自分を自然に戻す

ここは自然の理のなかであり、神の働きのなか。
すべては、自然の法則の元にある。
この源、神の配剤は完璧で、きちんと法則がある。
それは、調和し、整列し、美しく永遠に循環する。
すべてのなかに、法則は働いている。
どこをとっても同じ形、数列が見えてくる。
フラクタル構造、フィボナッチ、ソルフェジオ周波数、神の数学など、
この自然の理がそこに顕れている。

そのなかで調和して生きてきた、古代の人間は、
今より遥か進化していた存在だったと思う。
自然の理であり、宇宙意識があたりまえだったと思うから。

自然の理から離れた人間は、
結果、今のようなことになっている。
地球を破壊し、分裂し対立し、
心身ともに、不調和、不自然そのものの姿になってしまっている。
不調和になっていることもよくわからない状態。
自然なことも調和もわからなくなっている。

今の、不調和な概念で、
不自然な世界で、分離の意識で進化ってあるのかな。
 不調和な意図で作られた装置、仕組み、世界は、
 不調和なもの、結果しか顕れないのではないかな。

私たち人間は、自然の理のなかに、
神の働きのなかに生まれている存在であり、
その自然の理、神の働きなくして、
生きていられない存在。

自然の理は、調和そのもの。

この世界の不調和は、
元の意図が不調和だから、
不調和しか生まれない。
不調和、不自然なものは
本来の人間のしあわせから、
遠ざかるものでしかない。

この世界にあるものは、
誰かの意図により、生み出されているけれど、
表に現れているものは、
大抵、意図、目的は、不調和なもの。
人類の自然な、健康な心身、幸せを
願ったものではない。

不調和な考え、概念から、調和の形にはならない。

不自然、不調和なものは、
表面上の派手さ、大きさ、強さ、華やかさがある。
人間の感情や欲、心理をうまく操作する。
分離、分裂、対立、分離感、病気、孤立、所有、
循環しない、欠乏になる。

不調和な概念、意図は、
不調和なモノコトしか生み出さない。

反対に
調和した概念、意図は、
必ず調和したモノコトを生み出す。

ここに働く法則。
私たち人間にも、人間のなかにも働く自然の法則。
ひとりひとりのなかにも、常に働いている法則。

私たち人間のしあわせは、
自然の理のなかで調和して生きることでしか、
得られない。
どんなにきれいになっても、お金持ちになっても
成功しても、
自分の考えや概念が、不調和であれば、
必ず、不調和の結果になる。

自分を自然に戻すこと。
自然というのは、自然の理、法則、真理、
 調和した考え方、
自分は、自然の理のなかに存在している生命だということ。
 生命だということ。
生命は、自分で立ってるわけじゃない。
全体の生命の働きであり、神の働きにより、
私たちの身体は生かされ、保たれている。

自分がしあわせになるのは、
何かを得ることでも、
何かを身につけることでもない。

自然に戻すことでのみ、しあわせになれる。

自然が、本来の自分。
調和が、本来の自分。
ひとつ生命が、本来の自分。

その自分に戻るだけ。
元々の、本来の自分に戻ればいいだけ。

努力して、ないものを得ようとがんばって、
何者かにならなくていい。
それは、不自然であり不調和でしかない。
その不自然、不調和から、
しあわせ、は生まれない。

何にも特別なこと起きていないのに、
 自分の内から、
ふわーっと至福感が湧いてくることがよくある。
これが、本来の幸せというものであり、
本来の自分なのだろう。

何も持ち物持っていなくて、拡がりで、自由な生命。
楽~になる。



いつも読んで下さり、
ありがとうございます(^-^)/

美鶴 mitsuru.🌈

 


みんなが、しあわせでいられる場を作って行けたらと思っています。どうぞよろしくお願いします。