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自分史コラム 「自分史」の巨人逝く

ある歴史家の軌跡

去る9月7日、一人の歴史家がこの世を去りました。
その人の名は「色川大吉」さん。享年96歳の大往生でした。

民衆史研究の先駆者として知られる歴史家で東京経済大名誉教授の色川大吉(いろかわ・だいきち)さんが7日、老衰のため死去した。96歳だった。告別式は故人の遺志で行わない。
(中略)
東京・多摩地域の自由民権運動をテーマに歴史を掘り起こし、『明治精神史』(1964年)にまとめて脚光を浴びた。この研究が、五日市町(現あきる野市)で作られた明治時代の私的な憲法草案「五日市憲法」の発見にもつながった。その後も、民衆の視点から見た思想史研究を続けた。
(引用:読売新聞)

なぜこのコラムでそのことに触れたのかというと、色川氏が「自分史」という言葉をこの世に送り出したその人だからです。
この言葉は、1975年に出版された氏の著作『ある昭和史〜自分史の試みとサブタイトルとして初めて登場しました。

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太平洋戦争末期、学徒動員で召集され、特攻隊の激烈な訓練中に終戦を迎えた氏の実体験と、戦後に沸き起こった民衆による個人史運動、天皇制をテーマに書かれたこの本は、戦争体験を自ら書き残したいというたくさんの人々に読まれ、一大自分史ブームを起こしました。

その後もこのブームは衰えることなく、今では自費出版を中心に年間数千冊の自分史が発刊されています。また国会図書館や地方自治体の図書館への蔵書登録も多数あるほか、愛知県や東京には、個人の自分史だけを集めた「自分史センター」ができるまで定着したのです。

その「自分史の元祖」である色川氏は、歴史家としての著作活動のほかに、東京経済大学の名誉教授も務められており、偶然にも一般社団法人 自分史活用推進協議会の河出岩夫理事の恩師でした。

河出理事は、明治19年創業で、自分史出版などを手掛ける老舗出版社 河出書房の社長でもあり、私を自分史活用アドバイザーに誘ってくれた恩人です。
河出社長は恩師である色川氏に提案し、絶版になっていた元祖が語る 自分史のすべてという書籍を2014年に復刻版として発刊されたのです。

なぜ色川氏は「自分史」という言葉を生むに至ったのか、本書をたぐってみたいと思います。


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廃墟を歩く若者の胸に宿った使命感

特攻隊の訓練中、ギリギリのところで終戦を迎えた色川青年の目の前に広がっていたのは、見渡す限り廃墟となった日本の姿でした。

焼け跡を歩く彼の胸には、大きな絶望感とともに「なぜ、こんなことになったのだろう。どうしてこの国の民衆は、こんなにみじめな状態をまねいてしまったのだろう」という深い疑念が湧いてきたのだそうです。

「自分だけでなく、アジアの無数の人民をまでみじめにしたこの戦争。
一部の指導者の扇動に附和、追随して、戦争行為に参加した数千万の民衆の本当の理由はなんなのか、という疑念をどうしても解き明かさねばならない、それを自分の使命のように思った」と氏は書いています。

その後長い紆余曲折を経て、昭和史を研究しなおす道に40代なかばで戻った氏は、その問いに改めて向き合い、自分自身が終戦を迎えるまでの20歳までの歩みを点検することに取り組みはじめます。これが氏の最初の「自分史」の試みとして『ある昭和史』の執筆へと繋がっていったのです。

なぜ「個人史」ではなく「自分史」だったのか

そのような深く長い歩みのなかで氏がなぜ「個人史」ではなく「自分史」という言葉を生みだしたのか。前述の『自分史のすべて』から改めて抜粋したいと思います。

巨(おお)きな歴史のなかに埋没しかかっていた個としての自分をはっきり、歴史の全面に押し出し、自分をひとつの軸にすえて同時代の歴史をも書いてみたかったからです。その一念が「自分」史という強い語感に託されました。

この言葉にあるとおり、戦争という狂気に疑問をもちながらも抗えずに参加した、数千万の日本の民の一人として、徹底的に個としての自分の軌跡を見直すという過程を、彼は自分史ということばに込めたのです。

自分史が引き継いでいくべき価値

ここで話を私のことに戻したいと思います。
私自身、どう生きるか、どうあるべきかを悶々と反芻しつづけていた若い時期があり、いろいろな人の人生観を、その人の自分史を通じて学んできました。その多くの学びによって、私はなんとか自分の生きる方向性を見つけることができたのです。
 
そしてその経験を伝えることで、私と同じように自らが生きることの意味や存在価値について迷っている人の役に立ちたいと思い、自分史をライフワークとして定め、自分史活用アドバイザーになったのが2016年でした。

そのとき色川氏はすでに91歳。
河出社長からお話をお伺いし、会いたい会いたいと思いつつも、いきなり押しかけるわけにもいかないと思ううち、ついに氏は鬼籍に入られてしまいました。
しかし彼が提唱した自分史は、彼が亡くなった今でも、こうして生き続けています。

いまのところ日本は、氏の若い頃のように世界的な争いのなかで命の危険を感じることはありません。
しかし気候変動をはじめコロナ禍、政治の腐敗、経済格差の激化や文化の劣化などの社会不安は加速しているし、戦争だって絶対に起きないなんていう保証はどこにもありません。
実際にアフガニスタンの政権転覆や、台湾と中国、北朝鮮と韓国の状況などをみるに、いつ日本がその争いのなかに巻き込まれるかもしれないのです。

そんな混沌とした世界のなかで、私たち民の一人ひとりがどう幸せに生きていくか、どういう意識で社会を生きていくかというヒントは「日本」や「世界」という大きな主語ではなく、一人ひとりが主体となった「個」としての自分史にこそあると私は固く信じています。

それは、まさにこの言葉を人生をかけて追究し、駆け抜けた色川氏からの学び。いうなれば氏は私の恩人であり、師でもあるのです。

色川先生、ありがとうございました。そしてお疲れさまでした。
微力ではありますが、これからも先生の思いと遺志を引き継いで、自分の人生を全うしながら、一人でも多くの人が自分らしく生きるお手伝いをしていきたいと思います。
そしていつか、私が冥土に行ったとき、いろいろなお話を聴かせてください。楽しみに待っています。


自分史活用アドバイザー柳澤史樹「自分史講座」
https://mfc.twodoors.link/

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