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クッキング・ヒストリー🔥 【メインディッシュ🍗】

©️team_B.B

お待たせしました🙌
「クッキング・ヒストリー」企画の本編を公開いたします🎉
この企画では、B.B団員が各自の担当の「国×時代」の料理を調べ、レシピを入手し、実際に料理して味わうところまで行います。

この企画なんだろう、初めて見るな…⁇🤔
という方は、ぜひ「クッキング・ヒストリー【前菜🥗】」にざっと目を通していただけたら幸いです😌
※企画が持ち上がるまでの過程と、公開方法について詳しくまとめてあります

👇団員の担当の「国×時代」はこちら
【担当する国×時代】
🍽️可愛や🍎⇒イタリア🇮🇹×近世
🍽️ぬばたま🌙⇒アメリカ🇺🇸×現代
🍽️Slytherin🐍⇒日本🇯🇵×近代


レシピ(11月18日公開)

イタリア🇮🇹×近世(可愛や🍎)

▪️料理名「マンマの味、野菜たっぷりミネストラ」

■材料(4人分/一人暮らしの方は作り置きに是非!)
⭐️にんじん🥕・・1/2本
⭐️玉ねぎ🧅・・1玉
⭐️セロリ・・1/2本	

インゲン豆🫘(水煮)・・適量、お好みで
甘栗🌰・・適量、お好みで
じゃがいも🥔・・2個
キャベツ🥬・・1/4玉

🔶ローリエ🌿・・1枚
🔶セージ🌿・・4枚

オリーブオイル🫒
水🚰
パルミジャーノ🧀
塩🧂、胡椒

■作り方
1️⃣⭐️の野菜をみじん切りにし、フライパン🍳にオリーブオイル🫒をたっぷり敷いて弱火で30分ほど炒める。焦げないように混ぜ返す程度で、ペースト状になるまで炒める。
2️⃣じゃがいも🥔、キャベツ🥬を食べやすい大きさに切る。
3️⃣鍋🫕に1️⃣とじゃがいも🥔、🔶を加え、具材が全て浸るぐらいの水を入れて30分ほど煮る。
4️⃣キャベツ🥬、インゲン豆🫘、栗🌰を加えて更に30分ほど煮る。
5️⃣塩🧂、胡椒で味を整え、皿に盛り付ける。
6️⃣お好みでパルミジャーノ🧀とオリーブオイル🫒をかけて、完成!

歴史的背景:
 「イタリア🇮🇹✖️近世」、実に面白いテーマを引き当てました🤦‍♀️そもそも、イタリアが正式に国となったのは19世紀半ば(近代!💡)です。高校の世界史の授業で、「イタリアは“バラバラ👐🏻”」と教わりました。紀元前7世紀ごろに築かれたローマの都市はローマ帝国の中心地としてヨーロッパを広く支配したが、6世紀に帝国が崩壊して以降はヴェネツィア、フィレンツェ、ジェノヴァといった都市が誕生、小国家として発展。何とそれから1300年もの間、イタリア半島が国家統一されることはありませんでした💁‍♀️このような歴史的背景から、イタリアは地域ごとの伝統が根強く、文化の多様性を特色とする国家なのです。
 つづいて近世という時代の定義ですが、中世から何かしらの変革🛸を試み、近代国家成立に向けた地盤を築いた時期、という考え方が一般的です📖イタリア史に当てはめると、ルネサンス期(14世紀〜16世紀)、バロック期(16〜17世紀)、が該当するでしょう。
 イタリアの食文化🍽について調べていると、意外にも中世・ルネサンス期に独自に発展した食文化が、パスタ🍝やピッツァ🍕などイタリア料理の定番の基礎となったことが分かりました。さらに興味深いことに、ルネサンス期からバロック期は農民の食と貴族の食との接近融合が見られた時代だそうです。農民・一般庶民の日常食が、貴族のコース料理にも取り入れられるようになったのだとか。
 今回は、"ミネストラ"に着目します。"ミネストラ"とは、スープ🥘・パスタ🍝、米🌾料理の総称で、前菜の後の1皿目(プリーモ・ピアット)として出される料理です。お馴染みミネストローネは、ミネストラのうち、特に具材がたっぷりのものを言います。ただし、現代のミネストローネの味付けに使われるトマト🍅、イタリアでの栽培が本格化したのは19世紀以降のこと。新大陸から伝わって以降暫くは毒性が疑われ危険視されており、近世の時代ではまだ馴染みのなかった食材なので今回は不使用とします🙅‍♀️

