【短編小説(伝奇コメディ)】謎の石 明治幻想綺譚 10000字
ハロウィンなのでノベプラのいたずらコンでHARDもらったやつです。
[HL:石の中には馬か、魚か、或いは?]
「よぉう山菱! 今日もパッとしねぇ顔してんな」
「なんだ冷泉か。暗いとこからいきなり出てくりゃビビるんだよ、人ってもんは」
「ハッハ相変わらず図体似合わず肝が小せぇ」
心臓が止まるかと思ったのに、いきなり指をさしてゲラゲラと笑われた。
時刻といえば丑三つ時。
明治16年の秋の夜長は妙に冷え、地面に沿って這ってきた冷たい風が、袷の裾から吹き上がる頃合い。その上この辺りは真っ暗だ。神津の市街まで行きゃガス灯というものも灯りはするが、はずれのこの辺りは未だ、この手の内の提灯がなきゃ、何も見えねえありさまだ。
そんなわけで往来は既にシンと静まり、現れそうなのは妖という風情。そして現れたのも俺としては妖怪と大して変わらないヤツだった。
柳のように細い冷泉が柳の隙間から灯りも持たずにお化けのようにヒョロリと現れたものだから、腰を抜かしても仕方が無いと思うのだがな。それに相変わらず格好も奇妙で、ぴちりと体に沿った洋装に黒のインバネスを纏っている。
「そんでお前は灯りもなしに何やってる」
「別にプラついてるだけだ。散歩ってやつよ。お前はどうせ賭場ですってきたんだろぉ!」
「うるせぇ」
ウヒャヒャというおかしな笑い声と共に俺の背中がバンバン叩かれ、地味に痛い。
博打については図星なので何も言い返せはしねぇが、今日の冷泉はやたらめったら高揚している。とはいえバッタリ会う時はだいたいこうだ。高揚してるからこそ、こんな治安がいいともいえない場所を灯りもなしにプラプラうろついてるとも言える。
大麻の吸引でも疑うレベルだが、こいつはまともな時以外は躁鬱の気質が激しい。まともな時ほど何考えてるかわからんから、まあ結論的にさして代わりはしないわけで別に良いのだが、鬱陶しいことには変わりない。
「ここで会ったが百年目だァ。蕎麦でも奢ってやろう!」
「いいよ、お前に貸しをつくると碌なことにならん」
「そういうなよォ。寒いじゃないか。どうせ素寒貧なんだろォ」
そう聞くと腹がギュウとなるものだから、冷泉は更にギャハハと笑った。陽気な冷泉は本当に鬱陶しい。けれども性質としては一番善良ではある。そしていつのまにか肩を掴まれ無理やり歩かされていた。冷泉はヒョロいくせに握力が強い。
そうして見えてきた夜鷹蕎麦でずぞぞと啜っていると、冷泉が妙にじっと俺を睨みつけている。睨んでいる自覚はないのだろうが、眼鏡をつけてない時の冷泉は人相が著しく悪いのだ。そそくさと食べ終わり、じゃあなと別れようとしたら案の定だ。
「ちょっとまてぃ」
「やっぱりかよ。そんで何なんだ」
冷泉はフフンと鼻で笑って石を一つ投げよこしてきた。妙に薄青い石だ。
「何だよこりゃ」
「さてな。それを磨いてくれないか」
「はぁ? 磨くってななんだ」
「さあな? そのうち取りにいくから。それまで絶対割るなよ。割ったら怒るからな!」
そうして俺は屋台にポツリと残された。
掌にちょうど乗る程度の大きさの石。貴重な石のように見え、そうでもないように見える。
わけのわからない物はわけのわからない奴に見せるに限るのだ。
俺は早速翌日、腐れ縁の陰陽師を訪ねて土御門神社に向かえば、白シャツに絣と袴の鷹一郎が門前を掃いていた。
「これはまた、面白いものを手に入れましたね」
「無理やり貸されたんだよ。何だこれは」
「さて、何でしょうかね。とりあえずお茶でもいれましょうか」
いかにも面白そうにくすくすと笑うものだから、俺もいい加減に腹が立ってくる。
