“ただいま“とこれまで意志のなかった社会人がもがいていくお話

こんばちは。テラちゃんです。
ひさしぶりにNoteを書きます。

いろんなことが一通り落ち着いたので、これまでのことこれからを少しずつ投稿していきたいと思います。

彼が伝えたいことは2つだけ。
自分の中で軸を持つこと
しんどい時は無理をせずにしっかり休むこと
この2つだけ。この2つを伝えるべく彼は自分の体験をここ記すことにしました。
もし興味がある方は読んでみてください。

<目次>

1.無気力だった学生時代
2.自己啓発に目覚めた社会人1年目
3.これまでのツケが回ってきた転職活動
4.これから


1.無気力・自分の意志を持たなかった学生時代

大学4回生になってすぐの頃。彼はこの時無気力だった。
なぜ無気力だったのか。いろんな原因がある中で最も大きい理由は当時付き合っていた彼女と別れたからだろう。
いや、そんなことはないか。確かにそれもあるが、一番の原因はきっと自分の甘さだった。
ただただやりたいこともなく、ただ周りに合わせて就活を始めた。
大学時代は親に死ぬほど迷惑をかけたので、流石に就活の時くらいはサラッと親にドヤ顔できるくらいになっておきたいと思っていた。
親をとにかく安心させたかったから、周囲より少し先に就活を始めた。ただなんとなく進めていた。
もちろんやりたいことなど何もなかった。これまでの人生の中で胸を張って頑張ったと言えることが何もなかった。
親の言いなりになって、ただきちんとレールに従って、親の機嫌を常に伺うような人間だった。
とにかく、本当に意志のない人間だった。
そんな状態で就活もうまくいくはずがなかった。そして、たまたまなんとなく上手く行った会社に入り、なんとなく入社することを決意した。

入社する前の内定者研修で初めて全国転勤があることを知った。そのくらい適当にやっていた。
元々大阪で働く予定だった彼は驚いた。彼が働く場所は福岡だった。
この時に初めて一人暮らしを経験することになる。

2.自己啓発に目覚めた社会人1年目

福岡で働いていた時は体力的にも精神的にも非常に辛かった。
交代勤務アリ。昼勤は朝3時に起きて8時に寝る生活。夜勤は昼の12時に起きて、夜中の5時に寝る生活。それを1週間ずつ交互に繰り返す生活をしていた。
福岡にいた時10人同期がいたが、半年の間で半分以上がやめた。その中には鬱になってやめたやつもいたらしい。
それくらい過酷だった。ただ、彼は折れなかった。自己啓発本や自己啓発動画を片っ端からみてなんとか自分の気持ちを保ち続けた。
こんなところで折れては負けだと思い、なんとか自分の奮い立たせ半年間の現場研修の期間を乗り切った。

福岡から宮城に移り、そこで初めて会社の研修を受けた。コロナの影響をモロに受けたので、研修の期間が後になったのだ。
その研修で今の彼女と出会った。そこでは本格的な研修を受けた。

次に山形に飛ばされて、半導体のメーカーの工場で働くことになった。それと同時に遠距離恋愛も始まった。
全くの未経験だったが、わからないところは自分で勉強してまずは知識を身につけることから始めた。
この時、彼はちょうど社会人2年目だった。そのタイミングで来年は転職をしようと心に決めていた。

理由はいくつかある。1つはこのまま工場で働くことに対して、危機感を抱いていたから。もう1つは彼女と一緒になることを決めたから。
彼は工場で働くことに嫌気がさしていた。誰かがミスをすれば、そいつを徹底的に攻撃するし、揚げ足をとる。常に上司の機嫌が悪く、顔色を伺いながら部下が仕事をする。彼はもっとコミュニケーションを取りたいと感じていたし、その常にピリピリした空気に耐えられなかった。それと、ここで働いても何かスキルが身につくかどうか不安だった。彼の上司で非常に仕事ができる方がいた。その方が言っていた言葉が非常に今も胸に残っている。
「ここの仕事は、かなりきつい。興味を持てないとやりたいとは思わない。僕はたまたま大学で専攻していたから少しばかり興味を感じるが、もし専攻してなくて、勝手にこんなところに飛ばされたら、僕はすぐにやめる。それに働く環境は非常に大切。どこで働くかも大切だが、誰と働くかがより大切だ。今の環境は非常にまずいと思う。」
その言葉を聞いた時、彼は非常にモヤモヤした。この時、別の危機感を感じた。

