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長岡の道は赤茶色らしい


結論: 長岡だけではなく小千谷の道も赤茶色だった。

長岡の道は赤茶色である。

新潟もの知り地理ブック

新潟名物柿の種、新潟5大ラーメン、錦鯉など、新潟にまつわるネタが詰まっている一冊。この本に出会った噂の一つが、「長岡の道は赤茶色。」

実際に長岡駅へ降り、駅の周りを散策すると、赤茶色でした。隣の小千谷市も小千谷駅前から錦鯉の里へ向かうとき、道が赤茶色でした。本に書かれていた噂は本当でした。

小千谷市で見た錦鯉のお話は、こちらをお読みください。

なぜ、中越地方の道は赤茶色なのか?

結論:雪を溶かすために撒かれた地下水の成分が影響している。

道を見ると、車道の真ん中に、丸いボタンのようなものが見られます。歩道の脇には、長いパイプも見られます。それらは、消雪パイプと言われています。

車道側の消雪パイプ
歩道脇の消雪パイプ



長岡地域は内陸にあり、日本有数の豪雪地帯。長岡市でも例年、最大70cmもの積雪があります。越後山脈沿いなど山麓側では、特に雪が積もります。長野県との県境付近が特に積もります。

長岡地域で雪がよく降る理由

日本海側は、シベリア、中国大陸から吹く冷えて乾いた北東の季節風が日本海を通るとき、日本海から蒸気を取り込み、湿り気をもった季節風へ変化します。日本列島に入り、山脈に近くなるほど、蒸気が冷やされて、雪が降ります。特に山間部では、雪がどんどん積もり、除雪車などを利用して雪かきをしても、すぐ積もってしまいます。

消雪パイプ誕生の歴史

長岡の人々は、どうしたら雪かきの手間を省けるか?2人の男性が別の場所で同じ発見をし、同じ雪かきシステムを開発しました。

1人目:土田富太郎(発明当時、日本通運長岡支店課長)

1957年、日本通運長岡支店の課長だった土田さんは、工場内の雪を溶かす方法はないか?考えていました。運転中に信越本線のガードを通過したとき、コンクリートの割れ目から地下水が流れ出て、その部分だけ雪が融けていることを発見しました。地下水は季節問わず温度が一定に保たれています。これは、地下では、太陽や風の影響を受けにくいためです。地下水を組み上げて融雪に活用しようと消雪パイプを開発しました。1957年秋、自社構内で試運転し、12月には整備工場出入口の融雪に成功しました。

2人目:今井与三郎(浪花屋製菓株式会社創業者)

浪花屋は、柿の種の発祥で有名です。浪花屋は長岡市で創業し、煎餅工場も長岡市にあります。創業者の今井さんも、同時期に土田さんと同じように、「工場内の雪を自然に溶かす方法はないか?」と考えていました。今井さんも、地下道で地下水に当たっている部分だけ雪が融けていることを発見し、消雪パイプを考えました。

長岡市では1961年、市道に消雪パイプを備え、1963年の豪雪によって効果を確かめました。その後、全国の豪雪地帯へ普及しました。

消雪パイプの欠点

地下水をとりすぎて地盤沈下が起こること。

消雪パイプは地下水を利用しており、地下水をとりすぎると、砂より細かい粒でできた粘土層が縮むことにより、地盤が沈下します。地下水の使用量を抑えるため、センサーを取り付けて降雪時のみ作動するタイプを開発したり、融かした雪水を消雪パイプに活用しました。

開発当初は歩行者に優しくなかった

車道の雪は融かすことができても、歩道の雪が融けないという課題がありました。そこで、車道の分離帯→歩道側に散水するタイプから、歩道側→車道中央へ散水するタイプに切り替えました。

歩道の雪を無くすことはできました。しかし、歩行者に水がかかってしまうという課題が見えました。そこで、従来の噴水式(水を勢いよく噴き上げさせるシステム)から湧出式(勢いを抑えて徐々に水を出すシステム)に変更しました。現在も、改善が進んでいます。

新潟市繁華街の道は灰色または黒色

新潟市では、暖流が北上する日本海沿いの平野部に位置しており、内陸より温暖であること、季節風が一度佐渡島にぶつかって、雨雪をある程度降ってしまってからやってくる、、積雪量は少ないです。10cm以上積もっている期間が4日程度と少なく、積雪量も多くても25cm程度。積雪が少ないため、繁華街には融雪パイプが見られません。舗装されている道路も、アスファルト特有の黒や灰色がほとんどです。

一冊の本との出会いから、新潟県の道の色に注目しました。投稿時は雪の降り始める12月。1月に入ってから本格的な雪のシーズンに入ります。道路ばかり気にせず、屋根から落ちてくる雪にも警戒しなければなりません。

参考文献

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