柄として長家を演じた甲斐がありますね。

 そして、家康についていけない、というような発言も重たいものです。これは、信康の「信長の言いなり」発言と呼応していますね、家康が信長に従う限り、戦や裏切り者の処刑が際限なく続く、どこにも穏やかに生きられる場所はありません。だから、彼は表舞台から降りるのです。良心的である人物ほど、信長の覇道、武断統治は過酷であること、それを端的に説明していますね。彼の隠居は、信長の武断とそれに従う家康への消極的な批判だとも言えます。言うなれば、本作の長家は、もう一人の信康なのです。


 因みに家康自身も伯父の死にはそれなりにショックを受けていますね。家康は、信元の末弟・忠重を自分の元に保護し、後に信長の許しを得て、水野家を再興させています。また、信元の末子を土井家の養子としています。そして、この末子は成長し、二代将軍秀忠の股肱の臣として江戸幕府を磐石にした老中、土井利勝となります。大河ドラマ「葵 徳川三代」で林隆三さんが知的に好演していらっしゃいますので、その活躍はそちらでご確認ください。
    まあ、本作の優しい家康ならば、罪滅ぼしに信元の血筋を守っただろうとそういう温情を信じられますね。



(3)五徳の忠告に対する瀬名の反応

 親族である信元を心ならずも討ったことに心を痛める親吉を慰める瀬名ですが、そこに被せるように「全部、父上のせいじゃ!」と激昂し、踏み抜くような足取りでその場を立ち去る信康が印象的です。もう、彼の不安定で荒み切った心は家康を悪者にしなければ持たないほどの末期症状です。

 その場を去る信康を見送りながらも五徳の意識は、その後ろにいる瀬名にあります。そもそも、この処刑は、叛意を抱かない家康への「身内に気をつけてしっかりしろ」という忠告以上に、瀬名へ「余計なことをすれば、お家の大事である」という警告のほうに比重があります。

 ですから、五徳は穏やかに静かに「父上は裏切り者を決して許しません」(お市の台詞のリフレイン)と述べ、「義母上、我らも気をつけねばなりませぬなあ、疑われることがないように」と諭します。
 瀬名個人へ、ではなく「我らも」一緒に気をつけましょうという言い方に五徳なりの瀬名への心遣いがありますね。少なくとも彼女に悪意はないのです、ただただ事を荒立てずに収めたい、だからこそ共に歩みましょうと言うわけです。

 しかし、一方でこうして忠告すること自体が、自分が信長に密告していることを暗に仄めかすことにもなります。ですから、五徳は背中の瀬名を意識して発言しながらも、決して向き合うことはしません。そこには、徳川家への後ろめたさがあるのかもしれません。

 瀬名はこれに対し、「そうじゃな」と応じ、気をつける旨を返していますが、五徳からは見えないその表情は裏腹です。瀬名の眼前にあったのは、完全に壊れていく信康の姿、そしてそれを促す信長の過酷な仕打ちの数々です。息子が父を罵倒し限界を迎えつつあることは徳川という家の崩壊の兆しです。
 そして、終わりなき戦を繰り返すだけの織田家の家臣という立場、そこにも徳川家の未来はありません。瀬名は、それらのことを確信してしまったのでしょう、
 だから五徳の警告を百も承知で瀬名は、誰にも知られることなくキリッと覚悟を決め、引き締めた表情をします。彼女は、改めて武田との交渉を進め、和睦…ひいては「戦のない世の中」を作る道へまい進することにしてしまったのです。

 もしも、五徳と向き合って話し合い、互いの想いを伝え合えていたら、瀬名は一人覚悟を決めることはなかったでしょうか、あるいは五徳は瀬名に理解を示せていたのでしょうか。顔を合わせぬままの二人の会話は、瀬名に決定的な判断を促します。