「なんでお前らはいつもそうやって、俺を誂おうとするんだ」
「そんなつもりはありません。そもそも石など磨かねば、どのような代物かわかるはずないじゃないですか。和氏の璧の話でもそうですよ」
和氏の璧は大昔の中国で卞和という男が楚王に捧げた石である。その前二代の楚王に捧げた時は専門家の調査でただの石と言われ、王を謀ったとして都度足切りの刑を受けた。けれども当代楚王である文王が磨かせた結果、中華の至宝とも言える璧が現れたのである。
鷹一郎は俺にそんな話をしながら手早く箒を片付け、社務所に上がる。社務所の奥が鷹一郎の住まいを兼ねている。
「それもそうか?」
「けれども貸してごらんなさい。一応見て差し上げましょう」
石を手渡せば、鷹一郎は静かにその透き通った目を閉じ、石に耳を当てた。開け放った障子の向こうから、さらさらと風が吹き渡ってくる。
「水の音がしそうです」
「水?」
「せっかくですし、磨かれたらいかがですか?」
「磨くったってお前、そんな暇はねぇよ」
「なら、面白そうですしお駄賃を差し上げましょう。どうせお金がないのでしょう?」
「む」
それはやはり否めないのだ。心の底では冷泉に蕎麦を奢ってもらって助かったとも思っている。日雇い仕事の実入は仕事が終わってからようやくだ。とすれば、これから日雇いに行くにしても、腹をすかせたまま働くことになる。空きっ腹の肉体労働は辛い。
「いくら出す」
「そうですねぇ。日雇い日当と同じ程度で如何でしょう」
「引き受けた」
そこまで言って、冷泉は天気な頭でもここまで、つまり俺が鷹一郎に相談して日銭を得ることまで考えていたんだろうかと思いつく。俺のような単純な人間には、人の頭をするりと読み取るこいつらのような人種の掌の上に乗ってしまうのだ。
ともあれ鷹一郎に朝飯を馳走になり、その社務所の一角を借りて鉄の棒ヤスリでゴリゴリと表面を削り始めた。昔からこういう手作業は好きなのだ。なぜだかその石は湿っていて、削っても粉も飛ばずにヤスリをかけやすい。しゃかしゃかと削っていれば、やがて表面はどことなく青くなり、気がつけば石から湿りだした水分が手のひらを濡らしていた。そういえば鷹一郎も水の音がしそうだと言っていたな。
「なんだこりゃ、気持ち悪ぃ」
「へぇ。もう一度みせて頂けますか?」
隣でのんべんだらりと本を読んでいた鷹一郎に石を手渡す。この土御門神社は参拝客などほとんどいないものだから、鷹一郎は特別に仕事がなければこのように晴耕雨読を地で行く暮らしをしているのだ。羨ましいこって。
鷹一郎が石を振れば、ちゃぷりと水が流れるような音が聞こえた気がした。
盆を持ってきてその中に石を沈めれば、その中にちらりと影が見えた。
「なんだこりゃ」
「なんでしょうか?」
「わかっててやってたんじゃねぇのかよ」
「この本にそんな話が載っていましてね」
龍駒石
ある人が不思議な石を一つもっていた。
胡の人が十万緡銭でそれを買ったものだから、
何故こんな高値で買うのか尋ねた。
故人は盆に水を貯めてその中を覗けば、
その中に馬が一頭現れ、飛び回っている、
これは龍駒石といい
水に浸したものを馬に飲ませば
馬はたちまち龍駒石を産むのだそうだ
(北牕炙輠より)
石中魚
季揚衍の孫の杜綰という者がいた。
蘭州黄河で。
柿程の大きさの青い丸い石を見つけた。
文鎮代わりに紙の上に置いていたが、
一晩たてば紙が濡れている。
地面に落とすとたちまち割れて
中から3センチほどの小魚が出てきて、
飛び跳ね、
すぐに死んだ。
(雲林石譜より)
「なんだこれは」
