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お客さんのスマホで拝見した桜並木。時は流れ、花は咲く。

一日の天ぷらをだいたい揚げ終わって、夕方、洗い物をしていた。

常連さんが、天ぷらを買いに来てくださった。

(あれっ、この前買ったばかりでは?)

会計を済ませて、ありがとうございました、と言うと、おもむろにスマホを操作。

お孫さんが、小学校に入学されたのかなと思っていると「ちょっと、これ見て。この前の週末で実家に帰ってきたの。母の月命日で。ここは桜で有名な通りなのよ。」

彼女は、福島の第一原発から、そう遠くないところがご実家。帰宅困難地域でずっと帰ることができなかった。うちの天ぷら屋で常磐ものの白魚や、農家さんから送られてきた行者にんにくが店頭に並ぶと、故郷を思い出し目を細めて買ってくださる。

私は東日本大震災の直後、脳梗塞を発症した。それも脳幹という呼吸などをつかさどる場所が詰まった。

ボランティアに行かなくては、と思っていた矢先だ。

奇跡が起きて、一年後にはほぼ後遺症はなくなった。

遅ればせながら、原発から北に20キロ位の、ギリギリひとが入れる南相馬市の小高に、ボランティアに行った。使えなくなったビニールハウスの撤去などを手伝わせて貰い、帰ってきた。

次に、原発の南側の限界まで、行ってみたくなった。

世界の歴史に残るような天災であり、歴史に残る人災の現場だ。

ある人は、好奇心で行っていいのか、と思うだろう。

ある人は、関東以北の野菜を食べることすら危険と考えていた。

タブーだらけだった。

だからこそ、自分の目で見たかった。

自分は、日本中、海外も自転車で旅して見聞してきた。だからこそ、今回も自転車で行くべきだ、そう考えた。

ゴールデンウィークだったろうか、自転車を分解し、専用の袋に詰め、電車に乗った。

当日の宿泊場所は、Jビレッジで有名な福島の海沿いの街、広野の北にあるビジネスホテル。

そこに頑張ればたどり着ける位の離れた場所をスタート地点に選ぶ。

茨城県日立駅。午前中に着くと霧で真っ白だった。


広野町の上の6の数字あたりがホテル。南端の日立から走る。大熊町が第一原発のあるところで、ボランティアに参加させていただいたのは、浪江町の少し北、コンビニの文字の少し上くらい。

北に向けて走り出す。日本中変らない、チェーン店でひしめき合う国道沿いだ。

小名浜を越えると、一気に車の通りが減り、寂しくなってくる。津波で流された家の跡が基礎だけになり、雑草が人の背の高さ近くまで伸びていた。

原発事故がなければ、仙台方面に向けて車が往来するはずだが、行き止まりなので、先に進むに連れて、心細さが増してくる。

そして、当時人が住めるギリギリの町、広野の最北にあるプレバブ作りの大きなビジネスホテルに着いた。

思いの外、宿泊客がいっぱいいる。若くて体つきのいい男ばかりだ。

その一方で、ホテル周辺には食堂が一つもない。

夕食は地元の食堂で、と思っていたので焦った。

チェクインの時にフロントの人に聞くと、夕飯は予約なしでも大丈夫と言われ、ホテルで済ませることにする。

夕飯の時間になりホテル内の食堂に行くと驚いた。

想像を絶する数の、若くて体つきのいい男ばかり。

なんだ。スポーツ大会でもあるのか?

そして、食堂には異常と思うほどの大きな音で、明るい音楽を流している。

分からない。さっぱり分からない。何なのだろう、このホテルは。

夕飯が終わり、あとはやることが全くない。

ホテルに来る前に登っていた坂を下って、セブンイレブンに行って、夜のツマミと酒を買い、また坂をえっちらおっちら登り、自室に着いた。

翌日、うっすらと雨の可能性。朝ごはんを食べに食堂に行くと、ほとんど昨日の人達はいない。

ゆっくり食べて、チェックアウトする。

自転車に荷物を付けていると、昨日泊まっていたらしき人が何人かいた。

おもむろにパトカーに乗ったりしている。

「あっ、この人達はみんな日本中から集まった警察官で、パトロールや警備をされている人たちだったのか!」

ひょっとしたら自衛隊や消防の方もいらっしゃったかもしれない。

自転車で走り出す。

小さなピークを越えると次の町。

ここからは、住むことが許されていない。

人がいない町、信号だけが何事もなかったかのように動き、時々、ものすごいスピードで車が走っていく。パトカー、ダンプ車、作業員を乗せるバス。

ほぼ全て、関係車両。取り締まりなどあり得ない。

道の両脇の田んぼを見る。長く伸びた雑草で覆われているところ、除染で集められた放射線物質の入った土を入れた巨大な黒い袋の山。

あるいは農作の再開を期して、草刈りがされている田んぼ。心が痛くなる。

一瞬で先祖から伝わる生き方が途絶えた人の思いは想像できない。

町の中心地。

激しい揺れで傾いている家屋。

携帯ショップや100円ショップが、誰もいないまま、取り残されている国道沿い。

誰もいない町に、自分一人が立っている恐怖感。まるで悪夢の中にいるようで、平衡感覚すらなくなり倒れそうになる。

走っていると、今度は霧雨が降ってきた。

(この雨に放射線物質は含まれているんだろうか?風は原発方面からだ。知らず知らず、口の中にも雨が入ってくる。大丈夫だろうか。)

しかし、私は冷やかしできているのではない、現実をこの目で見るために自転車で来ているのだ、行けるところまで行こう。

前に後ろに通り過ぎるパトカー。

昨日、あのホテルに泊まっていた人たちなんだなぁ。

第二原発を越えた。

下調べした、一般者が通行できる限界の交差点が近づいてきた。

坂のてっぺんに、検問をしている警察官が見えた。

わざわざ、そこまで行って、警察の人達に迷惑をかけるのはやめよう、そう思い少しだけ手前で、Uターンすることにした。

その交差点は「夜ノ森」の次だった記憶が。。

桜並木でとても有名な場所だ。

その時は、桜の時期ではないが、これは咲いたら相当凄いだろうなぁと思った。人がまた、ここで桜を楽しめる日は来るのだろうか。

今日、来店してくださったお客さんが見せてくださった動画は、まさにその「夜ノ森」の桜並木だった。

避難解除になり、住むことができるようになった最初の桜の季節。

沢山の人が、夜に車でその並木を通っていた。

車のライトで照らされた桜は圧倒的な白さで、左右の道を覆っていた。もう、12年も経つのだ。桜の木も大きくなっているだろう。その中を車内から動画で撮影している。幽玄、生命の持つ力、人間の想い。何というサクラの力だ。

私も10年ほど前に見た並木道が、咲き乱れているのを見て、その奥さんの幸せそうな顔を見て、人生で最高の花見ができた気がした。

この日が来るまでに、沢山の人の苦労、涙、想いがあったと思います。

本当におめでとうございます。

また、浜通りを自転車で旅行させていただきたいと思います。


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