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4.2.1. 参照点としての千利休

過去の茶人の要素を取り入れる

インフォーマントの「お茶」は,ケーススタディでも見てきたように,彼ら自身の創意と個性が現れたものであることは確かである。

しかし,それが全てではない。
「茶道」の要素を多分に含んでいた(内包しようとしていた)ことは,ここまでの議論からも明らかである。

例えば「給湯流茶道」(本章4.1.1.参照)の茶会は,歴史的なテーマに基づいていることが多く,上述の徳川家や豊臣家に限らず,古田織部といった茶道を嗜んだ武将のエピソードと絡められることも多い。

また「鴨茶」(4.1.3.参照)の写真を見れば,茶道研究者の多くは容易に売茶翁 [注24] を連想する。

彼らは意図せず似たのか,似せたのか。


どちらにせよ,多くの共通点を指摘できよう。
給湯流茶道が子供用のご飯茶碗を井戸茶碗と呼ぶのも,井戸茶碗が元来ガラクタであったという,二つの事物の共通点を見出したからである。

「鴨川でお茶を振る舞う」といった行動だけでなく,職業観(働き方)や「お茶」の楽しみ方が似ている場合も,インフォーマントが過去の偉人に親近感を覚える理由であるようだ。(次項4.2.2.参照)


オーダーメイドの茶道具

千利休が当時の陶芸家などに自分の求める道具を作らせたことと,「茶道団体」の人々が現代作家に道具を依頼することの共通点を指摘したのは,智子さんだ。

現代作家が作った茶道具で茶会をするのは現在の主流の一つとなったが,それは千利休が自身のプロデュースした道具で茶会をしたことに通じていると解釈する。


インフォーマントが若手陶芸家に道具の製作を依頼している様子は,筆者のフィールドワーク中に何度も見られた。

「アバンギャルド茶会」(4.1.2.参照)が移動茶室のために茶碗の制作を作家に依頼していたことも,この事例の一つである。


洋平さんが,ある茶会で客全員に同じ作家の数茶碗 [注25] でお茶を振る舞ったとき,同じ茶碗を10枚焼いてもらったと話していた。
正客一人だけに特別な主茶碗を用いるのではなく,全員が同じ茶碗を使うことで,正客と次客 [注26] 以下に貴賎の差を出さない意図があったようだ。


千利休を援用する意図

ここで特筆すべきは,オーダーメイドの道具を製作してもらう「独創性」を評価するに留まらず,かつて千利休も同じことをしていた,という論を運んでいたことである。

これは千利休といった象徴的な存在が,それだけでまず権威を持つという茶道界の特性を活かしたものだ。
オーダーメイドの独創性に,千利休の正統性を加える結果となっている。


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[注24] 売茶翁とは,江戸時代に鴨川周辺で煎茶席を設け,煎茶の販売をしていた人物である。茶道具を両端にぶら下げた棒を担ぎ売り歩くスタイルは,「茶道団体」の活動にも見られた移動式の茶会に通ずる。煎茶の販売と言っても,「ただにて飲むも勝手なり」と,金銭にはこだわっていなかったようだ。ちなみに,現代で「鴨茶」をする人々はみな,客から投げ銭や喜捨を受け取るに留まっており,茶の販売はしていない。
[注25]「数茶碗」は主茶碗と替茶碗以外の茶碗とも言い換えられるだろう。参加者の多い茶会では,位の高い客以外はみな同じデザインの茶碗で茶が振る舞われることが多く,その同じデザインの茶碗が,通常数茶碗と呼ばれる。また,数茶碗という語は,道具にこだわりのある茶道修練者や教授者が,まとまった数だけ特別に依頼した茶碗という意で用いられることもある。「主茶碗」と「替茶碗」については脚注20参照。
[注26] 正客と次客についても脚注20参照。

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