「仕事がデキる人」は絶対使わない、こんな一言
もしかしたら、あなたも過去に一度は誰かから言われたり、もしかしたら誰かに向かって言ったことがあるかもしれない、こんなフレーズ。
「お前、使えねーな」
この言葉を職場で、特に部下だったり立場が下の人や新人に対して日常的に使っている人に、本当に優秀な人はいません。
なぜなら「使えない人」をいかにして「使える人」にするか、それを考え実行するのが優秀な人でありデキる上司だからです。使えない人を使えないままにしておくのは会社にとって大きな損失であるにも拘わらず、使える人に育てられないのは、使う側の能力不足の可能性があるのです。
「それは理想論であって、どれだけやっても使えないヤツはいる」
自称デキる上司からはそんな声が聞こえてきそうですが、確かにその通り。私もそれについては否定しません。
ただ、よく考えてみてください。
その「どれだけやっても使えないヤツ」を雇ったのは誰ですか?
会社なら例えば人事部でしょうが、最終的には役員だったり社長や会長、そういった偉い方々が「よし!この人を採ろう」と、試験やら面接やら、それなりのお金や労力をかけて採用を決めたはずです。
にも拘わらず、その人が期待外れで使えないヤツだったとしたら、それは100%会社の責任です。その人の能力や会社への適性を見誤ったわけですから。使えない人はある意味、被害者です。もし最初から適正がないと判断して、採用を見送っていれば、会社にとってはもちろん、使えないその人にとっても、明るい未来があったかもしれません。その会社では使えないヤツでも、別の会社ではすこぶる優秀な人になっていたかもしれないのですから。
会社が戦力になると判断してその人を採用した以上、「お前、使えねーな」などと言う暇があったら「どうしたら、この人を使える人に育てられるか」「どうしたらその人を活かせるか」を考えるべきです。
それに「お前、使えねーな」と軽々しく口にすることが結果的に自分の能力のなさだけでなく、その会社自体の無能さやレベルの低さ、人を見る目がないことや、人を育てることが出来ないということを露呈しているのに、それに気づけないばかりか、その程度の会社でお山の大将気取りでドヤっている時点で滑稽ですし、とても哀れです。
結局のところ「お前、使えねーな」などと言ってしまう人のほとんどは、たいして仕事は出来ないばかりか、そのフレーズを口ずさむことで「俺はデキる人」と周りにアピールしているだけのしょーもないヤツだったりします。
「使えないヤツ」という言葉はとても重い言葉です。その言葉を日常的に浴びせられることで、人によっては「死」を選択してしまうような言葉であり、まさに凶器です。
もし今この瞬間も、そして日常的に「お前、使えねーな」と言っている人がいたら、一度立ち止まって考えてみてください。本当にその人が「使えない」のかどうか、を。
もしかしたら、あなた自身に人を育てる能力がないからではないですか?
相手の適正を見誤っているだけだったりしませんか?
もし、あなたが間違っていないのであれば、それは使えないその相手の責任であり、そんな人を採用した会社のレベルの低さのせいでしょう。だとしたら、そんな会社はさっさと辞めて、あなたの能力を遺憾なく発揮できる別の会社に行くべきです。「使えないヤツ」というあなたの言葉や評価が正しく、そしてあなたが本当に優秀であれば何の心配もいりません。他の会社からいくらでもスカウトがくるでしょう。
そして逆に、日々「お前、使えねーな」と言われている人がいたら、本当に自分が使えないのかどうかを考えてみてください。もし可能であれば日常的に自分のことを「使えない」という人に「何がどう使えないのか」を訊いてみるのもいいでしょう。その人が明確にあなたが使えないその根拠を示せたとしたら、それはあなたが成長できるかどうかの分岐点であり、大きなチャンスです。
逆に、もしそこであなたが使えない根拠をきちんと示せない場合、その人はその時の雰囲気や気分、あるいはただマウントを取りたいがために、あなたを「使えないヤツ」扱いしている可能性があります。だとしたら、そんなヤツの言葉で気に病むなんてバカバカしいと思いませんか?そんなくだらないヤツの言葉です。響かないどころか、逆にそんなことをする人間性を憐れに思うべきです。
世の中、自分の利益や楽しみのためなら他人なんてどうなってもいい、傷つけても構わないと思っている人はかなりいます。恐ろしいことですが、場合によってはそういう人だらけの職場もあります。
だからこそ、「使えないヤツ」というその言葉をぶつけられたとしても、無条件に自分を責めることだけはしないでください。
「使えないヤツ」などと軽々しく言い放ち、あなたの心が壊れていくのを楽しんで見ているようなヤツがいる職場など、一日も早く離れてください。そこはあなたがいるべき場所ではありません。
一度壊れてしまった心は、なかなか元には戻らないのだから。
長い年月をかけて治しても、その痛みはきっと一生忘れません。
命も心も、一つしかないのです。
その仕事、あなたのその一つしかない命を懸けてまでしなければなりませんか?
その会社は、あなたのその一つしかない心を懸けてまで尽くすべき存在ですか?
今年も芽吹きの季節がやってきました。
この春から、新しい職場で新しく仕事を始める人がたくさんいると思います。
希望や夢に満ち溢れた人たちの目の輝きが、私利私欲まみれなヤツや悪意しかないヤツらによって日に日に失われていくのを私はさんざん見てきました。
あなたが輝ける場所がきっとあるはず、などというありきたりでクソつまらないキレイゴトや気休めは言いません。
輝けるとか輝けないなんてどうだっていいんです。そんなものはたいてい、社会的な基準や物差しだから。
あなたが居たい場所にいること、それが大事です。
あなたが好きな場所を見つけて下さい。
そんなことを昔の自分に言い聞かせながら、私は今日を生きています。
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