「明代に発行された明陳耀が編纂した天中記です。割るわけにはいかないでしょうから、試しに水に浸けてみました」
「この石の中に馬だの魚だのがいるっていうのか?」
「さぁどうでしょう。磨いてみればわかるかもしれません」
狐に摘まれたとはこのことだ。とはいえ鷹一郎は相変わらず、誂うように俺をみるだけで、いつも通り聞いても教えてはくれないだろう。
しかしここまで来たなら仕方ない。削るうちにだいぶん青味が濃くなってきたものだから、棒ヤスリを研磨剤と布に取り替えて慎重に磨いていく。その魚石とやらのように中に魚が入っているのなら、割って仕舞えば仕方がない。そういえば冷泉も割るなと言っていた。
慎重に、慎重に、撫でるようにヤスリでこする。
「哲佐君、そろそろ夕餉にいたしましょう」
「何?」
はたと目を挙げればすでに外は薄暗く、長い黒髪を一つにまとめた鷹一郎が箱膳を運んでいた。鼻にはぷうんと鰹出汁の香りが漂う。もう夜が近い。夜に慣れば手元不如意だ。だから今日はここまで。
「相変わらずなかなかの集中力ですね」
「嫌いじゃないからな」
鷹一郎が用意した膳の上には茶粥と豆腐の味噌汁、それに筑前煮と大根の浅漬がのっている。馳走になる時にいつも思うが、素朴で美味いものの、塩分と魚肉が足りない。俺が作れば塩っぱいといわれるのだから、東北生まれの俺と京生まれの鷹一郎の好みの差なのだろう。
「それにしてもこれは冷泉さんから預かったのでしょう? 来歴は聞いてませんか?」
「ラリってる方の冷泉だったからなぁ。会話が成り立たん」
「そりゃぁご挨拶だなァ山菱ィ」
ギョッと振り返れば、開け放った障子の外、欄干の奥から冷泉の顔が覗いていた。今日はいつも通り随分大きめのメガネをかけて、ツバの広い帽子をかぶっている。
「おや、冷泉さんがこのあたりまで来られるのは珍しいですね」
「そこの山菱に用があってな。長屋にいなかったからあたりをつけてここまできた。ってそれか」
冷泉はヒラリと欄干を飛び越え体を伸ばし、外に脱いだ靴を器用に拾って欄干に引っ掛けてからノシノシ部屋に入ってくる。
「冷泉さんも召し上がりますか?」
「いや、俺はいい。それより随分薄くなったなぁ」
冷泉は柿大からみかん大になった石を持ち上げて眺める。
「お前が磨けっていったんじゃないか。それより何の用だ」
冷泉はピタリと黙った。いつものパターンだと何かを考えているのだ。
「これを返してもらおうと思ってきたんだがな」
「冷泉さん、このまま哲佐君に磨いてもらえればいかがですか?」
「そのほうが面白そうだな」
「待てぃ。どういうこったそれは」
冷泉は悪巧みでもしたかのように、口の端をニヤリと上げる。
「こんなに削れてちゃ、今更別のやつに磨いてもらうのも半端だろう」
「お前が磨けっつったんだろ」
「そらあそうだがこんなに綺麗に磨くとは思わなかったからな。おい山菱。お前この中に何か見えるか?」
「何って馬か魚じゃないのか?」
「馬ぁ?」
「冷泉さん、そんな話もあるんですよ」
「ふぅん? 魚というのは俺も聞いたことがあるんだがな」
長崎から出発しようとする異人が逗留先の宿の壁に青い石が埋まっているのを見つけ、それを是非に譲ってくれという。
大金を出すと言うが、手持ちがないから預かって欲しいというのだ。
宿の主人は了承したが、3年経って音沙汰が無いので石を割れば、中から赤い魚が出てきた。
翌年に異人が戻ってきて嘆くには、あの石を磨けば中の魚が透けて見え、これを朝夕見れば寿命が伸びるそうだ。
「それは最近のバリエーションですね。長崎だけでなく京や茨城など、いろいろなバージョンがありますよ」