調理法の特徴:
①ブイヨン(レシピ⭐️)
⭐️これらの食材は、"ブロード"です。"ブロード"とは、日本語で言うブイヨン、要するに出汁のことです。市販の固形や顆粒のものを使う方も多いですが、イタリアの一般家庭では具材を煮詰めて作るのが定番なのだとか。にんじん🥕、玉ねぎ🧅、セロリは香味野菜の御三家で、ブイヨンの基本材料と言われています。

②栄養満点💯の野菜
豆🫘 と栗🌰は貧しい農民の食べ物というイメージが強かったが、高い栄養価に注目が集まり、のちに宮廷料理でも振る舞われるようになったそうです。

豆🫘:トスカーナ地方で多く食べられ、ミネストラの具に多用される。中世では豆の代表と言えば蚕豆だったが、17世紀には新大陸からインゲン豆が伝わり、主流となった。
栗🌰:元々アルプスなど山地⛰近くの地方で多く食べられ、のちに平地にも伝わった。後期中世には栗栽培が活発化し、糖分と澱粉(でんぷん)が豊富で栄養価が高く、民衆にとって大切な食材に。

③スパイス(レシピ🔶)
🔶これらの食材は、スパイスです。古来、東方のスパイスをヨーロッパへと運ぶ海上貿易⚓️を牛耳っていたのが、ヴェネツィアやジェノヴァといったイタリアの都市国家でした。当時は仲介する商人によって好き勝手に値が付けられており、ヨーロッパでスパイスは高級品💸でした。15世紀〜ヨーロッパ政府はスパイスを巡る貿易問題に本格的に着手。17世紀〜大航海時代に入り、スパイスの自主採取が可能となったヨーロッパ各国でスパイス価格が驚異的に下落↘️しました。スパイスの政治的利用(独占販売)が不可となったイタリアの都市国家は貧困化。この経済的困窮こそ、イタリアの国家統一が遅れた要因の一つでした🤦‍♀️

④決まったレシピはない
宮廷に仕えた料理人🧑‍🍳は慣れ親しんだ家庭の味を厨房で再現したため、調理する上での決まりごとはなかったようです。

当時の流行:
 キーワードで言うと、「健康🤸」でしょうか。イタリア🇮🇹では古代ローマの時代から野菜類🥬・穀物🌾の重視の伝統がありました。美食家アピキウスの料理書📖には数多くの野菜・豆類のレシピが挙げられており、小麦、大麦の「粥」のレシピもあリます。野菜類重視は中世期末まで地中海全域に見られ、とりわけイタリアでは、ルネサンス期、近代以降ヨーロッパ全体で肉食🍖中心の食事が主流となっても、穀物🌾、豆🫘、野菜🥬を主菜とすることをやめませんでした。
 12世紀末の『サレルノの健康規定』、13世紀末の『規定食の華について』、15世紀の食を愛するユマニスト、プラーティナや16世紀の複数の医者、さらに17世紀の農学者ヴィンチェオ・タナーラの著作でも、薬草や、野菜、豆類への熱い注目があリました🔍
 ただ、健康ブームはあくまで貴族目線の流行でした。当時のイタリアの農民の生活は貧しく、白い小麦パンは入手できず雑穀パンで我慢💦野菜くずこそ、貴重な食糧源だったのです。貧民のその日暮らしの食事が皮肉にも健康の観点から貴族の注目を浴び、宮廷料理でアレンジして取り入れられるようになった、というのが歴史的には正しい視点のようです。

