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短編小説「お買い物」

(画像のチキンラーメンモノレールはかわいいだけで何も関係ありません。そして勿論ですがこの物語は全てフィクションです。実在の人物、団体、事象とは一切関係ございません)

「私ね、女の買い物に対する価値観って、自分の母親とは真逆になるんじゃないかなって考えてるんですよ」
 午後九時。この時間の人間は複雑な思考を嫌うので、何でも面白く聞こえるのだ。海外の有名政治家も人心掌握に使用した方法である。
 母方の祖母はお洒落な人だった。たまに私や母を誘い出して、買い物に連れて行ってくれた。その一方で、「あなたにこれは似合わない」と、頼んでもいないダメ出しをされることもあった。
 祖母に一番うんざりしていたのは母だった。祖母への反動のように、母は買い物を嫌った。どんなものを選んで良いか分からないそうだ。一緒に暮らしていた男が贅沢好みなのもあっただろう。
 そんな家で育った私は、好きなものを買うことに憧れながらも、「私なんかがこんなものを持ってはいけない」「自分のためにものを買うのは悪いことだ」と思うようになった。
 昨年の冬のことだ。仕事を引退したばかりの母が、誕生日プレゼントにテニスラケットが欲しいと言ったのだ。テニスのことなど何も知らなかった私は、インターネットで調べて一番安いラケットを買った。
 それが、母の逆鱗に触れた。こんな安いものなら何も要らなかった、あなたはもっと贅沢な暮らしをしているんでしょう、こんな子供みたいなもの欲しくない、嫌がらせも大概にしろ、と言ったのだ。
 私は現役の間、死にたい思いを抱えながら身を粉にして必死に働いて、お前に贅沢をさせた。それをお前は自分の努力不足ですべて無駄にしたんだ、と言って、母は子供のように、何時間も泣き続けた。
 冗談じゃない。確かによく相場を調べもせず、安物を送っていい気になっていた私が悪いのだろう。しかし、単なる嫌がらせのためにお金を使えるほど、私に経済的な余裕は無い。
 それ以降、私は自分のためにお金を使うことに対して、罪の意識を感じるようになってしまった。自分だけ贅沢してずるい、と、またわんわんと泣かれることを思えば、みすぼらしさには耐えられる。
 しかし、単純に「みすぼらしい」と見られるだけならまだしも、自分の生活が不便に感じたり、持っているものの機能がなくなったりすれば、話は別だ。流石に、新しいものが欲しくなる。
 という訳で、2足で2500円のパンプスを買いたいんですけど、どうか背中を押して下さい。つづく。

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