「おい鷹一郎、石の中に魚っつうのはよく聞く話なのか?」
「ええ。中には綺麗に洗おうとお湯をかけて中の魚を死なせた話もあります」
「そりゃ、湯などかけりゃ死んじまうだろうよ。で、どれが本当なんだよ」
鷹一郎は眉を顰めた。
「本当もなにも、というところでしょうか。この日の本にこの話を最初に持ち込んだのは天和2年に刊行された浅井了意の新語園でしょう。その六巻に『石中有魚』と『龍駒石』が収録されています。その後、この2つの話をあわせたような話が元禄17年に章花堂が金玉ねじぶくさという本に『水魚の玉の事』という小題で収録されています」
長崎の町人、伊せや久左衛門方に留まっていた唐人が帰国の折、内蔵の石垣に小さい青い石を見て掘り出すように久左衛門に頼んだ。
「簡単なことだが石を1つ抜けば石垣が崩れるのでな、普請の時まで待ってほしい」
ところが久左衛門の返答に唐人は金子百両を取り出す。
「普請の費用も出すのでやってはくれまいか」
けれども久左衛門は悪知恵がまわり、断った。唐人が出船後にその石を掘り出したが、磨かせてもそう変わることもなく、光も出ない。2つに割らせれば中から水が出て、その中に金魚のようなフナが2匹いた。久左衛門は欲をかいて失敗したと後悔してこの石は捨てた。
その後唐人がまた訪れて、今度は金子を千両出した。久左衛門は後悔して顛末を告げる。
「なんということを。私がこの度数千里の波濤を越えてやってきたのは、この石を求めるためです。千両で足りなければ三千両まではと思って持ってきたのに」
唐人は涙ながらにそう述べた。久左衛門はあまりの額に気になって仔細を問う。
「この石をすって水際一分の間において磨けば、底から光が起こって誠に絶世の美玉となる。特に直径7寸5分でまん丸いものの中には自然と水を含み、その中に2匹の金魚がいて、動く形は光と絡まり、並びない美しさだそうです。王侯の心を喜ばせ、その値は一千万金、私はこの石で富貴を極めようとはるばるここまできましたが、残念です」
「ふむ、確かに俺が聞いた話に似ているな」
気がつけば、冷然はすでにゴロリと寝転がり、懐から取り出した青臭い匂いのするものを飲んでいた。
「それ以降、馬の話は本邦ではたち消え、魚の話として各地に伝わったのでしょう」
「それにしたって7寸5分とはでかいな」
「物語にしたときに石垣に挟むにはそのくらいがよかったのでしょうね。けれども原典の龍駒石は柿の大きさとのことですから、ほら、その石」
冷泉が細っちろい指先でつまむ石は、確かにその程度の大きさだった。つるつるとこする冷泉のその指先の危うさに、思わず喉がなる。いや、けれどもこの石はもともと冷泉のものだ。俺にどうこう言える筋合いはねぇ。
「この石はどちらで入手されたのですか?」
「……再青川で拾った」
なんとなく、その冷泉の答えからは嘘だなという香りがした。
それがわかっているように鷹一郎は柔らかく微笑む。
「冷泉さんは何か見えますか?」
「俺に見えるわきゃねぇだろォ。妙につるつるしてんなとは思うが、青いかどうかもわからん」
冷泉は目が弱く色がよく見えぬのだ。だから大きな色眼鏡をかけている。
「せっかくですから賭けでもしますか。この石の中に何が入っているかを」
鷹一郎がひどく悪戯げな顔で冷泉を見やれば、冷泉はニヤリと笑って答える。
「いいぜぇ。でもここで言っちまっちゃぁ興醒めだ。紙に書いて結論が出たら開こうじゃないか!」
「宜しいでしょう。では何を賭けましょうか」
ひどく嫌な予感がした。
「じゃぁ俺が買ったらそこの山菱を一日タダ働きさせる」
「では私もその条件で」