▫️参考文献
・アピキウス(千石玲子訳)『古代ローマの調理ノート』(1997年、小学館)
・佐々木巌『サレルノ養生訓 地中海式ダイエットの法則』(2001年、柴田書店)
・プラーティナ(池上俊一訳)『適正な快楽と健康について(第一巻)』
158〜175頁 池上俊一監修『原点 ルネサンス自然学 上』(2017年、名古屋大学出版会)
・ペッレグリーノ・アルトゥージ(工藤裕子訳)『イタリア料理大全 厨房の学とよい食の術』(2020年、平凡社)
・中村浩子『体の不調とおさらばできる イタリア薬膳ごはん』(2020年、講談社)
・アンドリュー・ドルビー(樋口幸子訳)『スパイスの人類史』(2004年、原書房)
・池上俊一『世界の食文化―15 イタリア』(2000年、農文協)
・高橋進『イタリアの歴史を知るための50章』(2017年、明石書店)
・北原敦『一冊でわかるイタリア史』(2020年、河出書房新社)


アメリカ🇺🇸×現代(ぬばたま🌙)

 筆者が引き当てたのは「アメリカ🇺🇸×現代」です。アメリカ合衆国は、様々な民族にルーツを持つ人々によって構成されています。また、
国土が広大🫏なため、地域ごとに様々な調理法がみられます。まずは、特徴的なアメリカ料理の一部を紹介します。

⚫︎ルイジアナ地域
 アメリカ南部のルイジアナ州ミシシッピ川周辺の郷土料理が「ケイジャン料理」です。かつてスペイン、フランス領だったルイジアナ州には、様々な国の文化が混ざった独特の料理があります。
 フランス🇫🇷は、ルイ14世🤴時代にルイジアナを獲得。しかし、イギリス🇬🇧とフランスの植民地戦争(フレンチ・インディアン戦争、1754~63)に敗れたフランスは、ミシシッピ川以西のルイジアナをスペイン🇪🇸に譲渡しました。※その後この広大な土地は、1801年にスペインからフランスへ譲渡されましたが、アメリカの第3代大統領ジェファソンが、1803年にフランスから買収しました。
 こうして、フランス系、スペイン系、アフリカ系という、3つの食文化が混ざり合ってできたのがケイジャン料理です。ミックススパイスを用いたスパイシーな調理法🌶️が特徴です。

⚫︎ハワイ地域
 まずはハワイの歴史で見逃すことのできない出来事をピックアップ🌍ハワイ王国は、1795年にカメハメハ王🤴によって統一され、19世紀末まで、ハワイ人の王による立憲君主国家でした。しかし、当初からアメリカ人宣教師が政治に介入し、次第に白人資産家による政治への影響力が強まっていきました。女王リリウオカラニ🫅は、王権の再興を試みますが、クーデターによって退位します。そして、1898年にアメリカに併合されました。
 複雑な歴史を持つハワイですが、「ロミロミ」や「ラウラウ」などの伝統料理に見られるように、今でもポリネシアなどの食文化🏝️が息づいています。

⚫︎テキサス地域
 メキシコと国境を接するテキサス州には、アメリカとメキシコ🇲🇽の食文化が混ざり合ったテクス・メクス料理があります。
 テキサスといえば、第7代大統領ジャクソンの時代、西部開拓が推進され、1845年にテキサスを併合したことが有名ですね。このテキサス併合をきっかけに、メキシコとの対立が激化し、1846年にはアメリカ・メキシコ戦争が起こりました。

