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本雑綱目 32 鶴岡真弓 ケルト美術への招待

 これは乱数メーカーを用いて手元にある約4000冊の本から1冊を選んで読んでみる、ついでに小説に使えるかとか考えてみようという雑な企画です。

今回は鶴岡真弓著『ケルト美術への招待』です。
ちくま新書の978-4480056368。
NDC分類では芸術、美術>芸術史. 美術史に分類しています。

1.読前印象
 ドルイドの習俗、それからキリスト教の布教と同化、バイキングなどについては多少知ってはいるものの、美術という観点からはあまり考えたことがない。ギリシャ人の描くケルトは恐ろしく強い蛮人で、そして独自の文化を持っている。
 なんとなく深い森に白い家というイメージがあるものの、丸い円環のついた十字架を始め、キリスト教の流入後のイメージなのかもしれない。そういった文化の流入によるある意味ヘレニズム的な美術だったりするのかしらん。
 はりきって開いてみよう~。

2.目次と前書きチェック
 まえがきでは、ギリシア人はケルト人を『みさかいのない酒のみ』『気違いじみた無謀の族』と表することでケルトの文化を否定しようとしていたという。このように言語文化的なものでケルトを理解しようとするなら文字を有さない彼らを上手く評することは困難だが、一方でケルト美術によって語りかけられる文化というものを感じてみようではないか、という趣旨か。
 序章『ミクロの中のマクロな世界』、1部「大陸のケルト」美術として1章『ハルシュタット美術』、2章『ラ・テーヌ美術』、3章『ガリア美術の見方』、2部「島のケルト」美術として4章『ケルト修道院文化』、5章『装飾写本芸術の輝き』、6章『ケルティック・リヴァイヴァル』とある。
 ケルトは日本では一般的にアイルランド近辺のイメージで、確かにその諸島部に多くの移籍があるものの、フランス、スペイン、ドイツ、オーストリアと欧州全域にわたって広く遺跡を残してるんだよね。
 各章が長いのでページ数的に難しい。3章『ガリア美術の見方』、4章『ケルト修道院文化』を読んでみることにしよう。

3.中身
『ガリア美術の見方』について。
 ガリアとはアルプス以北のケルト人の総称で、筆者はケルトの文化はローマの蛮人討伐によって支配ではなく南北の異なる文化圏の対立及びその混合によって形成されたと述べる。これはまるっと同意。そしてこの混交によってケルトの神々は人の形を取り、ギリシャの神々と混同していったと述べる。
 一方でギリシャの神像の理知の力で不明を廃し神の姿を完全な人間の形態で表す不変の概念と、ケルト神像の理解の及ばない力を表する不完全な造形によって表す変化の概念という文化の違いが、神々を混交しつつも完全な同化をもたらさない原因となっているそうだ。
 これについてもローマもギリシャ神話の影響を受けて多神教となっているし、ケルトの神々は多神である点で類似し相当する神があるから混交はある程度自然に行われたのかもしれない。日本でも本地垂迹の形で仏教と混交したから、信教においてはよく見られる現象だ。往々にしてもとの宗教の消滅をもたらすこともあるこの混合は、何によって度合いが変わるんだろう。なんとなく混ぜよう(消滅させよう)とする人の意思の強さによる気がする。
 そのほか、女神についての解説があった。
『ケルト修道院文化』について。
 テーマが修道院文化なので、主な内容はケルト十字架と本の装飾(次の章まで読んだ)における狂気的に精緻なパターン文様があげられる。このような抽象は基本的にキリスト教及びそのベースとなったギリシャ・ローマ文化とは異なるこの地の巨石文化文化を基礎とし、特にケルトの石の十字架の立ち並ぶ姿は都市の特徴的な景観となっている。この巨石は太陽の光から季節の移り変わりを促し、古代人の死生観や円環の文化を色濃く残しているそうだ。
 この本は全体的に、美術そのものというよりはその美術がどのように作られたかという文化背景について、つまり文化がどのように混ざっていき、混ざらなかったかという広い歴史、民族、宗教について解説し、それをもとにケルト美術がどのような思想で作成されたかを読み解く本。そしてまえがきにある言語外文化を言語化しようという試みなので、美術の本と思って開いたら思ったより随分歴史寄りで戸惑った。小説に使えるかというと、ロングスパンな文化の移り変わりの話なので正直使えない木はする。

4.結び
 この間読んだ古美術建築で否定されていたけれど、美術というものは一定の文化背景を前提として人間にインプレッションを巻き起こすものだと思う。
 次回は陸軍省著『歩兵操典』です。
 ではまた明日! 多分!

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