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4.1.3. ケーススタディ(3) 「鴨茶」:「茶の湯集団鴨ん会」と「陶々舎」から

「鴨茶」は「茶道団体」の名前ではなく,ある種の茶会活動全般を指す言葉である。

この「鴨茶」とは何か。

一言,「鴨川に出て,人にお茶を点てて差し上げる」という明快な定義がふさわしい。


「茶の湯集団鴨ん会」と名付けられた「茶道団体」の代表である中山さん(30代後半,男性)が「鴨茶」という言葉を生み出した。
上述の「鴨茶」の定義も,中山さんの発言の一部だ。

中山さんを見て自分もやろうと思い至った後,コンロ付きの自転車に茶釜を積んだのは天江さん(20代後半,男性)だ。
天江さんも「陶々舎」という「茶道団体」を興している。


はじまりの「鴨茶」

中山さんは「私がちゃんと外に出て,人に差し出し始めたのが『鴨茶』だった」と語った。

中山さんも天江さんも,大学時代に茶道を始めたことは伺っているが,あえてこの言い方をするのであれば,彼らの「お茶」のキャリアは「鴨茶」から始まった。
昨年には彼らを中心に構成された京都のお茶にまつわる書籍も出版されている〔暮らす旅舍編,2016〕。

次の写真もその書籍からの引用だ。
コンロ付き自転車を用いて,鴨川でお茶を振る舞っている天江さんである。

〔出典〕暮らす旅舍編『京都はお茶でできている』(青幻舎,2016)18ページ。


そして現在,彼らが「お茶」をする場は,もう鴨川に限られてはいない。
京都に限らず,そこら中で彼らの「お茶」が散見されるようになった。

写真 イオンモールKYOTOにて,無印良品の商品と彼らの私物を組み合わせ,床の間の設えを考えるワークショップ。(2018年7月22日筆者撮影。初稿提出後に追加)


「鴨茶」をする人々

天江さんや中山さん以外の人々が鴨川でお茶をする姿は,筆者のフィールドワーク中だけでも多く見られた。

シートを敷いて中国茶を嗜んでいる社会人の方々に鴨川沿いで出逢うこともあれば,SNSを通じて知り合った京都の大学院生との待ち合わせ場所が,彼女が催す鴨川での茶会だったこともある。

彼らは全員「鴨茶」の存在を知っていた。

茶道修練者たちの間で鴨川が「お茶」をする場所として定着したのは,中山さんや天江さんら,「茶道団体」の人々の活動によるところが大きい。

写真 社会人二人が様々な種類の中国茶を飲んでいた。(2016年11月29日筆者撮影)

写真 初対面での茶会,場所は自然と鴨川に決まった。お湯の確保が難しい屋外での茶会だが,フラスコとアルコールランプの釜が印象的だ。(2016年8月6日筆者撮影)


夏に上半身裸の男性が等間隔に座っているような鴨川は,誰が何をしていても許される雰囲気に満ちており,お茶を飲んでいる人々を丸ごと許容していた。

写真 写真左側に男性が座っている。夏の鴨川は何をしても,何も着ていなくても自由である。(2017年8月6日筆者撮影)


東京でも「鴨茶」

こうした「鴨茶」の勢いは,そのまま東京へ広がった。

「江戸茶輪」と銘打った「茶道団体」が,都内で「お茶」を振る舞っているという情報を受け,その団体のFacebookページをフォローした。
すると,お茶を振る舞う当日の午前中にFacebook上で告知があった。


従来の茶会は何日も前から告知される。
茶事であれば亭主が客に直接手紙を送り招待するのが本来の形式であり,何ヶ月も前から茶会の日付は決まっている [注21]。

一部の「茶道団体」のように,特に屋外でお茶を振る舞う形式では,SNSで数日前や当日に茶会の告知をする形式が採用されることがある。


そのようなネットで告知される茶会場合,事前の予約が不要であることも多い。
それにより客側も,当日の都合次第で気軽に茶会に顔を出すことが可能になった [注22]。


こうしたSNS上の告知を受け,東京駅前の丸の内行幸通りに筆者が向かうと,確かに茶釜を積んだ自転車がある。
そこは東京駅の外観が見渡せる場所でもあり,通行人の大半は海外からの観光客であった。

写真 東京駅前に登場したコンロ付き自転車。自転車の裏側は茶道具などを収納できるようになっている。(2016年10月23日筆者撮影)


写真 この自転車は,天江さんと知り合って自分もやってみようと思い立った男性が,3日ほどで完成させたもの。(2016年10月23日筆者撮影)


そこに鴨川がなくとも,「江戸茶輪」という名に変わっていようとも,容易に「鴨茶」を想起できよう。


「歴史を作る側」になるということ

この自転車を東京で一から造り上げた男性は,筆者にこの研究の意図を尋ねた。
そして筆者に「(研究する側だけでなく筆者が)歴史を作る側にならないといけない」と述べた。


歴史が初めて姿を表すのはおそらく,その後ろを誰かが歩いてきたときだろう。

例えば,弟子のいない陶芸家が人間国宝になれないように,「伝統的」であるためには,時に後進を要求される。


歴史も,我々が「伝統」と呼んでいるものも,それがそれとして存在するために,連続性を必要とするのだ。

ここで挙げた一連のケースで連続性を感じさせているのは,野外で通行人に(投げ銭で)お茶を振る舞っているという行為である。
鴨川のそばではないから,自転車に釜を積んでいないからと言って,それが「鴨茶」ではないということになるだろうか。


「文化」のはじまり

「鴨茶」を始めた最初の瞬間,何が「鴨茶」を定義することになるのかは,本人たちも知り得なかったはずだ。

定義も概念も,物事に一般性を持たせ他人と共有するためのものであるから,「鴨茶」に続く人々が現れて初めて,「鴨茶」は一般化の道を辿った


そして概念の上を後進が歩くことで,その概念は完成に近づく

完成された定義や文化,「伝統」が最初からあるのではないのだろう。


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[注21] つまり客の方も,何ヶ月も前に茶会や茶事に参加する意思を伝えなくてはならない。一度参加すると表明した茶会(特に茶事)に自己都合で参加できなくなることは,亭主に迷惑がかかり,失礼な行為であるとされる。
[注22] 例えば本章(4.6.1.)で登場する茂さんは,数日前までにSNSで茶会の告知をしている。この「茶道団体」のように,当日の午前中に告知するのは極端な例ではあるだろう。茶会の前にSNSを活用するのはもちろん,茶会の最中に客の入り具合をSNSで中継し,空いている時間帯を知らせる使用方法もある。これは,客が入退室自由な茶会でなければありえない。
 また,検索エンジンで「ゲリラ茶会」と検索すると約73,700件ヒットすることから,一部の(特にインターネットを活用する)茶道修練者には,こうしたゲリラ的に開催される茶会形式は市民権を得ていると考えられる。「茶道団体」も,「ゲリラ茶会」という用語を使用している。

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