3.これまでのツケが回ってきた転職活動

そして、ここの職場で一年働いた時に彼はついに転職を決意した。しかし、転職は全く上手くいかなかった。
ある程度的を絞り、業務の棚卸をするが自分にできることがあまりにも少なすぎる。すぐさま転職エージェントに相談した。
そこで話を聞いてもらい、どんな方針で転職を進めていくかを話し合って決めた。全くその通りには進まなかった。
転職を舐めていた。それに就職活動を適当にやったやつがいきなりこんなことをやって見たいですなんて、いくらなんでも無理がある。彼はそう思った。
ここに行きたいと思っていた企業にも全くいけなかった。
そのタイミングで会社での人事移動と業務委託解除があった。そのおかげで彼の仕事は100倍に増えた。どう頑張っても業務が終わらない。
なんとか改善を試み、上司にも相談したが今は我慢してくれ、その一点張りだった。
仕事に殺されそうになるくらい忙しくなり、そして転職も上手くいかなかったおかげで彼はなんと躁鬱状態になってしまった。
夜も全く眠れない。食欲もなくなり、笑顔が完全に消えた。何も悲しいことがないのに、涙が止まらなかった。
そして、彼は前の職場を離れた。
その間に少し休止していた転職活動を始めた。もちろん、あまり上手くはいかなかった。
彼が地の底を這いつくばっていた時、彼女が助けてくれた。彼女には今でも本当に感謝している。
おそらく、彼女がいなければ本当にどうなっていたかわからない。
そんな中、たまたま上手く進んだところに内定をいただき、そこで今は勤務することになった。
悩んでいる時の判断は非常に危険だと言うが、確かにその通りかもしれない。たまにふとした時に、この決断でよかったのかと思うこともある。
今よりももっとよかった職場があるのではないか。まだここに決めるのはもっとゆっくりしてからでもよかったのではないか。
そんなことが頭に過ぎる時がある。今はこの決断でよかったと思う。そう思わざるを得ないと言っても過言ではない。

4.これから

これからどうなるのか全くわからない。転職活動を終えた彼は5年先までの人生計画を立ててみた。
順調にいけば、彼は30歳では福岡にいる予定だ。その理由は一緒に彼女の地元で過ごすことを選んだから。
そこをまずはゴールにおいて、そこから逆算してこの時までにどんな生活をしたいか、どのくらいお金を稼いでおきたいかを明確にする必要がある。
まずは来年の段階ではこのくらいで、再来年はこのくらいで、このタイミングでプロポーズをしてと計画表を埋めていく。
すると思った以上に時間がないことに気がついた。計画は少々変更することもあるが、ゴールさえぶれなければ問題ない。
今はそこに向かって前進している。

ここまでいろんなことを書いてきたが、非常に大切なことはたった2つだけ。
自分の中で軸を持つこと、それとしんどい時はしっかり休むこと。ただこの2つだけだ。

自分の軸を持つことは非常に大切である。人生は選択の連続である。その選択をしていく中で、自分の軸があればそれが正解となる。
もしなければ、永遠に路頭に迷うだろう。そしてあの時、こうしておけばよかったと非常に後悔するだろう。
これまでの自分が全くそうだった。全く意志の持たない人間だったから非常に苦労した。
ただ、この経験があったからこそ、この重要性に気づくことができた。そんな自分も人生においてあってよかったと思う。
そんな自分も嫌いじゃない。今、そんな自分を受け入れられるほどの器になったから。

しんどくなったら休むこと。これも非常に重要である。
健康第一と言う言葉があるように、体の健康は一番大切である。健康で過ごすことがいかに大切かをわかってない人がこの世には多すぎる。
多少の無理は致し方ない時もあるが、基本的には十分な睡眠と食事を徹底して欲しい。
鬱になって気づいたことが、まさにこれだった。いかに健康が大切なのか気付かされた。
しんどい、辛いと感じたら、そこで一旦休憩すること。無理に頑張っても全く持って良い判断ができなくなる。
基本的に精神的に辛い時にした判断は、大概の結果は悪い判断となることが多い。だからこそ、自分を一度休憩させる時間を作った方がいい。
そして、人に頼ろう。彼は鬱になった時、家族と彼女に頼った。何時間も話を聞いてもらった。寄り添ってもらった。
そんな人を一人でも作っておいた方がいい。一人でいくら考えても何も答えが出ないことがある。無駄なことを余計に考えてしまいうまくいかなくなる。
しんどい時に支えてくれた人にはとても感謝している。この恩は人生をかけて返していきたい。

人生は本当に何があるかわからない。まさか自分が鬱になるなんて思ってもいなかったし、挫折するとは思ってもなかった。
うまく行かない時ほど考えすぎる傾向にある。しんどい時、うまく行かない時にどう乗り越えていくのかが非常に大切である。
この記事を読んで少しでも救われる人がいたら嬉しい。
一緒に頑張ろう。 








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