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夜と霧を読んで

絶望に打ちひしがれて暗闇が永遠と続くような、

不気味な霧が自分を包み込み命を吸い取っていくような、

そんな悪夢のような日々を強制収容所で体験した医師フランクルによる精神的観点から考察本。

この本では普遍的な愛や人間のエゴ、生きる意味を彼なりに解釈している。

今回は大事なことを忘れないためにもここに書き記していこうと思う。


正義と不義について

まず驚いたのが*親衛隊の中にも比較的温厚な者、情があるものがいたことだ。

親衛隊 (Schutzstaffel の訳語)
ナチス‐ドイツの特殊部隊。略称はエス‐エス(SS)。一九二五年に本格的に組織され、元来はヒトラーを護衛する組織であったが、一九二九年以後ヒトラーの指揮下に警察権を掌握し、占領地行政・強制収容所運営などを行なった。

コトバンク

歴史の授業を聞く限り、

ナチス=絶対悪、被収容者=被害者、という概念がこべりついていた。

しかし実際は親衛隊にもごくたまにだが被収容者に優しく接する者もいたし、

被収容者の中には同じ苦しみを分かつ者に手を出したりする愚か者もいた。

これらのストーリーから人間は非常に複雑な有機体であり、

善悪の二元論では説明のつかないものだと感じた。

また僕たちの現代社会にも少し当てはまるのではないかと思った。

例えば日本と韓国はずっといがみ合ってきているけれど、

やはり善悪を組織的に判断するのは面白くないと思う。

お互いがお互いを人として、一個人として見れるような寛大さを持ち合わせれたならば、

この関係も少しは改善するのではないかと考えたりした。


愛について

次に愛は自己完結的であるということ。

極限状態でフランクルが感じた妻への愛は制限されることなく無限に広がり、彼に生きる活力を与えた。

たとえ隣に居なくても、もしくは極論、彼女がどこか遠くで亡くなってようが、

彼が妻を思うこの愛は絶対的に変わらないものであり、

誰もが奪うことのできない事実として彼の心に留まり続ける。

愛するという行動自体は肉体的な物質を介さない、

完全に精神的な行動なのだと知った。

本当の愛の境地に達したものはこのように悟るのだろう。

僕はまだ感じたことないけれど。


人生について

最後にフランクルが主張する生きる意味を紹介しようと思う。

あの地獄を生き延びたのはきっと決定的な理由があるからだ。

誰もがそうやって幻想を抱く。

人は人生に、与えられた生に期待し、縋りつく。

しかしフランクルは言った。

人が人生に何を与えられるのか。

いかに人生がもたらす試練に、義務に答えられるか(堪えられるか)ということが生きることだと。

一度限りの人生でまたとない今この瞬間に、

目の当たりにしている現実こそが、

生きる意味そのものであり、

それを引き受けていくその生命活動が生きることだと。


終わりに

人生は楽しいことばかりではない。

恵まれたこの世界にもふとした絶望は転がっているものだ。

そのような最悪に出会ったとき、

彼の言葉を思い出してほしい。

人は人生を生きているのではない、生かされているのだ。

しかし人間には最大の自由が与えられている。

それは置かれた状況下で何ができるかということ。

常に今を問い続けながら、

必死に人生を全うしようと思う。


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