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【1話完結小説】豆まきの夜

僕は物心ついた時からこの家に母さんとニ人きりで住んでいる。狭いながら庭のついた一軒家。母子家庭のくせに、って前にクラスのみどりちゃんから言われたけど、そんなこと僕に言われたってどうしようもない。ずっとずっと昔にはこの家に父さんもいて、僕たちは三人家族だったらしいけれど僕は父さんのことなんかこれっぽっちも覚えていない。そもそもなんでいないのか、それすらまだ母さんから教えてもらってない。

二月三日、節分。母さんはこの日必ずスーパーで買った恵方巻きと大豆の袋を持って僕を学童まで迎えに来る。
「さ、早く帰って豆まきするよ!」
正直なところ、僕はもう四年生だから豆まきだの鬼だのでキャーキャーいう歳でもないんだけど。何となく母さんにそれを言ったら悲しむんじゃないかって思って、黙っている。
「今日はコトブキマートのデラックス巻き寿司と、デザートに新発売のロングロールケーキも買ったからねぇ!」
帰り道、母さんはウキウキと説明してくれた。ロールケーキが食べられるのは僕も素直に嬉しい。

家に着いたら夜の七時で、もう辺りは真っ暗だった。我が家の豆まきはなぜか毎年庭に出てやることになっている。母さんが「家の中で豆をまいたら掃除が大変でしょ」と言うからだ。
玄関からスタートして、豆を持った僕は時計回り、鬼の面をつけた母さんは反時計回りに、家の壁に沿って庭を進む。丁度家の裏あたりで鉢合わせしたら母さんが「ガォー!!」とか言って、僕は「鬼はー外!」と言いながら豆をぶつけるのだ。

毎年お決まりのこの茶番。何歳までやるんだろうかと少し不安になってくる。家の裏の方には同級生のヒロミチや坂田さんの家もあるし、バレたらからかわれるに決まっている。母さんは「夜は近所迷惑になるから小声でね」と事前アドバイスしてくるが、そんなこと言われなくても僕の声のボリュームは年々小さくなっていた。

豆の入った器を持って暗い庭を壁伝いに進む。流石に真っ暗な冬の夜は寒いし、少し、怖い。頼りは近所の家や自宅の窓から漏れる室内の灯りだけだけど、当然どこの家も夜はカーテンをひいているのでほとんどあてにならない。

ようやく闇に目が慣れてきたところで、進行方向からガサっと音がした。「母さんか」と豆を握りしめて前をよく見ると、五メートルくらい離れた正面の角から黒い人影が上半身だけ出してこちらをじっと見つめている。一瞬ギョッとして僕は歩みを止めた。母さんとわかっていても、暗闇の中でじっと立ちすくみ僕を見つめるそれは、気味の悪い雰囲気をまとっていた。

静寂が流れる。

…母さん…じゃ…ない?
毎年の母さんならば「ガォー!美人鬼だぞー!」とか控えめのボリュームで言いながらすぐに僕に向かって駆け寄ってくるのだ。
黒い大きな瞳が、夜の少ない光を集めて妙にギラギラとこちらを見つめている。
シンとした節分の夜の闇の中、まさにこの瞬間、僕とこの得体の知れない黒い影だけがこの空間に存在しているのだ。
こいつは一体何なんだろう。よく見たら母さんよりも背が高いしガタイがいいような気がする。

怖い怖い怖い怖いコワイコワイコワイコワイ…。

まさか本物の鬼なんだろうか?いや、鬼なんているわけない。でも、じゃあ、目の前のこいつは、何?それに母さんは?こいつと同じ方向から歩いてくるはずの、母さんは?やられたのか?食べられたのか?無事なのか?それともこいつは母さんなのか?

もう僕の思考は恐怖と緊張でショートしかけていた。とりあえず手の中の大豆を黒い影に向かって思い切り投げつける。
「ウォーーーッ!」

黒い影は太い腕で一瞬自らの体をかばったが、腕に当たったものが大した威力のない大豆だと分かるとゆっくり腕を下ろした。
僕は絶望した。百パーセント信じていたわけじゃないけれど、節分の日にまく大豆にはやっぱり神聖な力が宿っていて、ワンチャン悪いものを退けてくれるのではないかと頭の片隅で期待していたのだ。

突然、黒い影はしゃがみ込み、お返しだとばかりに地面の砂や小石を掴んで僕に向かってどんどん投げつけてきた。イタイイタイイタイ!目に砂が入った。ほっぺたに尖った小石が当たった。なんだよコレ、大豆よりよっぽど痛いじゃないか。僕は涙を流しながらもと来た方へ壁伝いに走って逃げた。

スタート地点の玄関前に戻ってくると、玄関灯の柔らかな光の下で母さんが鬼の面を持って立っていた。
「母さん!」
「あんたどこに居たの?母さん家の周りをぐるっと回ったけどあんたに鉢合わせしなかったから三周もしちゃったわよ」
じゃああの黒い影はやっぱり母さんじゃなくて…。
「とりあえずもう家に入ろう!」
僕は母さんを玄関の中に押し込んだ。今にもあいつが角を曲がって現れそうで、僕はとにかく焦っていた。

その年の春の日、あの夜あいつが立っていた辺りに見たことのない小さな木がひょろりと生えていることに気が付いた。僕は急いでそいつを引っこ抜き、引っこ抜いたところに更に除草剤をまいて、塩もまいた。大豆は、まかなかった。あの晩まったく効かないことがわかったから。
木を引っこ抜く時に、地面の下から動物の骨みたいなものがたくさん出てきたけれど、きっと地面を掘ればそういうことはよくあるんだろうと思って気付かないふりをしてまた埋めた。

僕は来年から節分の豆まきは絶対やめようと母さんに言うつもりだ。恵方巻きを食べるだけにしよう。どうしてもと言うなら百歩譲って明るい家の中で大豆をまこう。…でもそうしたら廊下の角からまたあいつが現れるんじゃないかって不安になるから、やっぱりもう豆まきは、二度としたくないと思うんだ。

end

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