 さて、今回料理するのは、テクス・メクス料理の代表選手「チリコンカン」です。まずはざっくりとレシピをご紹介。

▫️料理名「お豆のチリコンカン」
レシピ📝:
⚫︎材料(4人分)
・玉ねぎ 1個
・にんじん 1/2本
・あいびき肉 300g
・トマト缶 1個
・ミックスビーンズ缶 1缶
・オリーブ油 少々
・にんにく 1片
・固形コンソメ 1個
・水 200ml
🔹ローリエ 1枚
🔹オレガノ 少々
🔹塩コショウ 少々

1️⃣玉ねぎ🧅、にんじん🥕をみじん切りする。鍋にオリーブ油を入れにんにく、にんじん、玉ねぎを炒める。
2️⃣ひき肉、🔹の調味料を加えて炒める。
3️⃣ミックスビーンズ缶🫘を加えて炒め、水、トマト缶🥫、コンソメを加えて煮込む。

歴史的背景:
 今回取り上げるチリコンカンは、世界恐慌などの不況期💸に重宝されました。
 ここで、世界恐慌について振り返りましょう。1929年、ニューヨーク証券取引所🗽の株価が急落し、その影響はすぐに産業全体へと波及。時の大統領フーヴァーは、経済の悪化が進行すると、高関税政策💰を打ち出しますが、国際貿易市場のさらなる縮小を招き、不況は拡大しました。
 こうした経済的な困窮から社会は混乱し、失業者、農地を奪われた農民、第1次世界大戦の復員兵など、多くの人々が厳しい生活を余儀なくされました。

調理法の特徴:
 不況に陥る中、家庭では肉🍖の代わりに豆🫘などを用いた節約レシピが作られるようになります。チリコンカンのように豆や野菜を入れて増量した煮込み料理🫕は、節約に一役買いました。

当時の流行:
 豆🫘の普及を促進させたのが、食品缶詰🥫の開発です。1861年に始まったアメリカ南北戦争において、遠方の兵士に新鮮な食料を供給するための保存食として食品缶詰が開発されました。庶民にとって缶詰は、手ごろな価格でお腹を満たしてくれる貴重な食材でした。

 今回作るチリコンカンは、ひき肉を加えつつも、豆を多めに用いてボリュームUPを試みます🥘チリコンカンはアレンジの幅が広いので、冷蔵庫に残った野菜など、お好みの具材を入れて作ることができます🚩

▫️参考文献
・青木ゆり子『世界の郷土料理事典』(誠文堂新光社、2020年)
・梅﨑透/坂下史子/宮田伊知郎編『よくわかるアメリカの歴史』(ミネルヴァ書房、2021年
・富田虎男/鵜月裕典/佐藤円編『アメリカの歴史を知るための65章(第4版)』(明石書店、2022年)
・ナタリー・レイチェル・モリス『豆の歴史』(原書房、2020年)
・世界の料理|レシピライブラリ|旭化成ホームプロダクツ (asahi-kasei.co.jp)


日本🇯🇵×近代(Slytherin🐍)

【ボイルドビーフ三日料理とお米のプデン】
レシピ📝 (👉参考文献①)

⭐️ボイルドビーフ(徳用料理1日目)
牛の三角肉(イチボ)2斤(1200g)…❶
① お湯を沸騰させ、塩を少し加える。
② ①へ❶をそのまま入れ、アクをすくい、人参と玉葱を少し入れて3時間半くらい湯でる。
③ ❶を極薄にスライスし、山葵ソース(❷)をかける。
④ 山葵ソース(3人前)の作り方…❷
バター大さじ1杯をソース鍋で溶かし、メリケン粉(小麦粉)大さじ1杯を入れる。掻き回しながらよく炒め、②のゆで汁と牛乳とを半分ずつ入れてドロドロに溶く。塩胡椒を加えて少し煮て火からおろし、山葵をすりおろしたものを匂いのつくほど混ぜる。
④ 付け合わせ
小さなジャガイモを湯でたものと細かく切ったパセリを、塩とバターで炒めたもの。
あるいは時によって外の野菜でも構わない。

