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「できる子認定」はキツイよ

先日20歳になった次男。
三兄弟の真ん中っ子の彼は、小さい時はいわゆる「手がかかる子」だった。

興味があることはとことんやるけれど、興味がないことには全く無反応。
科学図鑑は隅から隅まで覚えているけれど、漢字ドリルは絶対にやらない。

自分が楽しいことはみんなも楽しいと思い込み、友達が嫌なことに気がつかない。
なので、友達とのトラブルもしょっちゅう。

先生から電話がかかってきては、次男を連れてあちこちに菓子折り持って謝りに行く。もちろん本人は反省せず。そんな感じだった。

先生達から「難しい子」と言われることが多かった。

反省はしないけれど、上手くいかないと感じてはいたようだった。
そんな彼に「大丈夫。君はやればできる子なんだから、それをみんなが知らないだけだから、何も気にしなくていいよ」なんて言いながら、YDK(やれば・できる・子)と呼んだりしていた。当時流れていた塾のCMからもらった言葉だ。

幸い、小学校高学年で彼のありのままを理解してくれる先生方や地域の大人達に恵まれ、そのまんま伸び伸びと育ててもらった。

そんなこんなで色々ありながら20歳を迎えた次男に聞いてみた。

「やればできる子」と言われることは嫌ではなかったのかと。
そしたら、面白い答えが返ってきた。

「だって、俺は本当にやればできるって分かってたし、実際いつも自信もあったから、別に気にならなかったかな。宿題もやらなかったし、テストも悪かったけど、学校の授業も分からないとかできないって感じたことはなかったし」

「そっか」と返すと、続けてこう言った。

「俺は要するに”できない子認定”だったからいいけど、逆に”できる子認定”のヤツの方がキツイからな」

「ん??できる子認定の方がキツイの?」

「そりゃそうだよ。”できる子認定”のヤツは大変でも『できない』って言えないし、本当は嫌でも『嫌だ』って言えない。余計な期待もされるし、失敗したらがっかりされる。でも俺はそもそもが”できない子認定”だったから、なんのプレッシャーもなかったな。自分が欲しいものは頑張って手に入れてきたしな!」

と、最後はドヤられた。
実際、中高では勉強も部活も家族が尊敬するほど頑張っていた。
できる or できないに関係なく、その努力のお陰でいつでも自信の塊だ。

「できる子認定」はキツイ。そうなのかもしれない。

よく、子どもは「褒めて伸ばそう」という。
それ自体は悪くないと思うけれど、本人の実力以上の期待を込めて、ただただ褒めたり崇めたりすることは、逆に親の「こんな子になって欲しい」の期待の押し付けになる場合もあるのかもしれない。

ポジティブな言葉を伝えたいのが親心。
その「親心満載の言葉」を子どもがどう受けとって、どんなふうに意識に作用して、その先にどんな経験があるのかまで考えずに伝えるし、そこまで思いを馳せるってやっぱり難しいかなあ。

やれば・できる・子 YDK次男。
本当はいつも心の中で、
やってもやらなくても・だいじな・子 YDK と思っていた。

20歳になっても30歳になっても、きっとわが子は子どものまんまで、これからも親心を伝え続けてしまうのかもしれないな。