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4.5.1. 「茶道団体」の目的

「保護」は義務で、目的ではない

「茶道団体」を興した理由について,最初は「伝統芸能の保護」という,流派側からも非常に受け入れられやすい目的で活動をしていたと翔太さんは話す。

しかし「伝統芸能の保護」は「義務」を含意していると感じたようだ。
「義務感から動くと,なんか面白くない」として,「茶道団体」の方針を転換した。

翔太さんの考える「保護」とは「みんなの80点を狙う(みんなに愛される)」ことである。
それは翔太さんの方向性とは異なるようだ。

すなわちここで議論されているのは,伝統芸能を「保護」すべきか,茶道が人口に膾炙すべきか否かではない。
翔太さん自身が面白いと感じるか否かである。

本人が面白いと感じないために,「保護」というやり方を選択しないのだ。


「お茶に向いてない人いっぱいいる」

翔太さんが「義務」という言葉で説明したものを,「大義」と表現したのが達也さんだ。
「茶道団体」の目的として「大義は大義であります」と答え,茶道人口を増やすことにも言及していた。

ただし,「Twitterでは言えない」と前置きした上で,「センスない人はやらないでいいよね」と続ける。

「センスない人」には茶道を勧めていない達也さんと,自分の面白さを優先する翔太さんの二人の共通項は一つある。

「茶道」が万人に受け入れられるべきとは考えていない点だ。



活動の目的は何か,同様の質問を達也さんにも投げかけた。

達也さん
仲間づくりが一番かな。
あと50年生きるとして,お茶をしながら楽しむのであれば,一緒に(お茶を)楽しめる人が必要で,楽しみ方を教える必要がある。


矢島
「仲間づくりというのは,茶道人口を増やすのとは,またちょっと違いますか?」

達也さん
確かに茶道人口を増やしたいのとは違う。
みんなお茶に向いてるとは思ってない。
向いてない人いっぱいいるだろうなって思う。
無理やり押し付けるのも…。

ここでも,万人に茶道を勧めてはいないことが窺える。


万人ウケを目指さない

では,なぜ彼らは「茶道団体」を主催するのか。

翔太さんは,「茶道団体」として「保護」ではなく「森づくり(環境づくり)」がしたいと語った。
環境をつくれば,茶道のような芸事は自発的に育っていくという意図である。

茶道を大多数に無理強いしない姿勢は,「(環境があれば)動物って勝手に育つ」という言い回しにも表れている。

賛同してくれる人が多いほど望ましいというよりは,活動に共鳴する一部の人が,自主的に活動に加わることに重きを置いているようだ。


翔太さんは,自分たち「茶道団体」のする「お茶」を,理解してくれる人だけ理解してくれたらいいと続けた。

万人受けする「お茶」をすると「僕が疲れる」といった語りには,「(万人に)合わせないといけない」ことが負担だという前提がある。
万人を意識するための労力を忌避している,とも換言できよう。


流派の目的との違い

茶道教室や流派は,茶道を後世に残すべく,多くの人に茶道を広めようと努める組織とまず定義できる。

しかし「茶道団体」の目的は,──結果的に茶道が広まるという帰結は同じかもしれないが──正確には,流派のそれとは異なっている。


すなわち,茶道修練者を増やすことが流派の目的だとすると,「茶道団体」の活動の目的は,活動の理解者や一緒に楽しむ仲間を得ることである。

人数の寡多より,「特定の誰か」にこだわる姿勢が,ここにも表れていると解釈できる。(第3章小括参照)


上記の引用でインフォーマントのいう「森づくり」や「仲間づくり」とは,本章4.3.2.でも言及した「役割分担」の一部なのかもしれない。

「茶道団体」と「流派」はただ目的が異なっているだけではなく,リーチできる層(もしくは「リーチしたい層」)が異なっているのだ。


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