⭐️サラダ(徳用料理2日目)
① マイナイソース(3人前)の作り方…❶
卵1つを固茹でし、黄身を裏漉しにし、生卵の黄身1つを加えて混ぜる。それに芥子を小さじ1杯、塩を小さじ半分、砂糖を小さじ半分、胡椒を少し加えてよく練り混ぜる。サラダ油を微小ずつ大さじ3杯だけ注ぎ、西洋酢を1杯入れてよく混ぜる。
② ボイルドビーフで余った肉を、極めて薄く切って皿へ載せ、塩でもんだ胡瓜と赤茄子(❷)とをつける。
③ 赤茄子(トマト)…❷
煮え湯へ漬けてしばらくおき、指の先か竹のヘラで皮を剥き、薄く切る。①で残った卵の白身を小さく切り、これに混ぜる。これらを❶で和え、肉のそばへ置く。
④ ❷の代わりに普通のサラダ菜即ち西洋チサを生のまま和えて出しても良い。
⑤ 肉のない時はこのソースを野菜ばかりへかけてもよし。
※赤茄子は肝臓を養う効果がある。
※チサ菜は不眠症をなおし、神経過敏を治める効果がある。

⭐️コロッケ(徳用料理3日目)
① ボイルドビーフで余った牛肉がだんだん固くなるので肉挽き機械で粉々にしてもまな板の上で叩いても構わない。…❶
② ❶と茹でたジャガイモを裏漉しにしたのとを等分に混ぜ、生卵1つに塩胡椒を入れて好きな形に円める。…❷
③ ❷をメリケン粉、卵の黄身、パン粉、というふうに転がし、フライ鍋で焼く。
④ 上等にすれば赤茄子ソース(❸)をかける。
⑤ 赤茄子ソースの作り方…❸
バター1杯を鍋で溶かし、コルンスタッチ(コーンスターチ)すなわち玉蜀黍(トウモロコシ)の粉1杯を炒める。瓶詰めの赤茄子ソースとスープを入れてドロドロにして塩胡椒で味をつける。コルンスタッチの代わりにメリケン粉(小麦粉)を使っても大丈夫。

⭐️お米のプデン(蒸すもの)
卵の黄身4つ…❶
大さじ3杯の砂糖…❷
1合(180ml)の牛乳…❸
① ❶-❸を混ぜる。
② ご飯大さじ2杯を牛乳で煮て、レモンかバニラを加える。
③ ①と②をよく混ぜる。
④ ③を茶碗へ入れて、蓋をして湯煎する。
⚠️火加減
・お湯がグラグラ煮立つとプデンへ鬆(空洞)ができる。
・弱火で40分くらい湯でる。

📍歴史的背景(👉参考文献③④)
幕末に開国して以降、明治時代に欧化政策が盛り上がり、牛鍋🐮🍲などそれまで日本で表立っては食されることのない食べ物が料理されるようになった時代です。
この時代の特徴として、色々な文献をあたってみて個人的に納得した見解は、「確かに西洋料理屋は増えたが家庭料理としてはなかなか定着しなかった(むしろ現代もそうではないか)」という飯田喜代子の意見。
後の章で紹介する調理法の特徴を見ても、和洋折衷的なものが多く、日本人好みのアレンジの仕方がとても面白いです。
西洋料理そのものは、古くは江戸時代に長崎の出島でオランダ人🇳🇱の宴席に参加し、その様子について述べた森島中良(著)『紅毛雑話』 に「紅毛の卓袱(しつぼく)」として登場します。(👉参考文献⑧)
通詞の家では、時々西洋料理🍽️が作られていたのだとか。
料理本としては、仮名垣魯文(著) 『西洋料理通』(明治五年)や敬学堂主人(著) 『西洋料理指南』が日本に西洋料理法をはじめて伝えた文献として知られており、イギリス風の数々の調理法が紹介されています。
ちなみにいわゆる和食の定番としてお馴染みの「寿司🍣・天ぷら🍤・蕎麦🥢・うなぎ🐟」は全て江戸時代に誕生した料理です。残念ながら今回の企画では味わえないのが無念…。(👉参考文献⑤)

