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自己満足で絶頂に達する【vol.280】

”自己満足で絶頂に達する”
こうして幸せを掴むことは可能である。

こんな仮説が自分の中にはあった。

”ジコマン”

自己満足というとどこかマイナスなイメージを持っている。

”自分だけOK”という印象がやけに強い。

「自分さえよければ良い。何とも身勝手な奴だ。」
”自己満なヤツ”はそう思われるのだろう。

影響

他人から見た”自己満”は皆がイメージした通りのものだ。

では、自分に対する影響にはどんなものがあるだろう。

この際、一切周りのことなんて考えない。(笑)
まず、自己満足というだけあって、ある程度の満足は得られる。

かに、自分で勝手に気持ち良くなっている。
でも幸せや満足感なんて他人に決められる筋合いないし、それでいいだろ?

こんな価値観の人がいても僕は否定はできない。

であれば、自己満は最高に幸せな状態。絶頂とも言っていいだろう。


だが、ここでストイックな自分を登場させてみるとどうか。

自己満足。
満足してしまったら、その先の成長はない気もする。

これで満足、ここで満足。果たしてそれでいいのか?

これ以上のものを見ることも、知ることも、考えることもない世界がそこにあるのなら良いのかもしれないが、この世の中、そうは回っていない。

たとえ時期が離れたとしても、上には上がいるという現実を知ることとなる。
それを知った時、自分は、欲を出すことなく、「これで満足」と向上心の「こ」の字も言わず耐えられるだろうか。

胸を張って「YES」とは言えない。

モノサシ

仮説を立てておきながら申し訳ないが、
ここで一旦人生を止めて、自己満足の絶頂を目指して新たに人生スタート!とはいかないので、”実のところ”の検証はできない。

しかし、今回改めて気づけたことがある。

自分の幸せのモノサシは自分以外の誰にも測れないということ。

仮説が立証される人生だって、十分ありえる話だ。
どんなに他人に煙たがられようが、自分が満足すればそれが最高に幸せの状態だと感じきれるのであるならば、誰も何も手出しはできない。

自己満は他人に迷惑かけるイタイ奴。
自己満はマイナスイメージ。

これは世の中の単なる多数派の意見で、あくまで自分の尺度である。

色んな物事で言えることで、自分の考え、他人の考え、すべて多面的にみる必要があると考える。

と同時に、自分のモノサシを見つけていくことを、生涯かけてやっていかなければならないなと感じた。


fin.





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