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負のバトンを渡さない

仕事していると、たまに、誰でも出来る仕事を、ぱっと回してくる人がいる。
売上に繋がりそうもない面倒くさい問い合わせ電話とか、本当に簡単な庶務とかをいかにもこちらが担当者かのような言い方で
「こんな問い合わせ来てるんですが、いいですか?」とか「これ、お願い出来ますか」とか言ってくる。

あ、負のバトンを私に回そうとしているな、と思う。
やりたくない仕事、誰でも出来るのに、それを渡してくるような感じ。
渡してくる本人も、きっと心のどこかでは分かっている。自分でも出来るような仕事だと。
でも、回そうと思えば他に回せる仕事。
私は担当じゃないから。なんか手間だから。そうして、負のバトンを回す。

私生活でも、ちょっとした日常でも、沢山こんな事がある。
電車で、老人や子ども、妊婦さんがいると分かっていて、席を譲らない。寝ているふりをする。
こどもの世話を、本当は自分がする番なのに、何々しないといけないから! と理由をつけて、パートナーに任せてしまう。
本当は、全部自分で分かっている。でも、やらない。負のバトンを誰かに回す。

そういう時、負の何かが、きっと自分の中にも澱む。本人も気づかぬ内に。
顔や心のどこかに、いつしかそれが現れてくる。誰かにそれが、じわじわと伝わっていく。
だから、負のバトンは、回さない。

一度で迂回したら、永遠に迂回しなければならない(沢木耕太郎さんの深夜特急からの引用)。

負のバトンのきっかけが起こった時、回すのは簡単なんだ。でも、極力自分で受ける。
それも、相手に、誰かに伝わる。この人は、バトンを渡さない。負のバトンを壊してる。誰もが大変だと思う負の巡回を断つ。
こどもや家族、友達、同僚、部下、誰でもない神様、みんなに、自分自身に、いつかそれは伝わる。

だから、極力負のバトンは渡さない。
部下に、こどもに、誇れる自分であるために。
いつかそれが、何となく伝わってくれたら嬉しい。そうやって生きていけば、気高く、死ぬ時に、後悔なく、笑える気がする。

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