友達幻想を読み終えた18歳の感想
ぼーっと物思いにふけっていると誰が親友でだれが友達なのかわからなくなってしまいに孤独感が襲ってくる。
その場の息継ぎ程度の関係に疑問を抱き、勝手に選別されていく学生序列にも嫌気がさしていた。
俗にいう青春コメディーみたいな友情関係はどこだろうと探し続けた18年間。
そんな理想を崩壊させた言葉がある。
「自分以外の全員は他者である」
当たり前の言葉でありながら信じ難い真実でもあった。
たまになんで人の気持ちをわかってあげられないのかと頭を抱えることがある。
友達なら分かってあげられるはずなのにと。
タイトル通りの友達幻想を抱いていたうちの一人だったというわけだ。
よくよく考えれば普通のことだった。
自分の意志を介在させて相手のことをやっと考えるわけだから完璧に理解することなどこんな方法では到底無理なのだ。
英語をひたすら日本語訳し英語をわかったつもりでいるぐらい馬鹿なことだ。
ただ一つ英語を理解することができる方法は英語を通して英語を理解すること、これは人間にも適用できると思う。
相手目線で考えることにより相手への理解度も高まるはずだ。
それでもわかってあげられないのなら最終必殺技「所詮他人なんだから」を発動したらいい。
相手の顔面にエゴというデッドボールを御見送りするよりは百億パーセントましだ。
また本書ではグループ内での同調圧力についても多く語られていた。
日本には古くからムラ体制が根付いているらしい。
百年前はそれでよかったのだが今やネットが飛び交う現代社会。
通用するはずがないのに僕らはムラを作り、ほかの村と競い合おうとする。
相手側の豊作ぶりを覗いては幻滅する。
また自分のムラ内での居場所が消滅しないように自分のキャラクターを設定したりする。
そうしているうちに自分という存在を見失っている。
ありのままの自分とありのままでいてくれる友達、それだけで十分なのに。
名前しか知らない人の楽しそうなデジタルメモリーは先端が輝く凶器と化す。
おびただしい量のつながりにより無数の刺し傷を負った僕らはいったい何を求めるのか。
友達を作ることは誰にでもできるが大切にすることは実は一番難しい。
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