 この次の場面で、雨の中、一人庵に佇む瀬名は、築山の草花に目を向けますが、そこで目を止めるのが水仙です。水仙は、厳しい冬の寒さに負けず、他に花がほとんどない時期に花を咲かせることから「雪中花」とも呼ばれます。雪の中でも花を咲かせる丈夫さ、凛とした強さゆえに正月の縁起物の生け花に使われるのですが、ここでは瀬名の静かな決意、彼女の意思の強さ、志の気高さを象徴しているのかもしれません。もっとも西洋的な花言葉は、ギリシア神話の逸話から「自己愛」「うぬぼれ」なのですが…西洋的ですからこれは深読みでしょうね(笑)

 こうして、信長父娘の家康への配慮のための水野信元処刑は、かえって徳川家の家族を引き裂き、拗らせ、不味い方向へと突き進ませていくことになります。決断の際、瀬名の脳裏には、千代の「岡崎と信康さまを助けられるのは御方さまだけ」という言葉が響いたことも見逃せませんね。



3.信康の心を救うには~瀬名の賭け~

(1)亀姫の送り出しと於愛との語らいに見える瀬名の覚悟

 さて、年が明け、築山では瀬名と亀姫が草花で花輪を作ったり、花を生けたり、穏やかに楽しんでいますが、瀬名は嫁ぐ前の彼女に「こうして、そなたと花を生けるのも今日が最後かも知れぬな」と感慨深げに言います。お母さん子な亀姫は嫁いでも気軽にここに来ると返しますが、笑って嫁ぎ先に真心をもって尽くすよう説きます。そして、涙くみながら今までの感謝を述べる亀姫に「そなたは笑顔が似合うぞ」と励まします。


 この言葉は、瀬名の父、関口氏純の遺言です。それを亀姫に送ったのです。氏純の言葉は瀬名によって孫に引き継がれるわけですが、ここにはそれを守って、今日まで過してきて瀬名の半生と生きる術が込められています。「笑顔を忘れるな」とは、一見、安易に見えますが、実行することは難しいことです。相当、頭がいつもお花畑な人ではない限り、辛いこと、哀しいこと、苦しいこと、腹の立つことがあって当たり前です。笑顔でい続けることは不可能です。
 それでも、それを忘れないためには、強い心を持たなければなりません。どんな労苦に会おうとも希望を捨てない、出来る最善のことをしていこうとする努力、それがあってこそ、未来を信じられ、笑顔にもなれます。瀬名は、いつもそれをしようと努力して、そして乗り越えてきたのでしょう。


 そして、氏純の言葉には「お前の笑顔に救われてきた」という意味合いもあっただろうと思われます。つまり、その笑顔で周りを癒してほしい、慈しんでほしいということです。これまた難しいことですが、瀬名は家康以外には滅多に怒ったり、泣いたりはしていませんね。子どもたちが健やかに育ったのも、瀬名のそうした姿勢が大きいのでしょうし、また奥向きでの評判もよい彼女は同性たちの支持も笑顔を絶やさぬことで得てきたのでしょうね。
 瀬名の人知れずしてきた努力が、徳川家を裏側から支え守ってきたのです、だからこそ、それを奥平家で使うよう、亀姫へ伝授したのでしょう。

 


 亀姫の後にやってきたのは、於愛を連れてきた元忠とお葉です。お葉は自分が側室に相応しいと見立てた於愛を側室にする許可を、瀬名からもらいに来たのです。於愛にとっては、最終面接といったところです。この場面は、何故、お万が追放になったのかという点のアンサーにもなっていますね。


 緊張した面持ちであっても、自分を飾らず、正直に言う於愛に好印象を持った瀬名は特技を聞きます。「食べることと、寝ることと、読み物と」とあまりに普通な答えに、瀬名は微笑んでしまいますがこれが於愛の力なのでしょうね。さて、流れで「源氏物語」が互いに好きだと分かるのですが、ここでの於愛が笑えますね。

 好きな場面に、六条御息所の別れ(野宮の別れ)を上げるというマニアックぶりを披露した後、彼女に乗った瀬名の「藤壺との逢瀬は?」に「あっ、もうヤダ」とため口になった挙句に身を乗り出して熱く語り出します。緊張していたのに趣味が同じと分かると、急に親しい気がして、にじり寄って身を乗り出してしまう…典型的なオタクの反応ですよね(笑)