📍調理法の特徴 (👉参考文献①②)
和洋折衷料理の流行について前の章で触れましたが、ここでは特に明治ベストセラーとなった料理小説📕村井弦斎(著)『食道楽』をご紹介。
村井弦斎は明治36年1月から12月にかけて報知新聞紙上に小説「食道楽」を掲載し、家庭生活一般について彼の理想を述べました。

緒言
小説なお食品のごとし。味佳なるも滋養分なきものあり、味淡なるも滋養分饒き(ゆたけき)ものあり、余は常に後者を執りていささか世人に益せん事を想う。…(中略)…知らず余が小説よく読者に消化吸収せらるるや否や。
明治36年5月 於小田原 弦斎識

村井弦斎(著)『食道楽』

物語に一貫する村井弦斎の考え方は、「新しい時代には西洋風の家庭料理こそふさわしい」というもの。
『食道楽』では弦斎の妻の尾崎多嘉子をモデルとする「お登和」を中心人物に、料理の話満載で物語が進行していきます。この尾崎多嘉子は類稀なる高貴な生まれで、なんと大隈重信の従兄弟を父に、後藤象二郎の後妻を母の妹にもち、三菱財閥の盟主である岩崎家とも縁続き。報知新聞は大隈重信が初代党首を務める立憲改進党の機関紙だったことから、多嘉子を通して弦斎の『食道楽』掲載を大隈重信が世話したとか。
弦斎の『食道楽』は蘆花の『不如帰』に並ぶほどよく売れ、明治20年代から30年代の文壇の華「紅露逍鴎」4人合わせても弦斎の数分の一の売れ行きだったほど。
実際に『食道楽』で紹介されている調理法が、どの程度当時の日本の家庭に浸透していたか不明ですが、物珍しさから西洋料理を無理やり和食に取り込み奇抜にアレンジしたレシピ本に比べてみても、栄養素や素材の活かし方にこだわり(実際に弦斎自身が調理法を実験していたし、知人の料理人から助言をもらってもいたという)、とても「美味しそう」で「身体に良さそう」なメニューがズラリ。
実は弦斎自身は晩年、健康食にこだわりすぎて竪穴住居で原始的な生活を営んでいたため、奇人変人扱いされたのだとか。

水野年方《大隈伯邸花壇室内食卓真景》
近大書誌・近代画像データベース

📍当時の流行 (👉参考文献⑥)
和洋折衷料理が、洋食料理を食生活に導入しようとする努力によって推進されました。
アジアの食文化を研究しているカタジーナ・チフィエルトカによると、大きく5つに分類できるのだとか。例もあわせてご紹介💁

①西洋料理に日本の調味料(醤油、味噌、出汁など)を加えて、日本人の嗜好に近づけるプロセス
例)しそ煮(豚肉のひき肉を紫蘇と一緒に炒め、和風に味を整える)

②西洋料理に和風素材を加えるプロセス
例)そうめんのシチュー
(シチューにそうめんを入れる)

③日本料理の西洋版(2種類以上の素材の融合ないし調理技術の融合)
例)魚サンドヰッチ(押し寿司スタイル)

④西洋料理の日本版(2種類以上の素材の融合ないし調理技術の融合)
例)抹茶ポテトー
(マッシュポテトーに抹茶を加える)

⑤西洋料理と日本料理の並立
例)昆布飯トマトソース(昆布飯の周りに炒めたひき肉を散らし、トマトソースをかける)