「ちょっと待てぃ! 何だその俺が一方的にに損な賭け事は!」
「おや? 哲佐君が勝てば私と冷泉さんが哲佐君のためにタダ働き致しますよ?」
「ざけんな! だいたい俺とお前らとは頭の出来が違うんだよ!」
なんか言ってちょっと悲しくなった。けれどもそもそも鷹一郎には阿呆みたいな博識と、冷泉にはこの石の来歴についての認識がある。どう転んだって俺に勝ち目はない。
「労働対価を考えろォ!」
「なんだと?」
「土御門や俺を自由に一日動かすのにかかるコストとお前が一日で稼ぐ金の差だァ!」
言葉の刃が俺の心と懐を抉る。確かに俺はしがない日雇い人足だし、鷹一郎は陰陽師なんてヤクザな仕事で馬鹿みたいに儲けてるし、冷泉はこれでも租税官吏で神津南の開発を一手に引き受け、唸るような金を扱っている。
「まあまあ冷泉さん、哲佐君をそんなにいじめないであげて下さいな。そうですね、では哲佐君が中身を選ぶのは石を磨ききった時、でどうでしょう」
「何?」
「石を磨いているのは哲佐君ですから、きっと何か見えるかもしれません」
それであれば、勝てる見込みはあるのだろうか。流石に際まで削ればそれが何かはわかるんじゃないか。昔話の石は全部、面白おかしく割れているが、そもそもその中身の魚だか馬だかを鑑賞するものだろうから。
「それに私も冷泉さんも哲佐君が死ぬような事は頼んだりしませんよ」
「お前はいつも死ぬ間際みたいなことを頼むじゃねぇか」
「でも一日です。そうですねぇ、通常の日雇い日当はお支払いしましょう」
否定しねぇのかよ。
「仕方ねぇ。俺も懐から出してやる。微々たるもんだ」
こいつもうぜぇ。だが俺が判断するのは磨ききってからだ。こいつらを一日思うままに出来るなら、それは随分溜飲が下るだろう。
「わかった」
その直後の二人のニタリという笑いと、二人が何の迷いもなく答えを紙を認めたことから、わずかに後悔した。俺は負けはせずとも勝てもしなさそうである。けれども後の祭りだ。
いや、俺が磨き上げて、当てればいいのだ。心にヨシと気合を入れる。
「ぉし! 三日後の夜にここに来る。それが期限だァ!」
冷泉が威勢のいい声をあげるが、ともあれ既に夜は更けた。いずれにしても削るのは明日のことだ。
翌朝。
豆腐売りの呼び声と共に起き出して、棒手振りを捕まえて蜆と目刺を買う。蜆は味噌汁に入れて、焼いた目指しと沢庵を膳に乗せ、米をよそう。
「気合が入ってますね」
「やはり朝はガツンと食わなきゃな」
ハッキリした味の方がどしんと気合が入るのだ。鷹一郎にまかせてはおけん。
「哲佐君のお味はやはり濃いめですねぇ」
「湯を入れればいいだろ」
「お出汁まで薄くなるじゃないですか。ご飯も進みますし、たまには良いでしょう」
なんだかんだ鷹一郎は全部食うもんだから、まあ好みから多少離れるという程度の話なのだろう。
食事が終わればいよいよ石削りだ。
とりあえず、眺める。心なしか、昨夜よりしっとりとしている。ぐるぐると回して眺めても、灰青色といった風情だ。これを光輝くまで磨くのか。しかし一つ問題がある。どこまで磨いてもいいのか、だ。何が入っているか分かるまで、とりあえず最も薄い部分と同じ色になるまで削ろう。
ざらり、ざらりと表面をぬぐい、その都度日に翳す。そうすれば中でするりと影が見える。やはり何かいる、気がする。
そうしてまた、ザリリと撫でる。棒ヤスリとは違い、布で磨くのは遅々とした作業だ。けれども僅かずつ、確かに薄く青く染まっていく。そしてその表面はしたりしとりと湿っていく。そうして灰色が薄くなる。
「鷹一郎。何かはいるが、何かはわからん」
