辞世の句vol.05 「上杉謙信」
「極楽も 地獄も先は 有明の 月の心に かかる雲なし」
意味:死んだあとに行くのが極楽でも地獄でも、今の私の心は、雲ひとつない有明の月のように晴れやかである
「四十九年 一睡夢(いっすいのゆめ) 一期栄華(いちごのえいが) 一盃酒(いっぱいのさけ)」
意味:49年間の私の人生は、一夜の夢のようであった、この世の栄華も1杯の酒と同じような存在だ。
「上杉謙信」は1530年(享禄3年)、越後守護代「長尾為景」(ながおためかげ)。のもとに生まれました。
1548年(天文17年)には長尾家を相続。1561年(永禄4年)に「上杉憲政」から「上杉」の名を譲られています。
上杉謙信がその生涯で戦を行った回数は、70回余り。しかし他の武将と異なり、領土の拡大や天下統一を目的に戦をせず、「大義」を重んじての出兵だったと伝わります。
有名な「武田信玄」との「川中島の戦い」も、武田信玄に領土を奪われた武将が謙信を頼って来たことがきっかけです。
越後国(現在の新潟県)だけでなく、上野国(現在の群馬県)、越中国(現在の富山県)など、多くの土地を支配した上杉謙信ですが、1578年(天正6年)に亡くなりました。
上杉謙信は仏教に帰依していたと言われていて、辞世の句より、悟りを開いている様子が垣間見られます。また、悟りに近い人生観が感じられ、酒好きな謙信らしい句とも言えます。
著名人が遺した辞世の句/ホームメイト (touken-world.jp)
https://www.touken-world.jp/historical-last-words/ より
上杉謙信=軍神=義に厚いとの評判でありますが、凄い人だったようです。
「敵に塩を送る」という言葉は、「敵の弱みにつけこまず、逆に苦境から救う」という意味があり、実はこのなじみのある言葉は、上杉謙信の行動が由来しているといわれています。
真偽のほどは色々説がありまして誠か否かは不明ではありますが、戦いに滅法強くその反面義に厚い人物であったことは確かなようです。
助けを求める人には手を差し伸べるなど、幼少時から寺に入門して仏道を学び信仰心や義の心を育んだことも影響していたのかもしれません。
人としてのバランスが優れていたのでしょう、現在に生きていたらどのような功績を残し世の中を変えてくれるのか、期待してしまう人物像ですね。