自分史コラム 【 無念を忘れない 】
1945年8月15日、敗戦記念日。
中学時代、好きだった塾の先生がいた。その彼が社会の授業のとき、鬼気迫る口調で「終戦記念日ではありません、敗戦記念日です」と語っていた。
どちらかいうと右よりの人だったと思うが、その先生の真剣な目つきとあわせ、そうだ、その認識は大事だと強烈に印象に残ったのを思い出す。
その敗戦を、天皇が伝える玉音放送を録音していた8月14日の深夜。
89機のB29が熊谷市内を襲い、市街地の74%に相当する35万8000坪、全戸数の40%に相当する3630戸が焼失。全人口の28%に相当する1万5390人が被災し266人が死亡、約3000人が負傷した。
その事実を、友人の映画監督関根光才さんが6年前に制作・公開して以来、私は8月15日に必ずこの動画をシェアすることに決めている。
8.14,2330 ー最後の空襲、熊谷ー
この熊谷以外にも、8月14日には大阪はじめ10箇所で爆撃があり、2300人もの人が亡くなったという。
アメリカ軍内でも「もはや終戦が決定した以上は無駄な殺戮は避けるべきだ」という意見と「華々しいフィナーレを飾るために爆撃は必要だ」という意見が拮抗したが、結果として中止命令は出なかったそうだ。
あと12時間早ければ失われなかった2,300人の命よ。
さらにいえば、書籍「日本軍兵士」では、日本の戦死者約310万の9割以上が、敗戦1年前の1944年以降に亡くなったと推測されている。
亡くなった方はもちろん、生き残ってこの事実を知った人の気持ちを、私は「無念」という言葉でしか表せない。
そして戦時中も安全なところで命令を下し、飢えにも苦しまなかった連中の一部が、命乞いをして生き残り、いまの日本を牛耳っている。
戦争は「始めたら終わり」とう性質をもつ事象だ。
日本やアフガンをはじめ負けた国々はともかく、勝ち続けたアメリカやイギリスはともに幸福なのかどうか。それは今を冷静に見れば結果は分かるはず。
だからこそこの無念を二度と繰り返させぬために、戦争は起こさせないことこそ、なにを置いても優先しなくてはならない。
「足音」はそこまで聞こえてきている。
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