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辞世の句vol.10 「伊藤博文」

暗殺の前日に詠んだ辞世の句

「万里平原、南満州
風光闊遠、一天の秋
当年戦跡、余憤を留む、
更に行人をして暗愁牽かしむ」

意訳:南満州にはどこまでも平原が広がっている。
眺めは遠くまで広がり、空全体がまさに秋のようだ。

この年になっても戦場の跡はまだ収まらない怒りをとどめている。

それがいっそう旅人を人知れぬ憂いにとらわれさせるのだ。

最後の言葉
博文は自分が撃たれた時、「誰が撃ったのか」と叫んだそうです。

息を引き取る前に側近たちと言葉を交わしたそうですが、その中で自分を
撃ったのが朝鮮の人民だと知ると、「俺を撃つなんて、馬鹿なやつだ」と呟きました。

博文は、死の直前「誰か他に撃たれたか」と聞き、森秘書官が撃たれたことを知ると「森もやられたか・・・」と呟いたと言われています。

これが博文の最後の言葉になりました。


1841年9月2日周防国(すおうのくに・現在の山口県)熊毛郡の農民の子供として生誕父が長州藩の下級武士である伊藤家の養子になる。松下村塾において吉田松陰に学ぶ岩倉使節団の副使としてヨーロッパに向かう

1885年、内閣制度を創設し、初代内閣総理大臣に就任

1909年10月26日ロシアの大臣に会うために満州に向かい、
ハルビン駅で安重根(アン・ジュングン)に暗殺される(享年68歳)

今の岸田内閣総理大臣が100代目とのことですが、果たしてその間に日本は成長したのでしょうか、今伊藤博文氏が総理大臣に襲名したら日本は変わるか?

内閣制度、大日本帝国憲法を作ることにも尽力、内閣による政治の基本を作り上げた人物で、天津条約や下関条約を締結したり、初代韓国統監にも就任
したりなど外国との関係構築にも熱心でした。日本の近代化に際し、大きな
役割を果たした人物です。

4度に渡り内閣総理大臣を務めたのでやはり人望も手腕も高かったのでしょう。この時代の政治家とは軍部もあったりして、相当鼻息の荒い危険な人間も多く生息していたはずです、現代でも変な魑魅魍魎議員は多いでしょうが・・・?

【伊藤博文の名言】

・いやしくも天下に一事一物を成し遂げようとすれば、命懸けのことは始終ある。依頼心を起こしてはならぬ。自力でやれ。

・大いに屈する人を恐れよ、いかに剛にみゆるとも、言動に余裕と味のない人は大事をなすにたらぬ。

・偉そうな人が偉いとは限らない。

・仕事に一切の妥協なし。

・国を愛するって何だろう。

熱血漢の塊の志士だったのではないでしょうか?

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