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「動」

外国の地で子育てをしながら30代40代を駆け抜け、思えば頑固なこだわりと自信のなさが同居した、人生でなかなかのこじらせの季節を歩んできた。自分の葛藤の正体を追いかけて辿り着いたのは、全人類ほぼほぼ共通のテーマであろう親の影響が自分のコンフォートゾーンを形作っていたこと。そして、もっと追求すると家系に脈々と流れるものや時代背景を理解することからの赦しや癒しが自分を解放するための鍵であるということまではわかっていた。

80歳にして、ある大きな美術展の書道部門で何百というエントリーの中からたった一人の大賞を受賞した母にお祝いの電話をかけた。芸術の向上を推奨するそれは名誉ある賞で、母の作品は県立美術館に展示されるという。立派に額装された大きな作品の横に、はにかんだような表情の母が小さな体の背筋を精一杯伸ばして立つ写真を姉が送ってくれた。

芸術家はごく身近にいたということに信じられないようだけど、いまさら気づいた。

母こそが自由に自分を謳歌して生きる芸術家だったと認めると、「私は母のように生きたかったのだ」ということが理解でき、まるで世界が反転したかのような衝撃に呆然とした。

努力を惜しまず現実的でストイック、自分に厳しく結果を出し社会的成功を収めてきた山羊座の母。身近なようでいつも壁を隔てた向こう側に感じる母という存在だったが、後ろを振り返ると壁などなく平野が広がっていて、ちょっと迂回すれば実は容易く母の側に行くことができたのだ。そして私はずっと母を追いかけていたのだということにはじめて気がつき呆然とし、心から安堵した。

母との電話を切り灰色の窓の外を見ると、木々は風にごうごうと揺れ、水の輪が踊り、窓には打ち付ける雨の光の粒。暴風雨の饗宴の中、鳥達は飛び交い自然界が自由に生き生きと躍動している光景が広がっていた。

この世界、森羅万象で変わらないものは何一つない。植物は螺旋を描きながら天に向かって伸び、どんな巨石ですら長い年月を経て変動し、地中では輝く宝石が途方もない時間をかけてその姿を紫や黄金色や緑や透明にピカピカと発光させながら成長していく。全てのものは変化し刻一刻と時間と共に動いている。「動」こそが生きているということだ。

私は感動してこの人生を生きたい。心を躍動感で震わせて生きたいのだ。長い道のりだったけれど、ようやく自分の中の本当の灯火が見つかりつつある。

今日から文章を書いてみよう。

母と話したことで決意した。
残りの人生があとどのくらいあるのか分からないけれど、「言葉を使ってほんの一瞬を切り取り相手の人生の役に立てる、ということが私の生きてる意味で、自分の幸せや喜びである。」ということをもう認めようと思った。

形にならない光景を表現していこう、
心を言葉に乗せて動かそう、
そんなふうに生きて行こうと決めたのだ。



雨上がりの庭の花のブーケ










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