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真の子育てとはなんだろうか

うちは三兄妹。私の中では本当にサイコーの子供たちだと思っている。
子育ての価値観は色々あり、何が正しいかはわからないが、うちの子たちはそれぞれ自分の考えを持ち自立していると思う。

幼少期はそれぞれ大変だった。大変だったが今思うとそれなりに自分の中で発散の方法を見つけて子育てしていたと思う。
そこまで大変だったかと今振り返ると過ぎ去ったことだからか、うちは楽だったんじゃないかなと思ってもいる。同時に私の家に生まれてなかったら子供たちは大変だと思うし、うちの子が生まれた家のお母さんは大変なんじゃないかなとも思う。

みな超個性的でいう事は聞かないし、型にははまらない。でも私も型にはめるつもりはなかった。
みなが好きなことを見つけられればいいと思うのと同時に私が育児で自己犠牲するつもりはなかった。
私も楽しみながら好きなことは諦めずやり、子育てをやっていったというのがしっくりくる言い方だと思っている。

よくあるお母さん像からはかけ離れていると思う私。
出産してから起業し、子供産むたびに新しい会社を作り、色んな事業を手掛けてきた。

私が楽しむことが1番いい見本であり、その姿を見せることがみんな楽しめる要因になるはずだと信じていた。赤ちゃんのときには会社にも子供を連れていったし、私が仕事をしている風景もそれなりにみてもらえる環境があれば見てもらった。

起業して20年。かなり波乱万丈だったけど、色々勉強になった。そしてそんな私の姿をみて子供たちは私のようにはなりたくないと思った子もいれば私のようになりたいと思った子もいる。

言える事はみな自分のやりたい事を自分で見つけて前進しているということだ。

基本私は人生のレールを引いていないつもりだ。やりたい事を発見したらその応援はする。でも私からレールを引くのはやめた。誰かの引いたレールにしか乗れない人にはなって欲しくないと思ったからだ。

子供たちには私に意見が有れば言ってくれと言った。もちろん納得しないこともあるけれど、私は基本みんなの話を聞くようには努力している、そして私も人間だから間違うことがあると思う、だから気づいたら伝えて欲しい。わからないことは一緒にどうすればいいか考えたいからという話を子供たちには伝えた。
私の意見だから正しいとは思わないで欲しい、わたしがおかしいと思えば指摘して欲しいとも伝えていた。

おかげさまで、子供たちはみな自分の意見を言える人たちになったと思う。理屈が通ってなかったら私は突っ込んで質問していくので彼らは何度もやり直す。自分の意見はなぜそう思うのか様々な角度から考える。それが説得力向上や論理的思考にもつながっていると思う。

外のお母様方からみたら私は決していいお母さんではないだろう。実際そうも言われている。
しかし外野がなんと言おうとより良い子育てなんてわからない。言えることは当人たちが生まれて来てよかったと言えることだと思っている。

うちに生まれてよかったとよく言ってくれるうちの子たち。率先してやるべき事をみつけ家事をしてくれる子供たち、少しの事でもありがとうと言ってくれる子供たち、よりよい考えや間違ってると思うことがあればちゃんと指摘してくれる子供たち。そんな子供たちに私は助けられている。

次男とはよく教育について話をする。彼が今日絵を書いていた。

それがこの絵だ。この絵で何を言いたいのか。
世の中の子育てはその子の為と言い、実は親自身のためなのではないか。

いい学校に行って欲しい
良い子に見えるようにすごして欲しい
成績は良い点とって欲しい
周りからよりよくみられたい思われたい

そしてたくさんの本人が望んでない習い事にいかせる、塾に行かせる。そしてそんな子供たちは自分の意思で生きていない。親の飾りでありキーホルダーなんだ。親が動かないと何もできないしどこにも行けない。

子供は親の飾りではない。親を引き立てる道具ではない。意思のある人なんだ。でもその意思を踏みにじりよかれと思いおもうようなレールを引いて自己満足している親が多いと彼はいつも感じているようだ。

だから彼らは意見が言えない。言えないというかそもそも意見すら持っていない。
勉強は頑張ってしている。しかしその勉強のほとんどは暗記であり情報だ。情報は今はスマホで検索すればすぐにでてくる。
情報は有ればいいのではない、それをどのように使うのかを知ることが大切であり、そんな教育が重要だと思うといつも熱く語っている。

この彼が描いてくれたイラストは興味深いなと思った。まさにこんな感じの親御さんにはたくさん会って来たようには思う。
みんなよかれと思いやっているのだ。そしてそのよかれと思ってすることが1番やっかいなのかもしれない。

もちろん全部が悪いわけではない。学歴と学力は視野を広げることにつながるし、選択の幅を広げてくれる。
でも1人になったとき、自分で考え、自分で判断し、自分で行動できる人材がこれから求められるのではないだろうか。

本人は勉強はできない。しかし、いろんな情報やニュースはチェックしており、毎日のように私見を語ってくれる。わたしはそんな話をきくのがとても楽しみな時間だ。

子育てとはなんなのか、教育とはなんなのか。親はどこまでするのが理想なのか。そんな事を子供の視点から考え聞かせてくれる。これからは学力だけだはなく情報に自分の考えをとりいれ、周りにわかるように伝えられる力が必要になると思っている。
そしてそんな話を毎日のようにしてくれるうちの子供の成長が楽しみだ。

さぁ、明日はどんな話を聞かせてくれるかな。

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