 ただせっかくのオタクトークなのですが、一方で六条御息所の別れ(野宮の別れ)と藤壺がチョイスされたのは、作品的には意味深です。六条御息所は激しい情念だったがため、愛しい光源氏との未練を絶つため伊勢に下りました。また藤壺は、桐壺帝の死後、春宮(息子)を守るため光源氏と縁を絶ち出家してしまいます。愛深きゆえに男の前から姿を消す六条御息所、息子のために男から消える藤壺、どちらも瀬名の行く末を暗示していますね。

 それを証明するかのように、於愛を側室に認めた瀬名は「そなたのおおらかなところが、きっとこの先、殿の助けになろう。愛や、殿のこと、よろしく頼みます。」と述べます。「きっとこの先」と将来について語りますが、この言い方には「この先」に自分がいないことが想定されています。この言葉は、ある種の遺言になっていますね。更に「これで安心じゃ」とまで言います。


 既に彼女は、信長の意向に逆らい、武田家との交渉に乗り出す覚悟がありますが、実行にあたりどうしても気がかりだったのが、もしもの失敗の際、家康を慈しむ者がいなくなることだったのでしょう。彼女は、自分の決めた道へ進むとしても家康への気持ちを失ってはいません。それどころか、ここまで自分がやれてきたこと、そしてやってきたことは家康の優しさに支えられてきたからだとすら思っています。

 第22回で、瀬名は度々、家康から彼の弱く、優しい部分として預けられた木彫りの白兎を抱き、そしてそれを自身から見える場所に据えています。これを託されたとき、瀬名は家康に「どんなことがあっても強く生きてくれ」と言われていますが、まさにこれが今の瀬名の強さを支えています。幼いころから瀬名は、家康の弱虫泣き虫が好きでした。その優しさに触れていることが幸せだから。瀬名は家康が「厭離穢土欣求浄土」を実現できる気が「なんとなく」すると言ったことがありますが(第9回)、彼の優しさがいつかみんなを救ってくれるに違いないと信じているからです。そのブレない想いを支えているのが、木彫りの白兎なのです。彼の優しさに見守られていれば、瀬名は大丈夫なのでしょう。

 それにしても、瀬名に預けた家康の優しさが、家康の意図とは裏腹に瀬名に大胆な行動させているというのは皮肉です。家康が、自分の一番の良さに気づかず、また瀬名の高い志も分かっていないということでもあるからです。


2)信康の精神崩壊から見える信長の覇道の本質

 さて、瀬名が、独自の道を歩む覚悟を決めたとき、山田八蔵が飛び込み、信康の凶行を告げます。鷹狩の際に縁起が悪いからとの理由で僧侶を殺した話は、『松平記』『三河後風土記』に載る話ですが、「不届き者を成敗しただけじゃ」と返り血をものともせず、傲岸に言い放つ信康にかつての虫も殺せぬ心優しい姿はありません。あまりのことに五徳も赤子を抱えたまま固まります。彼女もようやく、猛々しくなった信康がおかしくなっていることに気づいたのではないでしょうか。
 乱行を諫める親吉すら斬り捨てようとしたとき、進み出た瀬名が「五徳と赤子が怯えている」と一言。この止め方は流石です。家康なら叱り飛ばしたでしょうし、家臣団も力づくで止めたでしょう。その場合、信康は余計に抵抗して暴れたに違いありません。しかし、瀬名は事ここに至っても、信康の本性は虫も殺せぬ優しさと信じています…だからこそ、そこに訴える一言だけをそっと伝えたのですね。
 果たして、我に返り自身の所業に狼狽した信康はくず折れます。斬ろうとした親吉に支えられねばならないその姿は、彼の精神の崩壊が見えますね。


 そして、寝所で休みながら「あの僧侶にどう謝ればよいだろう」と嘆きます(逸話でも後に謝罪しています)。そして、ようやく彼は「皆が強くなれと言うから、私は強くなりました。しかし、私は私でなくなりました。いつまで戦えばよいのですか。」とその本音と葛藤を瀬名に慟哭します。

