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記事一覧
【Mother-000】母の遺言〜人持ちになれ〜
「20歳まで生きられない」と医者に言われて生まれた母。そんな母親が、僕を産んでくれたのは40歳の時だった。そして62歳の時、末期の肝硬変で倒れ、入院して1ヶ月で亡くなった。僕が22歳の時だ。
母は常々大好きなビールを飲みながら僕にこう語った。
「人生100歳までだとしたら、人は50歳から一人で歩き始めるんだ。そうすると、それまでの飲み仲間や仕事仲間、趣味仲間はみんな離れていく。何故か分かる
【Mother-001~003】生命の言葉〜401本の花〜
いつも母の周りには、母と酒を飲みたい人、母の笑顔を見たい人、母に助けを求める人が絶えずいた。
母親が亡くなった時、名も無き母のために全国から400人もの人が来てくれた。
みんな母の前で泣き崩れていた。ある人は言う「騙された、あんなに元気だったのに」と。ある人は言う「あなたのお母さんのお陰で私たち夫婦は生きられています。」と。そしてある人は言った「あなたのお母さんの”一言”で私は救われた。
【Mother-004】言葉ひとつ心ひとつ〜耐えて、耐えて、敢えて、前へ〜※歌詞付き
言葉ひとつで 全てを失くした
笑い合った仲間や 護るべき人を
本音で生きるのが とても恐くて
口を噤むことで 償おうとしていた
一人でいるのに 理由が欲しくて
読みもしない本を カバンに詰めた
(【Song-000】言葉ひとつ心ひとつ)
『金持ち父さん貧乏父さん』という本がある。その本を読んだ時、うちは「貧乏父さん人持ち母さん」だなと思った。
”人持ち母さん”から生まれた僕は母に似
【Mother-005】一人じゃないから〜忘れないで、そばにいるから〜※歌詞付き
もし誰かが 君を責めるなら 僕が君をかばうだろう
もし誰かが 君を貶すなら 僕が君を讃えるだろう
傷つくことが 悪いことじゃない 信じようと勇気を 出したのだから
うつむかないで そばにいるから 君が立ち上がるまで
(【Song-001】一人じゃないから)
僕はよく一人になる。言葉のすれ違いで。心の行き違いで。けど、その度に一人じゃないって思わされる。「もうダメだ」って思うときに必ず誰
【Mother-006】相対性格理論〜イチかバチかエコかケチか〜※投げ銭方式
「ハヤクシロハヤクシロハヤクシロハヤクシロ」
これは中々かからない車のエンジンの音ではない。【Mother-003】で書いたが、僕が小さい頃、母があの”ルート配送”という”ドライブ”によく誘ってくれた際、”せっかち”な母は、準備が遅く”鈍臭い”僕を見ては、常々言っていた言葉だ。だがあの頃の僕には、スタートダッシュを決めたい母の車のエンジン音のように聞こえていたのかもしれない。
昔から僕が、家
【Mother-007】そのままで〜あなたの味方だから〜※投げ銭方式
あなたはとても 優しい人で
そして傷つきやすくて 時に 涙を隠す
あなたはとても 笑顔の人で
笑い声が胸の 深くまで 優しく響くよ
沢山の裏切り 沢山の嘘
そんなものが あなたを ひどく責めても
愛を止めないで たとえどんなに不安でも
足を止めないで たとえどんなに遠くても
いつも笑顔の人で みんなあなたを待ってるから
いつもそのままで 僕はあなたの味方だから
(【Song-002】そ
【Mother-008】母の矛盾〜「よーこ式」人生のガイドライン〜
その昔、僕が中学生の時、母の車に乗ってる時に、いきなり自転車に乗ったお爺さんが、飛び出して来た。急ブレーキして、ギリギリ間に合い、お爺さんをはねずに済んだ。しかしお爺さんは何事もなかったかのように、こちらを見ようともせず、謝りもせず、また普通にヨロヨロ〜っと走り出した。
僕は、ものすごく腹が立ち、「危ねえな!じじぃ!謝れよ!!そんなに死にたければ、違うところに突っ込んで死んじゃえ」と、吐き捨
【Mother-009】母の嘘〜「鼻穴痙攣0.8」の法則〜
僕には悪い癖がある。それは食べ物や飲み物を、時々2割ぐらい残してしまうのだ。それも大概”大盛り”にした時。
「あと二口か三口なんだから、頑張って食べなよ」
と、友達や彼女に言われても、お腹がいっぱいで入らない。
本当に入らないのだ。
さらにたちが悪いのは”残してしまうかもしれない”と、心のどこかで分かっているのに、丼やラーメンでは「100円で大盛りに出来ますよ」とか、ジュースやお酒だ
【Mother-009F】父の嘘〜「バガこの!」は、のーちゃんの愛のしるし
遅くなってしまったが、今日は父の日ということで、スピンオフとして、父について書いてみようと思う。
父の名は「のりお」。母は父のことよく「のーちゃん」と呼んでいた。その「のーちゃん」の息子が「ノーター」となるとは誰が予想していただろうか。
父は電気工事士で、新築の家屋や店舗などの配線工事をやってきた。仕事に対しての真っ直ぐな姿勢から、周囲からの信頼は厚く、75歳過ぎた今でもまだ仕事の依頼が