上の例でご紹介したレシピは全て『家庭週報』(日本女子大学の同窓会誌)に掲載されたものです。
若干美味しいのか微妙なレシピもありますが、「サンドヰッチ」と名づけておきながら実態はお寿司だったりする何ちゃって西洋料理も存在することから、何とか家庭料理を洋風化する試行錯誤が続けられていたことがうかがわれます。

ちなみに、今回料理に挑戦する「ボイルドビーフ三日料理」のサラダにかける「マイナイソース」とは現代でいうマヨネーズのこと‼️👀
100年前の日本には、そもそも生野菜を食べる習慣がありませんでしたが、関東大震災の復興後から食卓に並び始め、1925年に日本初のマヨネーズが誕生🐣(参考文献⑧)。
銀座の洋食店がカツレツにキャベツ🥬の千切りを添えたことが始まりだったとか。
それ以前に日本人が生野菜を食べなかった理由は、①昔の野菜が今ほど美味しくなく、②肥料に使われる人糞や生野菜に含まれるシュウ酸が人体に危険だったのだとか(参考文献⑨)

特にお米をプリンにする組み合わせや、マヨネーズ作り、ボイルドビーフにかける山葵のソースなど、10年くらい自炊を続けてきた中でも初めての挑戦が盛りだくさん🧪
記事を書く段階からワクワクしておりますが、さて美味しく出来上がるかな…🤔

参考文献
①村井弦斎(著)『食道楽 上』岩波書店、2005年.
②村井弦斎(著)『食道楽 下』岩波書店、2005年.
③ 芳賀登・石川寛子(監修)『全集日本の食文化:異文化の接触と受容』第8巻、雄山閣出版、1997年.
④ 飯田喜代子「「食道楽」における西洋料理の導入について」※③に掲載
⑤ 飯野亮一(著)『すし天ぷら蕎麦うなぎ : 江戸四大名物食の誕生』筑摩書房、2016年.
⑥ カタジーナ・チフィエルトカ 「近代日本の食文化における「西洋」の受容」※③に掲載
⑦ 沼田次郎「味わう異国情緒」※③に掲載
Webサイト:松田義人「100年前、日本人は生野菜を食べていなかった! キユーピー マヨネーズが変えた日本の食生活」
⑨Webサイト:ライフスタイル「日本人イコール「生食民族」ではない。かつて日本人は「生野菜」を食べていなかった!?」


ここまで読んでくださった皆さん、どうもありがとうございます…😭
そして私🐍分の記事の最終的な完成に時間を要し申し訳ございません🙏(特に公開を予定より1週間先延ばして待っていてくれた共同執筆者の🍎さんと🌙さん、ごめんね)

今回選ばれた「国×時代」は、なかなかオーソドックスな部分が結集したのではないでしょうか?私も先に完成した2人の記事を読みながら「あぁ高校で学んだ歴史がこんなところに!」と1人でつっこみながら納得していました😊

次回はいよいよ、団員によるクッキングの結果を公開する内容となります。更新日は👇をチェックしてね✅👀
それではまた12月にお会いしましょう〜🦭

2023.11.20
Slytherin🐍


クッキング(12月18日更新)

システム上の都合で更新の下書きを保存できなかったため、【メインディッシュ🐟(本篇その2)として新たに記事を投稿しました🙏💦
ドキドキの料理編は、新しい記事を読んでね〜🦭

「マンマの味、野菜たっぷりミネストラ」

料理人:可愛や🍎 (イタリア🇮🇹 ×近世)

・料理の写真
・作ってみた感想
・食べてみた感想

「お豆のチリコンカン」

料理人:ぬばたま🌙(アメリカ🇺🇸×現代)

・料理の写真
・作ってみた感想
・食べてみた感想

「ボイルドビーフ三日料理とお米のプデン」

料理人:Slytherin🐍(日本🇯🇵×近代)

・料理の写真
・作ってみた感想
・食べてみた感想

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