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見えない幸せ

お風呂に入る。

ゆっくり湯船につかる。

辺りを見回してもぼんやりと湯気が立っているだけだ。

日常の中で僕は見えなくなる瞬間がある。

それはお風呂に入るときと、

朝、眼鏡をどこに置いたか忘れて歩き回るとき。

けれど昨日、
目を凝らしてお風呂の壁を見てみると少しカビが生えているのを発見した。

何となく嫌な気持ちになって壁から離れた形でお風呂につかることになってしまった。

こんな風に世の中には見えない幸せがあると思う。

幽霊なんて見えるようになってしまった暁には世界は大混乱するだろうし、

人の本性が見えてしまえば人間不信になるだろう。

けれど世の中は進歩を遂げ、

眼鏡やコンタクトのように見えるようにするツールが生まれた。

そうして時代はもっと進化して、

物質的に見えないものも見せられるインターネットというものを生み出した。

見えなかったあれこれが途端に見えるようになる。

飲食店での悪ふざけや友達の日常、

何を食べた、何をした、誰といて、どこにいて、

何もかも見える。

見える喜び?

最初は友達と時間や場所を気にせず話せる楽しさ、

世界の現状が数秒で分かってしまう技術の進歩に感謝したが、

今は少し違う。

見えるはだんだん鬱陶しいに変わり、

見られるのもうんざりしてきた。

見る、見える、見栄を張る人間。

知らなければよかったのに。

見えなかったらどうってことなかったのに。

そんな風に思うことが多くなり出した頃、

僕はテレビをだらだらと見るのをやめた。

僕は数百人ほどと繋がっていたインスタをやめた。

今はもう見えなくなった友達の日常も別にどうとも思わない。

本当に仲のいい友達とは遊んだ時に思いっきり話せばいい。

本当に重要なニュースは世間話で耳に入るだろう。

知ることが美徳のようなこの世の中。

けれど知ってて何になるんだ。

有名人の死、不倫、どこか知らない町で起きた殺人事件。

僕にはどれも見えなくていいものだった。

現実逃避でも無知でも何でもない。

ただただ自分の人生を唯意義に過ごすため目をつむる瞬間も必要なだけ。

ほら目をつぶってごらん。

見えなかった幸せが見えるようになるよ。





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