 信康は、猛々しい武将になることは人間性を失うことであるということを、身をもって知ったのですね。思えば、本作における戦を好む武将のほとんどは人間性や道徳的な倫理観が破壊されていますね。信長しかり、信玄しかり、勝頼しかり、秀吉しかり、どこかが狂っています。
 そして、そこまではいかずとも何らかの割り切りをもって、順応しているのが、それに続く家康や徳川家臣団でしょう。彼らは、そこに何の疑問も抱かない。だから、戦を続けられるのでしょう。信康は順応したものの、まともなだけに疑問に思い、苦しみ、そして壊れてしまいました。


 この信康の慟哭は、信長の覇道が何であるかを改めて示しています。信長の覇道、つまり彼の目ざす天下一統は、徹底した能力主義、成果主義です。効率的に戦果を出し続けない限り今の地位すら危うい。大多数の普通の人々には難しいことで、閉塞感だけが膨らむばかりです。
 しかしこの過酷な方向性は、実は秀吉政権下でも続きます。軍役に継ぐ軍役…その結果、天下は統一されましたが、それでも軍役は終わりませんでした。そう、二度の朝鮮出兵です。他国を侵略してでも続く成果主義の成長戦略…奇しくも、お万の台詞「男どもは、己の欲しいもの手に入れるために戦をし、人を殺し奪います」「男どもに戦のない世など作れるはずがない」が思い出されますね。

 そして、こうした効率主義、歪んだ能力主義、成果主義は、極度に利益追求に肥大化した日本の現状ともよく似ていたりします。


 事ここに至り、瀬名は信康に静かに「母にはずっと胸に秘めてきた考えがある。誰にも知られてはならぬ恐ろしい謀じゃ。」「全てを懸けて、それを成す覚悟が出来ている。」と告げます。瀬名のこの台詞で重要な点は、「願い」や「夢」などではなく、「考え」という論理的な思考に基づいた「謀」という計略であるということです。
 そして、それは「誰にも知られてはならぬ恐ろしい」ものだと自分の考えを客観的に見ています。これは、様々な意味があるでしょう。一つには、信長の意向に逆らうことだからです。信長は勝頼を優れているがゆえに絶対、排除しようと考えています。和睦自体、あってはならない考えです。
 そして、もう一つは、和睦の実現は、今、この乱世を支配する弱肉強食の論理、つまりこの世の理を根底から変えようとする過激な考えに支えられているということです。困難は並大抵ではありません。彼女は、切羽詰まってはいますが、冷静に思考錯誤を重ねた上で覚悟を固めているのです。


 そして、その計略に信康を誘うことにしました。

 瀬名は恐らく、一人で信長の意向に逆らう事案を進めるつもりだったでしょう。失敗した場合、家康や徳川家に迷惑をかけず、自分だけ死ねば済むからです。そのため、娘が嫁いで自分から完全に離れ、側室たちに後事を託せ、誰にも類が及ばなくなった今が機会なのです。しかし、信康の精神が病み尽くし限界を超えた哀れな姿を目の当たりにし、彼の心を救うには自分の計略に参加させる以外に道はないと悟ったのでしょう。
   ただ、命がけゆえに「信康がやるなら」という仮定形にして、彼に判断は委ねています。息子を巻き込むことに対する瀬名の躊躇と懸念が窺えますね。


 かくして、瀬名は築山にいる侍女や護衛を総替えして、あからさまな行動に出ます。五徳も予想外のことに戸惑い、数正は先の水野信元の諫言を思い出し警戒を口にします。しかし、家康から出た言葉は、「瀬名はただ草花が好きなたおやかな妻じゃ」と瀬名を庇います(その後、一抹の不安を見せますが)。瀬名を信じたいからこその言葉ですが、実はこの台詞こそ、家康は瀬名の自分の望む側面だけを観てきたという証拠かもしれませんね。

