【Mother-009F】父の嘘〜「バガこの!」は、のーちゃんの愛のしるし

 遅くなってしまったが、今日は父の日ということで、スピンオフとして、父について書いてみようと思う。

 父の名は「のりお」。母は父のことよく「のーちゃん」と呼んでいた。その「のーちゃん」の息子が「ノーター」となるとは誰が予想していただろうか。

 父は電気工事士で、新築の家屋や店舗などの配線工事をやってきた。仕事に対しての真っ直ぐな姿勢から、周囲からの信頼は厚く、75歳過ぎた今でもまだ仕事の依頼が入り、まだまだ現役だ。

 僕は父が44歳の時の息子なので、周囲からすると、おじいちゃんの年齢ぐらい歳が離れている。しかし、僕の中では、物心ついたころから、父の姿は全然変わっていない。これは凄いことだと思う。

 仕事や歳の重ね方もそうだが、僕が一番尊敬することは、毎日変わらず、朝早く起きて、夕方過ぎまで働くという、一見”平凡”だが、それを毎日毎日50年以上も貫いてきたという”非凡”なところだ。

 母は夜遅くまで”生命の水”を飲み、午後に起きてくるので、弁当の準備などしない。その中で父は、朝5時半から6時に起きて、何も文句を言わず、自分で弁当と水筒を準備し、出かけていく。ちなみに、小学校から高校まで、朝、僕を起こしてくれたのは父だった。


そんな真面目で実直な父が、僕に何度か”嘘”をついたことがある。


 確か僕が中学生ぐらいの頃、 学校から帰ると、母はいつもの”ルート配送の仕事”でまだ家に帰ってきてなかった。僕は二階の自分の部屋でテレビを見ていた。

 父は仕事を終え、家に帰ってきたが、夕食は用意されていない。しかも、前日は家で母親の大好きな”宴会騒ぎ”があり、台所には洗っていない、お皿や、コップが大量に山積みになっていた。そして突然台所から父の叫び声が聞こえた。

「バガこの!」

※茨城弁は2文字目が訛るという特徴があり、「バカ」が「バガ」になる。

その声に僕はドキッとして、テレビのボリュームを落として、1階の音に耳を集中する。

「カチャカチャ!ザーザー!ドーン!ドーン!」

それは怒りを込めて、父が食器を洗う音だった。僕は怖いのもあったが、前日にその宴会の”料理出し”と”飲み物運び”及び”食器片付け”という仕事をした疲れもあり、とても父の手伝いをする気にはなれなかった。

 しばらくすると、食器洗いの音は消え、今度は夕飯の支度の音に変わった。ご飯を炊く音、何かを煮込む音、夕餉の匂いは2階まで立ち上り、僕の食欲を刺激する。

 父の足音をメタルギアソリッドばりに、脳内でイメージングすると、どうやら父は自分で夕飯を居間に運んでいるらしい。そして大音量で1階のテレビからは「巨人戦のナイター中継」の音が流れ出す。それは「いただきます」のサインだ。「あいしてる」ではない。

その時、突然3時の方向から異音がする。僕はまた神経を集中した、その音の正体が分かった瞬間、一気に僕の背中に戦慄が走る、

「何故このタイミングで…」

そう、母「よーこ」の車が帰ってきた音が聞こえたのだ。

 僕はこれから起こるであろう、最悪なシナリオを、心でシミュレーションしていた。だがしかし、、、怒号はおろか、叫び声1つ聞こえてこない。

 僕はさすがに不安になり、足音を消しながら、一階へと降りてみた。

ん?

何故だ…何故なんだ…

何故、笑い声が聞こえてくるのだ。

僕は居間に入るのを躊躇した。お腹が空いていたのもあり、”父の”夕飯を自分でトレイにのせ、そして恐る恐る居間の扉を開いた。


すぐに現場のスキャニングをする。

父→テレビに相対して向かい合い、あぐらで夕飯をつつく。表情穏やか。
  母への殺意は感じ取れず。ニコニコしながら母の話を聞いている。

母→父の脇で一人話しに夢中になり、僕が入ってきても気がつかない。
  家事をしていない自責の念は感じ取れず。ゲラゲラ笑いながら話す。

僕は父を左隣りに、母と真向かい、右隣にテレビという場所へ腰を下ろした。

ナイター中継を観るふりをしながら、僕は二人の会話を傍受していた。

 話の内容はどうやら、母がいつも周るルート配送先のお得意さんの”状況報告”らしい。具体的に言えば、

「◯◯さんのところの息子さんが、このまえまで、こうでああだったけど、今日行ってみたら、これだけ良くなっていた」

とか、

「△△さんの旦那さん、このまえ酔っ払って包丁振り回して、奥さんからSOSを電話でもらって、慌てて行ってきたけど、どうやら落ち着いて、夫婦仲良くしている」

というような内容だった。


母よ、あんたは刑事何年目だ?(笑)