「そうですか。ではひょっとしたら、ものすごく小さいものか、透明なものかもしれません」
「何? それじゃお前らはハズレじゃないか」
「そうかもしれませんね」
鷹一郎は興味を失ったように、その視線を再び手元の本に落とす。石は磨かないとそれが何かはわからない。鷹一郎もそう言っていたじゃねぇか。それに見ている俺でも何かはわからぬ。流石にこいつらとて、千里眼は持ち合わせてはいないだろう。とすれば、ギリギリまで削れば俺が勝てるかも知れねぇ。こいつらに一泡吹かせられるなら、そう思うだけで気分がいい。俄然、やる気も出てくる。
そうしてとうとう、光に翳せばその外縁に僅かに石の影がうすらと浮かぶ。この微かな影が、おそらく水との境界線だ。それをそりそりと丁寧に磨けば、これでもうこれ以上はないほど薄く磨きあがっていた。
「鷹一郎、できたぞ」
「本当に見事ですねぇ」
息も絶え絶えにその石を掲げれば、その内側は日の光を反射してあふれるように美しく輝き、その内側にふわふわと織を成す。けれども馬も金魚も見えなかった。ただ、その内側に何かが蠢いているのは感じた。
「それでそれは何ですか」
「わからん……」
「それでは賭けになりません。不戦負です」
「ちょっと待て、考える」
「これは考えてわかるものではないように思われますがね」
紙と筆を渡される。
考えろ、考えろ。外しちゃいけない。けれども俺には何も見えない。いや、何かが揺らぐ影が見える以上、何かがいるのだろう。幽霊だとか、あるいは俺に見えない類の妖かもしれない。鷹一郎や冷泉には見えるような。いや、冷泉はお化けは見えなかったっけな?
間違えない、間違えない。間違わなくていいもの、そうだ!
俺は思いついた単語を紙に書付けた。
「冷泉が来るのはどうせ夜だろ、俺はそれまで寝る」
「その前に風呂屋にでもいってきたらどうですか。昼とはいえそのままでは風を引きますよ」
いわれて気が付いた。極度の緊張で体が汗でぐっしょりと濡れていた。もう秋も深まり、欄干からは木枯らしが吹きこんでいる。近くの辻切大湯まで出向いてひと風呂浴びれば、もはや体は疲れ果て、その二階でぐてりと休んでいれば、気づけばすっかり日は落ちていた。
慌てて手ぬぐいやらをまとめて土御門神社に向かえば、既に宴会が始まっていた。
「よォ山菱ィ! 随分とごゆっくりだなァ」
「いや、俺だってな」
「冷泉さん、おやめなさい。哲佐君はずいぶん根を詰めておりました。仕方がないことです。さぁお酒を温めてありますよ、一杯」
鷹一郎は温燗に温めた酒をとっくりにうつし、俺の持つ盃に注ぐ。
「おお、ありがてぇ」
土御門神社にはよくお神酒が奉納される。鷹一郎はさほど飲まないから、実質的に俺が大半を飲んでいる。冷泉の盃からはやけに甘い香りが漂っている。いつもの薬湯なのだろう。冷泉は酒は飲めないらしいから。
それにしても今日の膳は皿が多い。通常の一汁一菜のところ、膾に蕪の煮つけ、汁椀に煮魚、おそらく冷泉が屋台で買ってきたのであろう天ぷらが並んでいる。
「やけに豪華だな」
「こういうのは派手にやるのがいいんだよ!」
宴もたけなわ。
三人の前の小座布団には青石が鎮座し、たゆたゆと光を放っている。
「さて、それでは御開帳だ。山菱、お前は何て書いた?」
鷹一郎が奥からするりと三枚の折りたたんだ紙を持ってくる。
「では哲佐君から開けましょうか。何何。水。……なるほど」
「ギャハハなんだそれ」
鷹一郎はさも残念そうな目で、冷泉は馬鹿にするような目で俺を見る。だって何がいるのかよく見えねえんだから仕方ないだろ。磨いてる途中も水は出たし、水が入っていることは間違いあるまい。