 三河一向一揆のとき、瀬名は的確なアドバイスを家康にしました。しかし、彼は「おなごは政に口を挟むな」と取り合いませんでした。築山に庵を結び、聞いた民の声を瀬名が伝えたときも上の空でした。戦を厭う瀬名の度々の言葉にも、女性だから単に怖がっているだけと思い、根拠のない「大丈夫だ」を繰り返すだけでした。家康は、瀬名を心から信用していますし、愛していますが、瀬名の見ようとしている世界を共有しようとはしてきませんでした。こうした二人の分かり合えないズレについては、以前のnote記事でも度々、触れてきました。家康にとって瀬名は、政治も共に考えられるパートナーではなく、どこまでも守るべきものだったかもしれません。

 

 一方で瀬名を愛しているだけに家康の「瀬名はただ草花が好きなたおやかな妻」という評自体は的を射ています。ただし、家康はこの評を極めて表面的に捉えて言っているため、その深さを理解していません。

 「ただ草花が好き」…全くそのとおりです。だからこそ、築山の庵は、瀬名の丹念な世話で、年々深々と様々な草花が生い茂げ、穏やかな時間が流れる空間になっていきました。かつて、田鶴を象徴する椿を植えたように、ここには様々な草花が瀬名の手によって共存しています。謂わば、この築山が象徴するのは、あらゆる者たちが手を携えられる多様性です。だから居心地よく、争いもないゆえに穏やかな時間が流れる。
 家康がここだけは守りたいと思える安心できる空間、子どもたちと楽しく過ごせる場所、側室や侍女と語らい、民の声も聞ける…ここは全てが平等です。だからこそ、彼女はここに敵も招くことができるのです。この築山の風景こそが、瀬名の夢見る「戦の無い世の中」であることを家康は気づけているでしょうか?そして、その中心に木彫りの白兎がいることを。
 ここが「厭離穢土欣求浄土」のモデルハウスなのです。

 また「たおやか」…気だてが、しっとりとやさしく、しなやかで柔らかい。これも瀬名を言い当てていますが、こうあるために瀬名は努力と思考を重ねて、芯の強さを身に着けてきました。彼女のたおやかさを支える強靭な心を家康は理解できているでしょうか?



おわりに

 さて、覚悟を決めた瀬名は千代女を呼びつけ、上司を呼ぶように迫ります。そして、信康と共にその人を待ちます。表れたのは唐ものの着物に身を固め滅敬を名乗る、まさかの穴山信君でした。通説では、築山殿は唐人の医者、滅敬(減敬とも)を窓口に武田と内通されたており、山岡荘八「徳川家康」など創作でも度々出てくる悪党ですが、この正体を穴山信君とする予想外の展開は、なかなか驚きに満ちていますね。しかも、築山に来てから家康の健康のために始めた趣味の薬の調合を、彼らと会う口実にするという念の入れように、脚本がずっと前からこれを企んでいたことが伝わります。

 瀬名たちの計略は史実どおり失敗することは分かっていますが、瀬名が築いたこの関係は、彼女の死後、家康自身が穴山を籠絡するために利用するかもしれません。となると、この出会い、単なる失敗で終わるのではなく、家康へのアシストになるかもしれないのですね。

 こうなると、俄然、次回以降の瀬名と彼らとの丁々発止は見ものかもしれません。今回の瀬名のあり方を焦りから不用意なことをしたと結末だけを考え、暗くなっている視聴者の方々もいるでしょう。しかし、これは「恐るべき謀」です。計略なのです。そもそも、あの瀬名が何の算段もなく息子を巻き込むわけもなく、次回が彼女の政治力の真骨頂でしょう。次回、幸せそうな夫婦たちが築山を訪れ、どんな役割を果たしていくのか、瀬名の計略の正体自体が楽しみというものです。

 結末は分かっていますが、この計略はかなりのところまで巧く行くのだと思います。単なる信長に対する蟷螂の斧であっては、面白くありませんし、彼女の描く「厭離穢土欣求浄土」がきっと後年の家康の願いともつながってくるはずだからです。

 無論、どうにもならない大きな壁により、後一歩のところで狂いが生じるでしょうが。とはいえ、まずは瀬名のお手並み拝見といきましょう(笑)

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