サムライ 第12話

【前回の話】
第11話https://note.com/teepei/n/ne32789903437

 森井と山辺がとうとう出社しなくなった。最初は連絡があったものの、三日目からは無断欠勤だった。二人から休むとの連絡があったと聞いた初日、徳本さんは悲しいような悔しいような、複雑な表情をしていた。その時は何も言わなかったが、ふと上長と二人になった時に、ごめんな、と言っていたのが聞こえた。俺には聞こえないと思っているようだから聞こえないふりをしていたけれど、
「徳本さんのせいじゃないよ」
 と上長が答え、俺も、もっともだと思っていた。そもそも二人を除いた信頼関係が築かれていたものだから、二人がいなくなったことはそれほど大きな違和感を残さなかった。でもどこか、その事実は悲しかった。
二人の話題が出るたびに、徳本さんは複雑な表情を覗かせた。そして何も言わず、何を思っているのかもいまいち分からない。そんな中、俺がいつも抱える彼女への気持ちを気遣ってなのか、どうだい、そっちの方は、と話を聞いてくれようとする。無力感に溺れそうなことを話し、向かう先の分からない気持ちを話し、その気持ちを潰す時の暴力的な苦しみを話した。その全てを、うん、うん、と、それだけなのに、深い労わりを感じさせる相槌で、丁寧に聞いてくれるのだった。
そしてある日、俺は失恋した。

連日穏やかに晴れ渡り、その日も過ごしやすい一日だった。帰り道を行く頃には日が傾き、それでも空が澄み渡っていたせいか、昼間の名残のように明るい。その中をいつも通り歩き、ふと背後に気配が迫るのを感じ取る。
「お疲れ様です、なんか久々ですね」
 そういえばここ一週間ほど彼女の姿は見かけなかったな、と本当は探したくてどうしよもなかった気持ちに見ないふりをして、
「そうですね」
 と答える。
「どこかに行ってたんですか」
「ええ。実は今度再婚することになって、その準備で度々お休み頂いてて」
 そうですか、と答え、俺は何か言わなければと思いながら、何故かその言葉が出てこない。
「えっと、おめでとうございます」
 まったくこんなセリフも出てこないなんて。
「ありがとうございます」
 彼女はそう答え、新居を探しいていたこと、それぞれの両親に挨拶に行ったこと、子供と新しい父親の関係性が気がかりであることなどを話した。もちろん新しい父親、つまり彼女の新しい伴侶のことも話してくれていたのだが、不思議なことに今でも思い出せない。心を空っぽにしようと努めて、あとはそこに彼女の声が響いていただけだった。いつも通りの相槌、理解を示す応答。機械的にならないよう気を付け、俺は最後まで良い聞き役に徹することが出来たはずだ。
「それで私、今月でここを辞めて引っ越すことになって」
 新居は新しい伴侶の仕事先に寄せていた。ここからは遠く、引っ越しは当然の決断だろうな、と思う。
「そうですか。でも、本当におめでとうございます」
「ありがとうございます」
 彼女がそう答え、行く先にはバス停が見え始める。すこし沈黙が続き、それからこう続けた。
「色々話を聞いてもらって、ありがとうございました」
 初めて帰り道で話した時、最後に謝ったあの姿を思い出す。今は感謝の言葉に代わり、それでも彼女は遠慮がちにそう言うのだった。だけど今の彼女には、きちんと手を差し伸べてくれる存在がいる。もう大丈夫なんだ。
いやいや、話を聞いていただけですから、と何となく照れ笑いをしながら、そこでとうとう言葉が止まる。バス停まであと少しだったのに。期せずして生まれてしまった無言の間を悔やみ、最後の数歩を呪った。
「それじゃあ、私はここで」
 そんな無言など意に介せず、彼女はあの笑顔で言った。
「本当にありがとうございました」
 振り切るのもこれで最後だ。もうここで苦しむ必要もない。無理やり清々しい気持を作り出し、
「いやいや、本当に話を聞いていただけなんで。それじゃあ」
 と、それこそ清々しく振る舞いながら、その場を去った。あとはただ、空白なだけだった。
(続く)

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