秋の横浜【書きたくなる場所 10】
秋という季節が苦手だ。
持病の寒冷蕁麻疹が出やすくなることも理由の一つだが、幼少期からどうも秋の寂しさが苦手だ。
「人肌恋しい季節」とも言うように、秋には独特の寂しさがあり、その寂しさを感じたくない人間の心理が顕在化するのかもしれない。
父とサシ呑み。
3年前、初めて父と「サシ呑み」をした。
地元から遠く離れた中華街で父と紹興酒を飲み、山下公園を散歩しているという状況はなんとも不思議な感じがしたが、あまり来ない「ヨコハマ」を印象づけるには丁度良かった。
特に話すこともなく、ただのんびり飲んだ日だったけれど、立ち止まって自分のこれまでをプレイバックするとても大切な時間だった。
高校卒業、上京、大学入学、成人。時の流れの早さを感じて切なくなったのを覚えている。
当時、海外への短期留学を考えていた私に「ほんとに行くの?」と言いそうなところを、「まあ、折角だしね。楽しんでおいで。」と言っていた父の言葉もセットで思い出される。
もう全て自分で決めるんだ、そう思った。
あの時のお返し。
久しぶりに横浜に来て、客船ターミナルから父と来た山下公園を見ていた。結婚式の前撮りをしている夫婦を横目に屋上広場へゆっくりと登っていく。あの日ほど風は冷たくなく、むしろスッとした風が気持ちいい。
この日初めて秋を心地いいと感じた。
秋は、苦味に旨みを感じるような、大人の味わいがある季節なのかもしれない。
先日、父が誕生日を迎えた。
もうすぐ還暦かーと思うと、なんだかちゃんとプレゼントを贈りたい気持ちになって、アウトドア用のランタンと手紙を贈った。
歳を取った父を想像したが、あえて「いつか」のことを考えず、なるべく明るく、今を楽しんで欲しいという想いを込めて手紙を書いた。
親子だから、お世話になったからいつかその恩を返さなきゃいけない。
10代の頃はそんな風に思っていたが、最近「そんな気持ちになる」ことが分かった。
ここ数年、父への手紙の結びは決まって、
今年の年末はあの日の横浜のお返しをしに帰ろう。
父と歩いたイチョウ並木に秋を感じながら、ぼんやりと思った。
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