「では私どもは同時に開けましょうか。おそらく同じ回答な気が致します」
「いいぜ」
そして二人の紙が開かれた。
水晶。
水晶。
その瞬間、再び冷泉が爆笑する。
「なんだと! お前ら散々魚石だの龍駒石だの言ってたじゃねえか!」
「言いましたが、あれはあくまでそういう話があるというだけです。いえ、本当にあるのかもしれませんが、哲佐君があまりにも面白くて」
くふふと笑う鷹一郎が恨めしい。
「だが本当に水晶かわからないだろう!」
そのように言えば冷泉はのそりと起きだし、徐に石をとる。
「あ、おいそんな乱暴にしちゃぁ」
そして止める間もなく柱に投げつけ、俺は思わずギャァと叫び声をあげ、そして柱にぶつかった石がごろんと床に転がった。呆気に取られた。
「わかるんだよ。これは四風の水晶鉱で掘られたもんだからな」
「何故だ! 内から水が溢れてたじゃないか」
「それはあのように外の近くに置いておけば結露もしましょうし、後半は哲佐君の手汗ではないのですか?」
思い起こせば集中し、汗を書いていたのは確かだ。けれども今も、この石はゆらゆらと光を放ち、中に何形作っている。
「じゃあこの影はなんだ!」
「石を持って動かさずにいてみろ!」
言われた通り石を持ち上げぴたりと止めると、その影もぴたりと止まる。東京で習った地学の講義を思い出す。
……石の中身の密度差のせいでできた影か。畜生。平にするのに気を取られて、常に動かしながら見てたからな!
「てめぇら! 最初から知ってやがったな!」
「知らないなんて言ってないぜ、なあ、土御門」
「そうですねぇ。私もその硬度や透明度から水晶ではないかと推測いたしましたが。けれども水晶というものはこの世ならざるものを映すこともあるそうですよ」
水晶は光のあたりや内部の構造で光や影、つまりゆらぎを招くことがあるそうで、西洋ではその揺らぎを占いにも使うそうだ。二人して最初からわかってやがったな! くすくす笑う鷹一郎とゲラゲラ転がる冷然の姿が憎らしい。
「畜生! お前ら鬼か!」
「だが俺らの勝ちだ。さてどうしようかな。そうだ今週末付き合え、いいな」
「私はいざという時のためにとっておきましょう。何、そんなに酷いことはお願いいたしませんよ」
悪鬼どもめ!
そうして戦々恐々として迎えた週末。
俺は羞恥の極みにいた。
なぜこんな珍妙な格好をさせられているんだ。今、俺は大きな鯛の飾り物を身に纏っている。もっといえば、体長2メートルほどの大きな鯛の飾りの口部分から顔を出し、エラ部分から二本の足を出し、その背側に鯛の体を泳がせている。俺がフラフラ移動するのに鯛の尻尾がついて来る。
「なんで俺がこんな辱めを受けんとならんのだ」
「なぜって今日が蝶々踊りだからさ」
蝶々踊りとは天保10年の春、京都で流行った盛大な仮装祭りだ。見渡せば、蛸や虫をはじめ、さまざまな姿に模した人間が踊り狂っていた。
聞けば冷泉が掌握する神津新地の秋祭りとして、10月の末にこの蝶々踊りをやることにしたらしい。異人にも大ウケするそうだ。俺は冷泉のいうまま、たくさんの遊女や異人の前で鯛の格好で踊り、太鼓を打つ。誠に羞恥筆舌に尽くしがたい。
「こんなの他にもやる奴はいくらでもいるだろう」
「頼めばやってくれようがな、俺は一応公僕だ。贔屓したとみられりゃ面倒なんだよ。後腐れのないお前さんがちょうどいい」
「命の危険がなくてよかったじゃないですか、哲佐君」
「そんな問題じゃねえ!」
宵闇の中、賑やかな夜は更けていった。
Fin
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