そして父よ、あんたはいったい何課を引退したんだ。


その話を聴きながら父は、

「そうだったか。良かったな」

と、時に涙を浮かべてご飯をつついていた。ちなみに、テレビではナイター中継から水戸黄門に変わっていたが、”印籠”はまだ出てなかったと記憶する。

 僕は何度も何度も、その架空の”冷戦”に巻き込まれ、ヒヤヒヤしながら、その”父の”夕飯を居間へ運び、起きることのない”戦争”に安堵し、母と父の”事件報告”のやり取りを聴きながら、ご飯を食べるのが好きだった。


しかし、さっきの父とあまりに違う姿に、僕は違和感を感じずにはいられなかった。


「父は”嘘”をついている」

と。


母は生前よく、

「のーちゃんはノミの心臓だから」

という”魔法の言葉”を使って、うちの多額の借金のことや、自分の病気のことなど”都合の悪いこと”を良く父に隠してきた。

しかし、母が亡くなって、数年が経った時、僕は思い切って、その借金のことを父に話した。すると父は、表情ひとつ変えず、

「そんなの知っていたよ」

と言った。


父は”知らない”振りをしていたのだ。


また母は生前よく、

「のーちゃんは外づらが悪いから、人付き合いが出来ない」

という”魔法の言葉”を使って、

「だから田村家の”わらしべ外交”はあたしで成り立っている」

とよく豪語していた(家事をしない最高の言い訳である)。

しかし、母が亡くなって、数年が経った時、最初は塞ぎこんでいた父だったが、だんだんと得意だった、料理を作るようになり、その料理の御裾分けを人に振る舞って、多くの人に喜ばれている姿を目の当たりにしたとき、僕は確信した。

「この人は、やらなかったのだ」

と。

父は”出来ない”振りをしていたのだ。


僕はここへ来て、また違和感を覚えた。

「父はなんのために”嘘”をついてきたのか」

と。


 父の日だったので、父を賞賛する内容でnoteを書き始めようとしたのに、何故か”父の嘘”という内容に偏ってしまった。

まいったな。

けれど、そんな違和感や父への疑いは、父が言った”あの日の言葉”を思い出して解決することになる。


そう、それは母が亡くなった日。


 お通夜で親戚や母の親友がうちに来て、その準備で、寝る場所もなくなり、仕方がなく、久しぶりに、僕は父と二人で布団を2枚並べて寝た。寝る準備が出来て、父が電気を消す。僕がおやすみなさいと言おうとした時、父はボソッと小さい声で呟いた。

「俺は”19”だったけど、おまえは”21”だったな」

一瞬、何の数字なのか理解に苦しんだ。だが、すぐに分かった。

その数字は、

「僕と父が”母”を失った歳」

である。

 父は自分の母を19歳の時に肺病で亡くした。つまり、僕と父は悲しみが似ているのだ。

だから僕には父の”嘘”の動機が何となく理解できる。それは、自分の母親に親孝行出来なかった”後悔”を母への”優しさ”に変えたのだと思う。


 母は生前よく、

「あたしは当時、モテてモテて仕方がなかったんだよ(まぁいまもだけどね)、それこそ彼氏が100人以上いたもんだ。けどね、なんでのーちゃんを選んだと思う?」

「いろんな男とデートしたけど、のーちゃんだけだったのさ、あたしとお母さんと自分の3人分のおにぎりを作ってきた男は」

「あとは『トイレは大丈夫?』『お腹すいてない?』って聞いてくれた」

「ほかの男はどんなにカッコよくても、自分のカッコだけしか気にしてない。のーちゃんはあたしの弱い体を気にかけてくれるし、おまけにトイレとお腹に困らない(笑)だからあたしはのーちゃんを選んだのさ」

と、父が寝室でイビキをかいている隣の居間で僕に嬉しそうに自慢していた。


 父は、母がいつ死ぬか分からないのもよく知っていた。だから、母にはいつ死んでも後悔しないよう(それは父自身も)好きなことをさせたかったのだと思う。自分の大切な亡き母親の分まで。

 おまけに母が好きなことは「人助け」だ。母が亡くなってから、あの頃の”出来る父”に戻った、今の父の姿を見て僕が思うのは、父もまた「人助け」が好きなんだということだ。

いまだに父が”刑事何課出身”かは知らないが。


 僕は先輩や恩師から「嘘をついてはならない」と教わった。その中でとくに、「自分自身に嘘をついてはいけない」と教わった。

しかし、僕はこれからきっと、何度か嘘をついてしまうかもしれないと思っている。


何故なら”世界一カッコいい嘘つき”である、あの父の息子だからだ。


 そして今年、僕が選んだ”父の日”のプレゼントは、【Mother001-009F】をプリンタで印刷して、まとめた一冊の「ノート」だ。


お父さん、いつもありがとう。

これからもお元気で。

博昭


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